Thought−私なりに

ここでは、私がいろんな場所で、講演させていただいたときの講演録を紹介します。
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2001.11.16
〜聖マリアンナ医科大・看護学校にて 今、伝えたいこと〜素晴らしい生き方をするために


        <文化祭での特別講演>
◆「受容」することについて
私は、7才、小学校1年生の時に、「筋ジストロフィー」という病気であるとの診断を受けました。この病気は、医学的に言うと、筋肉細胞の中にある、たんぱく質が壊れてい くことで、筋肉が萎縮し、全身の筋力が衰えていく病気です。 診断を受けた当時は、20才まで生きられるか、わからないと言われていました。それから、20年以上の人生を生きてきました。そして、今、30才です。私は、告知を受けた時のことをまったく、覚えてはいません。7才ですから、何のこ とだか、わからなかったと思います。「筋ジストロフィー」なんて知っているはずもあり ません。両親は、「手術か、薬を注射すれば、治るだろう」ぐらいにしか考えていなかっ たのです。
「現在の医学では、原因もわかりませんし、治療する方法もありません。」、
「泣いてもだめですよ、お母さん、しっかりしてください。」


医師のひと言が、両親をどん底へ突き落としました。母は、ショックのあまりその場 に倒れてしまったといいます。病気が判明した当時、私自身は、受け容れるも受け容れ ないも何のことだかわかっていない状態でした。重く、厳しい現実を告知された両親は、 受け容れるどころか、信じることもできなかったと思うのです。逃げ出したいと思った かもしれません。そこから、受け容れるのにどれくらいの時間が必要だったでしょうか。
食べ物は、喉を通らず、二、三ヶ月間は、どのように暮らしていたかさえも分からなか ったそうです。でも、その後、母は悲しみの底から立ち直ってくれました。 父は、男ですから、仕事にいかなければなりません。母に任せるしかありませんでした。
私は子供でしたからどうしたらいいのかわかりません。母が立ち直ってくれなければ、 一歩も前に進めません。  そこから母は、「どんな方法でもかまわない、とにかく、治してやりたい」という愛の 思いで、色々な病院を、また、民間の治療法を探してきては、私をつれてかけずりまわ りました。 本当に、必死で、夏休みなどは毎日、治療に通ったりしたことを覚えています。

 今、考えると、治そうと必死になって、何かにすがることで、立ち直っていくための支えにしていたのだと思います。それだけの思いで色々なことをしても、私の病気は、治ることはありませんでした。そこまでは、病気を治すことだけしか考えておらず、病気から逃れたかっただけだったのかもしれません。小学生の時には、親子とも本当に「治すこと」ばかり考えて、毎日を過ごしていたと思います。中学生頃から、毎日の学校生活が忙しくなったこともあり、少しずつ、「治りさえすれば、それでいいんだ」という気持ちが薄れていきました。でも、治った人がいると聞くと、時々、治療に通ったりしていました。まだ、どこかに期待をかけたい気持ちがあったのだと思います。
 そして、心の奥底では、自分の現実を認められない、受け容れきれていない状態だっ たのかもしれません。それでも、私は、少しずつ生活していく中で、自分の病気・現実 を理解していくことができましたが、自分の病気を受け容れることのできない時期も何 度となく経験しました。その時は、「どうして、自分だけが…」という想いばかりでした。 それを変えてくれたのは母であり、周りの友人達、先生方でした。病気であっても、障 害があっても、健康な人と同じように扱ってくれたからです。障害を持ちながら生きて いく時に、大切なのは、「受容」、つまり、現実をどう受け容れるか、どうしたら受け容 れることができるかということです。
 私の経験から言うと、このような体で現実を受け容れ、自信をつけていくには、どん なこと、どんな形でもいいから誰かに認めてもらうことが必要でした。ひとつでもいい から認めてもらうことが必要だったのです。ひとつ認めてもらえたら、少し自信がつき ました。もっと認めてもらいたい、もっと自信をつけたいという想い、それが、自分の 現実を受け容れ、前向きに生きていくための力を与えてくれました。病気の体でも、周 りの人が受け入れてくれたことで自信をもつことができたのでしょう。周りの方々の支 えはそれだけ大きかったと思います。

 「生きる」意欲、希望がある時、自分に少しでも自信がある時には、時間がたてば、 少しずつ受け容れることができるかもしれません。つらいのは、自信が粉々に砕かれ、 「生きる」意欲、希望を失いそうな時なのです。私は、呼吸不全になり、自分で呼吸も 満足にできなくなった時にそれを受け容れることは容易ではありませんでした。
 毎日、自分で自分を受け容れられずに「生きている」こと自体を止めてしまいたい心 境でした。けれども、この体です。自分ひとりでは死ぬことさえできないのです。それ は、本当に苦しいことでした。
 そこから立ち直っていくためには、もちろん自分で立ち直ろうとしなければなりませ んが、本当に必要なのは、愛の力であると思います。私は、家族の励ましや医療スタッ フの方たちの「どれだけ生きたかではなくて、どう生きるかが大切なのではないですか」 という言葉で目が覚め、自分を取り戻すきっかけとなりました。そして、もう一度、「与 えられた中で自分のできる精一杯のことをしていこう」、という気持ちになっていったの です。その時にようやく、受け容れることができたのだと思うのです。 受容することはこんなに言葉でいうほど簡単ではありません。でも、受容することが、 残された人生を生ききるための力となると思うのです。 私は、今、自分の障害・環境を受け容れています。人に助けていただくことも受け容 れています。

◆人は、一人で生きることはできない
 私は、一秒たりとも人の手助けがなければ、生きていることすらできません。それは、 恥かしいことでも、情けないことでもないと思うのです。悩みや病気を抱えている人に 何らかの手助けは必要です。今、幸せな人であっても一人で生きている人なんて、世界 中、探してもどこにもいません。助けてもらうことに素直に感謝して、その中で懸命に 生きていくことが大切なのではないでしょうか。偉そうに話していますが、私は、両親 はもちろん、先生や友人達など、本当にたくさんの人の力をかりて、生きてきました。 それを、恥かしい、情けないと思っていたこともあります。今でも、そのような想いに かられることもあります。でも、神様の目から見た時には、私のように、人に助けてい ただくことばかりの人間でも、助けていただいた分を「人、そして、社会の役に立つ」 ことをさせていただくことでお返ししようという気持ちがあれば、関係ない、私は、今、 そう思うのです。

 また、悩み、苦しみを抱えている方には、「悩むこと、苦しむことは単なるマイナスで はない」ということの意味をもう一度、考えていただきたいと思います。そこから、何 か気付かされること、学ぶことがあると思うのです。今だから言えることですが、私は、 障害を持っていたことで、人のつながりの素晴らしさ、普通に生きているだけでは気付 かないことを教えられました。それに気付いたのは、まわりの人の存在があったからで す。自分だけで解決しようとする必要はないと思うのです。 すべてを背負い込むことは、自分自身を追いつめることになります。最近は、苦しみを 全部、背負ってしまう人が多いような気がします。
 児童虐待やひきこもりなどの社会問題を見ているといつも思うのです。「そんなに背 負わなくても…」、「何故、外に向けて発信しないのだろうか」と。心にたまった、つら いこと、苦しみは、誰かに話を聞いてもらうだけでも軽くなります。自分の努力だけで は、抜け出せない状態であっても、誰かに助けてもらうことで本当に立ち直るきっかけ をつかむことができると思います。そうすれば、いつか自分で乗りこえていけると思い ます。そして、その経験がそれから先、絶対に生きてくるでしょうし、自分の心にしま いこんでしまわないことが、大切なのではないかと思います。自分を閉ざしていては、 何も変わる可能性はありません。ゼロです。勇気をもって、一歩踏みだせば、きっと何 かが変わると私は信じて疑いません。私もこんな格好、車椅子で、人工呼吸器をつけて 講演活動をさせていただいていますが、初めて講演する時には、勇気が必要でした。
「自分には無理では」という気持ちが心をよぎることもありましたが、人がどのように 思うとしても、最後に決めるのは、自分です。自分の本当の想いで何かをしようとした 時には、その想いは人の心を必ず動かすと思います。私はわずかな経験からそれを学び ました。もし、そこで後ろ向きになっていたら、今の私はなかったでしょう。 少し勇気を出すだけで、自分を変えていけると思うのです。

◆ 「死」ということについて
 話が少しそれたかもしれませんが、もうひとつ、受容することと同じくらい大切で、 深く考えていくべき問題があります。それは、人が「死ぬ」ということです。 確か7月24日でした。新聞にオランダでの日本人女性の安楽死の記事がありました。 その女性は、オランダ人の男性と結婚し、オランダに在住していた方で、末期がんでか なり重い症状であったらしいのです。オランダで「安楽死」法案が成立したのは、20 00年のことで、条件つきで認められた法案です。それは、確か、「本人が安楽死を強く 望んでいること」、「末期症状で生存できる見込みが期待できないこと」などが主な内容 で、医師を罪に問わないことも明記されています。記事の女性は、睡眠剤と筋弛緩剤の 投与を受けて、安らかに最期の時を迎えた、ということでした。こうした問題について は、一般の健康な人々からすれば、「たとえ、末期であっても最期まで生かすことが大切 で、本人の意志でも、医師が手をくだすようなことがあってはならない」、「自殺と変わ らないことを容認していいのか」と思うかも知れません。それは、ある意味正しいこと で自分がその立場ならそう考えると思います。でも、別の角度から見ると、正しい、と は、言い切れるものではないと思えるのです。「生きる」ことの尊厳から言うと、苦しん で苦しんで、生きる意味さえ見い出せない状況は人の「生」とは言い難いと思うのです。
「生きている」ことの意味を考えてみた時、ただ生きればいいという考えは、あまりに も悲しいです。
 私は、「筋ジス」という病気とともに生きてきたので、いつも「死」について、心のな かで自分に問いかけてきましたし、今も人にとって、死とは何であるのか、その意味、 自分らしい、人間らしい死のあり方とは何なのかを問いかけています。 そして、私は、常に先にある「死」を意識し、見つめてきましたし、残された人生も「死」 を見つめて生きていくと思います。

 私のいう「死」とは、多くの人の考えるものとは違うかも知れませんが、「死」はすべ ての終わりではないので、私は、なにかにしがみついてでも「生きる」ことには疑問を 感じているのです。つまり、食べて、眠って、排せつしてというだけの生活になってま で生きることに価値や尊厳はあるといえるでしょうか。私には耐えられません。誰だっ て、最期だけは、尊厳を大切にしたいですし、心安らかに幕を引きたいはずなのです。
「生きている」のがつらいからだけではありませんし、逃げたくて言っているわけでも ありません。また、安楽死が望ましいとは思いません。
でも、尊厳ある死を私は望みたいと思うのです。それが、人間の究極の願いであると思 うのです。健康に生きていれば、そんなことは考えなかったでしょう。どんな人でも、 「死」ということを本当に深く考えなければ、「生きる」ことの意味は見えてきませんし、 生命の尊さ、大切さを知ることもできないはずです。この世で生きることには限りがあ るから、最後には、死んでいくことが分かっているから、今、この時を全力で「生きる」 のだと思うのです。ですから、「死」を覚悟していても、自分が納得できるところまで人 生を悔いなく全力で「生き、生き切った」人には、死は単なる悲しみではないと私は思 います。

◆QOL〜私が考える、Quality Of Life
 そのように考え、「死」ということを見つめた上で、私たちが生きていく時に大切にし、 考えていくべきこととは何でしょうか?それは、生きているという実感をもって、日々、 過ごすことができるか、心がいかに充実して、幸福感のなかで生きられるか、というこ とだろうと思います。つまり、よく言われることですが、Quality Of Li fe、生活の質、人生の質をいかに高めていくか、ということです。とくに、障害や病 気を抱えている人にとっては、大切です。私は、重い障害を背負いながらも、両親や周 りの人たちの力をかりることで、普通の人と同じ生活を送ってきました。
 そして、小学校、中学校、高校と、普通学校に通いました。私の場合、高校まで普通 学校に通ったことで、大学まで進学しようという気持ちをもつことができたと思います。 もちろん、先生方や友人達、まわりの人々の理解と手助けがあってのことではあります が、健康な人と同じ青春時代を過ごしました。そして、普通の人と同じ様に就職し、仕事というひとつの「生きがい」を頂きました。 必要とされていること、生きている実感をもって、充実した日々を送ること、それが、 Quality Of Lifeということではないでしょうか。私なりにいいかえる とすれば、誰もが望むことですが、普通に生きていくことであり、最後の時まで、周り の人々に感謝しながら、自分らしく生きることであると思うのです。

◆F.ナイチンゲールのように
 Quality Of Lifeについて考えたとき、F.ナイチンゲールのことが 頭に浮かびます。F.ナイチンゲールはクリミア戦争の時に、兵士たちを献身的に看護 したことで有名ですが、私は、看護婦としてのナイチンゲールの生き方はもちろん、そ の後の人間としてのナイチンゲールの生き方に魅かれます。ナイチンゲールは、看護婦 として活躍した時よりも病に倒れてからの生き方の方がより輝いていましたし、それが ナイチンゲールの本来の生き方であったと思います。ナイチンゲールがもし、現場でだ けしか生きていなかったなら、今の看護や医療は、現在のようにはなっていなかったの ではないかと思います。ナースコールも、白衣も、病室の白い壁も、エレベーターもな かったかもしれないのですから…。
それも、ほとんどべッドにいる生活のなかで考えたということには驚きました。 看護の理論書を著わしたのもべッドの上だったということも知りました。 それを知った時に、自分は、どこか体が動かないことを言い訳にして、できることがま だたくさん残されているにもかかわらず、逃げているという思いがしたのです。そして、 自分のためだけに何かをするのではなく、人のためにできることはないだろうか、と思 ったのです。  それから、いつも心に「人の役に立つ生き方をしていきたい、何か自分にできること はないか」という気持ちを持つようになっていきました。
この想いを持ちつづけたことが講演につながり、今回で12回目となりました。また、 講演をしたことが、次の講演へ発展し、ある人のために詩を贈ったことが詩を書きはじ めるきっかけとなり、詩を書きはじめたことが本を出版するという夢へと発展していっ たのです。そして、「詩に曲がついて、多くの人に勇気を与えることができたら…」と考 えていたところ、実際に曲がついて、CDにその曲を入れていただけるところまで発展 していきました。その喜びが、さらに力を与えてくれました。心に描くことがどれほど 大切か、今回ほど実感したことはありません。まず、描くこと、描きつづけることです。 「人のために、社会のために何かをしていきたい」という想いを強く強く心に描いた時 に、夢をかなえていくための歯車が回りはじめていくのだと思います。


         <花束を頂きました>
そして、それを応援し、支えてくださる人々が必ず現れてきますし、必ず力をかしてく ださいます。その時のために、準備をしておくことが大切です。つまり、自助努力とい うことでしょうか。私は、運がよかっただけなのかも知れませんが、想いは通じます。 「運」という文字は「はこぶ」と書くように、運は自分で目の前にもってくるものです。 つかむのは自分自身です。すべてのことにおいて、自分から発信することが、アクショ ンをおこすことが大切であると思います。夢をかなえていくためにもうひとつ大切なの は、あきらめないことです。あきらめたら、そこでおしまいです。 絶対にあきらめないことだと思います。 「人のために、社会のために何かをしていきたい」という心、言い換えれば、人や社会 に対する愛があれば夢はかないます。
私たちが生きている、この世界は、愛を実践して
いくための学校でもあり、すべての人が「人のために、社会のために…」という心で生 きていくことが大切だと思うのです。そのように生きている人の夢がかない、誇りを持 って生きられる世界、幸福になれる世界をつくれたら、どれほど素晴らしいでしょうか。
そんな美しい世界をつくるために、少しでも、その力となるために、私は、「人のために、 社会のために…」といつも自分に言いきかせています。 これからも、常にチャレンジしていく姿勢と人や社会に対する愛の想いを忘れずに、精一杯、歩んでいこうと考えています。

最後に、この詩を読ませていただき、私の話を終わりにさせていただきます。

     「美しい仕事」

あなたに会うと、なぜだか、ほっとするのです
笑顔になれないとき、あなたの笑顔に会いたくなり、
心のなかが涙でいっぱいになったとき、あなたに話を聞いてもらいたくなり
なにも言えないくらいしんどいとき、あなたに見守っていてもらいたくなるのです
あなたの笑顔が僕の心の無力感を洗い流してくれるのです
あなたが僕のことを聞いてくれるだけで胸のつかえがとれていくのです
あなたが僕を見守ってくれているだけで心の波がしずまっていくのです

あなたに会うと、なぜだか、ほっとするのです
それは、あなたを通して、「母の愛」を感じとっているからかもしれない
あなたの仕事は、仕事ではあるけれど、つらい仕事ではあるけれど、
この世界のなかでも、美しい、そして、尊い使命のひとつなのです
それは、あなただから、できることかもしれないのです
あなたでなければ、できないことかもしれないのです
あなたは、必要とされている大切なひとなのです

あなたに会うと、なぜだか、ほっとするのです

どうもありがとうございました!!


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