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ナンシー関 〜そのツッコミ魂忘れまじ〜


<死を知らせるニュースなど>
 著作権侵害はなはだしいですが…


「消しゴム版画」に独自の境地、ナンシー関さん急死(読売新聞) 2002年6月12日(水)13時7分

 独自の「消しゴム版画」と辛口エッセーで人気のナンシー関(本名・関直美=せき・なおみ)さんが12日未明、急逝した。39歳だった。告別式の日取りなどは未定。

 所属事務所によると、関さんは11日夜、友人と食事後、帰宅途中のタクシー車内で気分が悪くなり、東京都内の病院に運ばれたが、そのまま亡くなった。

 青森市生まれ。学生時代から市販の消しゴムを彫った版画を始め、独特の味わいを持つ挿絵画家として活躍した。テレビ番組や芸能人を題材にした風刺の利いたエッセー、コラムでも知られ、週刊誌などに何本も連載を抱えていた。(読売新聞)
[6月12日13時7分更新]

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<訃報>ナンシー関さん39歳=消しゴム版画家 2002年6月12日(水)13時50分

 消しゴム版画家で、ユニークなエッセーでも知られるナンシー関(ナンシー・せき<本名・関直美=せき・なおみ>)さんが12日午前0時47分、東京都内で死去した。39歳。

 青森市出身。法政大在学中、消しゴムを削ったハンコによる有名人の似顔絵が認められ、イラストレーターとしてデビュー。「サンデー毎日」「週刊プレイボーイ」などの雑誌でさし絵を担当し、「週刊朝日」「週刊文春」などではコラムも執筆した。89年には個展「けしごむ歳時記」を開催。「ナンシー関の顔面手帖」「何様のつもり」などの著書がある。

 11日夜、知人と食事の後、帰りのタクシーの中で具合が悪くなり、そのまま都内の病院に入院、急死した。(毎日新聞)
[6月12日13時50分更新]

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消しゴム版画家のナンシー関さん急死(時事通信) 2002年6月12日(水)19時2分

消しゴム版画と辛口の人物評で人気を集めていたナンシー関(ナンシー・せき、本名関直美=せき・なおみ)さんが12日午前0時47分、虚血性心不全のため東京都目黒区の病院で死去した。39歳だった。青森市出身。所属事務所によると、関さんは11日夜、知人と食事後、帰宅途中のタクシーの中で気分が悪くなり、病院に運ばれた。葬儀の日取りなどは未定。
 消しゴムを彫った版画が認められ、大学を中退し、プロのイラストレーターに。週刊誌の表紙や挿絵を担当したほか、「週刊朝日」「週刊文春」などで風刺の利いたコラムも執筆した。 (時事通信)

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ナンシー関さん急死  2002年6月12日(水)(Web東奥)

 消しゴムを使った版画家で、辛口コラムニストとしても知られる、青森市出身のナンシー関(本名関直美=せき・なおみ)さんが十二日午前零時四十七分、虚血性心不全のため東京都目黒区内の病院で死去した。三十九歳。通夜は十五日午後六時から、葬儀は十六日正午からともに青森市本町一ノ一ノ四、常光寺で。喪主は父英市(えいいち)氏。連絡先は実家の青森市堤町二ノ一四ノ二、関英市氏方。

 所属事務所や実家によると十一日夜、知人と食事をした後、帰りのタクシー内で倒れ病院に運ばれた。

 明の星高校(青森市)を卒業後、法政大学に進んだが、消しゴムを削ったはんこによる有名人の似顔絵が認められ、大学を中退してプロのイラストレーターとしてデビュー。ユニークな“消しゴム版画”とともに、テレビ番組やタレントを題材にしたコラムが人気となり、何本もの雑誌連載を抱えていた。一九八九年には個展「けしごむ歳時記」を開いた。著書に「テレビ消灯時間」「何様のつもり」などがある。

 青森市の実家には、十二日午前一時過ぎに訃報(ふほう)が入った。英市さんは「今年の正月に帰ってきたし、先月末には『父の日のプレゼントは何がいい?』と電話もかかってきた。その父の日が来ないうちに、逝ってしまうなんて…」と涙をこらえながら話していた。

元記事へのリンク(ナンシー関さんの地元紙です)

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消しゴム版画家のナンシー関さん急死(asahi,com) 2002/06/13 02:09

エッセイストでユニークな消しゴム版画家として知られるナンシー関(本名関直美=せき・なおみ)さんが、12日午前0時47分、虚血性心不全のため東京都内の病院で死去した。39歳だった。通夜は15日午後6時、葬儀は16日正午から青森市本町1の1の4の常光寺で。喪主は父英市氏。連絡先は東京都渋谷区神宮前6の23の2の「エムパイヤ・スネーク・ビルディング」。

ナンシー関さん 松田聖子を描いた消しゴム版画
(朝日新聞社刊「耳のこり」から)



 関係者の話では、11日夜、都内で食事をした後、「仕事が残っている」と1人で乗ったタクシーの中で倒れ、救急車で病院に運ばれたという。

 青森市生まれ。法政大学文学部在学中、市販の消しゴムをカッターナイフで彫ってつくったハンコによる似顔絵が認められ、プロのイラストレーターとしてデビュー。前例のない「消しゴム版画家」として話題を集め、89年には個展「けしごむ歳時記」を開いた。

 辛口のテレビ批評家としても知られ、一言コメント付きの似顔絵版画をあしらった週刊朝日の連載コラム「小耳にはさもう」のほか、多くの週刊誌や月刊誌で連載を続けていた。

 著書に「耳部長」(朝日新聞社)、「テレビ消灯時間」(文芸春秋)など多数。






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急死・ナンシー関さん、各界に衝撃 (zakzak) 2002/06/12
酒に強く、歩くの嫌いだった…

 12日未明、39歳の若さで急死した消しゴム版画家で、辛口エッセーでも知られるナンシー関(本名、関直美=せき・なおみ)さん=写真。週刊誌などで多くの連載を抱えていた売れっ子作家の突然の死に、関係者は大きな衝撃を受けている。

 所属事務所によると、関さんは11日夜、都内で知人と食事をした後、帰宅途中のタクシーのなかで、急に気分が悪くなり、「タクシーの運転手に自宅近くの目黒区の病院に運んでもらったのですが…。急なことで死因もまだわかっていません」(担当者)。

 最近の関さんについても「執筆活動も続けており、寝込んでいたというようなこともなく、兆候はまったくなかった。本当に突然のできごとだった」と話している。

 また、関さんがコラム「テレビ消灯時間」を連載していた「週刊文春」担当者は「月曜の入稿時には特に変わったこともなく、火曜も元気にされていたと聞き、突然のことに驚いています」。

 今週号の同コラムで、関さんはW杯の熱狂に便乗する芸能人や政治家らを独特の切り口で皮肉っていたほか、視聴率が60%を超えた日本−ロシア戦の影で、完全にお手上げ状態となった裏番組の内容を「逆ギレ」と批評していた。

 青森市出身の関さんは、法政大学文学部(2部)に入学。大学へはあまり通わず、コピーライター養成学校に通ったり、手先の器用さをいかし、消しゴムを使ってハンコを作るようになった。

 関さん自身は「消しゴムハンコ」を「暇つぶし」としかとらえていなかったが、その独特な作風が関係者の目にとまり、大学を中退し、イラストレーターになった。

 “デビュー作”は「ホット・ドッグ・プレス」誌に掲載された挿し絵「あっとおどろくタメゴロー」。以後、週刊プレイボーイ、サンデー毎日などで表紙や挿し絵を担当。ほかに、週刊朝日、週刊文春などの各誌上でコラムも執筆していた。

 消しゴムハンコでも、平成元年に個展「けしごむ歳時記」を開いた。著書に「ナンシー関の顔面手帖」「何様のつもり」などがある。

 最近では、脳障害の少年が、母親の持つ文字盤を指差してコミュニケーションをとりながら、詩などを発表している姿をドキュメンタリーとして描いた、NHKスペシャル「奇跡の詩人」について、「母親、勝手に動かしてねえか?」「何でNHKスペシャルともあろうものがこんな番組放送してんだろ」と、痛烈に批判していた。

 著書に「ナンシー関の顔面手帖」「何様のつもり」などがある。

 関さんとの共著もある民俗学者の大月隆寛氏の話 「単なるテレビコラムニストの死ではなく、思想的な事件であると思う。ナンシーの取材力、ポテンシャルはコラムニスト以上の実力があった。4、5年前、そのとき体調が悪かったのか100メートル歩いただけで、ゼーゼー言って立ち止まったことがあった。普段から健康診断や人間ドックに行けと勧めていたが、本人はそういったことを嫌う性格だったから、冗談で『ナンシーの葬式に出ることになりそうだ』と言っていたが、それが現実となってしまった」

 出版プロデューサーで親友だった高須基仁氏の話 「5月の連休明け、2年ぶりに赤坂で、ボクと嫁の新婚を祝ってくれ、中華料理を食べたばかり。相変わらず100キロを超えてた感じだけど、いつもと変わらなかった。ウオツカが好きで、ロックで10杯以上飲んでも、絶対酔わなかった。歩くのがイヤで、よくタクシーを使ってたけど、やっと免許を取ったところだった。孤高の人で、芸能人に擦り寄ることはなかった。でも、ボクのような叩かれる人間にはやさしくて、別れぎわに『(好みの)蒸したヤキソバを家に送ってね』と言ってたのに…」

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本誌連載中のナンシー関があまりにも突然すぎる逝去! (02/6/12 WEB噂の真相)

本誌の長期名物連載「顔面至上主義」でおなじみのナンシー関氏が12日の深夜帰宅途中のタクシーの中で倒れた後、その日の未明、都内の病院で急逝した。享年39。死因は解剖の結果、虚血性心不全と判明した。つい先日も、本誌スタッフはいつもと全く変わらない様子で長電話の打ち合わせをして、イラストを受け取ったばかり。それが現在発売中の三井ゆりで本誌にとっての遺稿となった。

 青森県出身、法政大学中退のナンシーさんは消しゴム版画家として本誌をはじめ、「週刊朝日」「週刊文春」など連載を多数抱え、独特の鋭い切り口でテレビ番組や芸能人を取りあげていた。
 本誌では90年5月号から「ナンシー関のチャンネルオフ」が始まり、その後も「迷宮の花園」「顔面至上主義」とタイトルを変えて、毎月さまざまな芸能人を俎上に上げてきた。まだナンシー関がブレイクする以前、約12年前からの連載である。
 本誌編集長以下、スタッフは何度かカラオケも一緒にやったが、あのプロはだしの金属質の歌声ももう聞くことができないのだ。
 毎月、週刊誌の連載の合間を縫って、忙しい中、本誌への原稿をもらっていたが、いつもなかなかターゲットにする有名人の人選が決まらず、毎月1時間ほど長話するのが通例だった。今月も明日にでも〆切りのお知らせの電話をする時期だった……。 芸能人や有名人に対する的確な斬り口は当の書かれた本人もカンシンするほどの洞察力で、おそらくこんなコラムニストは二度と出てこないのかもしれない。とりあえず、合掌。

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