2003年のNHK・新春のトーク番組、日野原重明さんと瀬戸内寂聴さんの
対談・「命を見つめて」がかなり印象に残ったので、感想を書き止めておきたいと思います。
日野原重明さんは、東京の聖路加国際病院の理事長をされていて、現在91歳なのですが、
診察や講演などを精力的にこなされています。
その活動的な姿には頭が下がります。そして、その言葉には本当に深いものを感じます。
瀬戸内寂聴さんは、尼僧であり、作家でもあります。最近は、悩みの相談などの活動が増えてきているそうです。
番組では、昨年の出来事を振り返りながら、話が進められていきました。
その中の印象に残った言葉から私が考えたことを書いていきたいと思います。
◆ 「Don’t」から「Let’s do」へ◆
命の大切さを考える時に必要なのが、この考えたなのだそうです。
今までは、すべてが「Don’t」、つまり、〜するなかれ、というやり方でやってきたのです。
そのやり方では限界があるそうです。例えば、人を傷つけるなかれ、人を殺すことなかれと言っても
現実には、人を平気で傷つけたり、殺したりという事件は増えるばかりでなくなることがないのです。
それを減らし、なくしていくためには、「Let’s
do」、〜しよう、ということが大切なのだそうです。
私なりに言いかえるとすれば、「〜してはいけない」ではなくて、
「〜は〜だから、〜しよう」という教育をしていかなければいけないということだと思います。
例えば、「命を粗末にしてはいけない」と教えるのではなく、「命を大切にしよう」と教えるということです。
否定的な言葉よりも肯定的な言葉で教えていく方が人の心は育っていくと私は思います。
また、「Why」、なぜ勉強しなければいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか、
ということを教えることも必要ではないかと思うのです。
◆ 寿命とは、その人が使える時間のことである◆
人生の価値は、寿命を人のために使ったか、自分のために使ったかで決まる。
人のために使った時間が多い人の人生の方が深い。この言葉には、思わずうなづいてしまいました。
私は、常にそうありたいと考えているのですが、なかなか難しいものです。
今の世の中は、人のことより自分のことを優先するという考え方が強くなっているような気がしてならないのです。
もちろん自分のことができていなければ無理なのは当然ですが、
人のために何かをするのは損なことのようにとらえられているのは残念なことです。
人のために何かをした時に感じる喜びは、自分のためにした時の喜びとは比較にならないものです。
私は講演活動をすることでそれを強く感じました。
そう考えると、話の中で出てきた、瀬戸内寂聴さんの「忘自利他」という言葉の意味するものが見えてきます。
自分を忘れ、人のために尽くす、というこの言葉は、人を利する(人のために何かをする)ことが
実は自分を利することになるという意味の仏教用語の「利自即利他」という言葉にもつながると思うのです。
◆ 説法をする時に…◆
「何千人の人を前に話をするときに聞いている人にエネルギーをとられる気がしている時にはとても疲れたが、
視点をかえてエネルギーをいただいていると思うようになった時に疲れを感じなくなった」
という瀬戸内寂聴さんの言葉も納得のいくものでした。
私なりに言い換えるならば「与えてやっている」という態度で話をすれば、それは相手には伝わっていかないということです。
「与えていただいている」「させていただいている」という想いでやった時に伝わっていきますし、
もっと大きなものが帰ってくると思うのです。私は、それを実際に体験したので、心から納得できたのです。
◆ 「ゆるす」の語源について◆
「寛(ゆる)くするが如し」自分がしてほしいが如く人にもしなさい。
今の世の中には、悲しいかな、こうした考えが隅っこの方に追いやられているような気がします。
少しでいいのです。時々は、自分は、本当に人のために何かしているだろうかと考えてみていただきたいと思うのです。
◆ 日野原重明さんの授業◆
これも興味深いものでした。小学生対象の授業だったのですが、聴診器で自分の、
そして、友達の心臓の音を聞いてみるという授業でした。
確かに命が息づいていることを教えることで「命の大切さ」を学ぶというテーマで行なわれた授業でした。
こういう授業をどんどん取り入れていってほしいです。それによって未来は変わっていくと思います。
すぐキレる、命を何とも思わない少年をこれ以上作ってはいけません。
そのためのヒントがこの授業の中にたくさんあったように感じられました。
本当に素晴らしい対談でした。言葉の一つ一つが深く重みがあり、あらためて何が大切かを気付かせてもらいました。
心にしっかりと刻んでおきたいです。
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