わが猫サクラの好きなもの 林花子
私には、サクラという名の猫がいます。 えこし通信10+4号の座談会の日、サクラ猫は、えこし研にお招きを受けたのでした。 えこし研に棲む男の子猫、グリ*1。グリとサクラは、猫同士、きっと友だちになると、サクラによく言い聞かせていったつもりでしたけど…?! 甘かった。 …グリと対面したサクラは、グリの目を見てすらいないのでした。つめたいサクラを、しかし大好きになってくれたグリが近づいてくると、サクラは尻尾を太くして怒っています。私に触わるな!と文机の下に立てこもったサクラは、座談会の間、飲まず食わずで和室に籠城。 今日の雪を、ぼたん雪というか、ぼた雪というか?…などと和やかに話す人々をよそに、文机に立てこもるサクラは、不眠不休で世界を敵に回して、うなっています。サクラの女心をきづかうグリは、微速度で、付かず離れずのアプローチを続けましたが、和室では猫の毛が飛ば散る大喧嘩。 挙げ句の果て、サクラに触れようとした中村先生は血だらけ。和室は、本気ダシタサクラ猫の糞尿まみれ……。 私はこの猫との付キ合イを完全に間違ってきたんだと思いました。 えこし研での惨劇のあと、サクラが世界を敵に回すようになったのは、他でもない私にサクラを拒む心があったから、その心をサクラはうつしているのでないか、責任を問うてみました。なぜそうなったのか。 私には、むかし死んだ一匹の猫がいたのですけど、死んだということを私が恐れるあまりに、むかしの猫に義理立てなどと言い訳し、今いるサクラを見ない・話しかけない・話を聞かないようにしてしまったのではないだろうか。死んだ猫が、この有様を見たらなんと言うか…、想像してみます。 “あなたは死のことも生のことも分かっちゃいない。本当に僕が生きていたと実感があるのなら、そして、本当に僕が死んだと実感しているならば、その絆は、目の前にいる猫を死んだ僕と同じに掛け替えがないと思えるはずではないか。” 私は思いました。サクラに友だちが出来なければ、未来はない。 何よりもサクラ自身が、はじめて親兄弟以外の猫に会った、あの“グリ事件”の日以来、他者(すずめとか近所の猫の喧嘩)に敏感です。7年間、無口だとばかり思っていた猫が、立ち上がり、すずめにレスポンスしています…おまえしゃべれるじゃないか! 私も椅子の上に乗って、猫が何を見ているのかを見てみました。そして、猫の目にうつるきれいな空を、見てしまいました。 観察によると、陽当たりを求めて、4匹の猫が、部屋のそばに来ていることが分かってきました。しかしそもそも、友だちとは何。今まで一度でも野良猫や他の家から来た猫の境遇を、自分の猫の境遇と同じに、考えたことがあったか。 私が猫を好きなのはもはや当たり前、“箱入り”だった猫を、太陽に当てることからはじめていこうと思います。これからでも遅くはない。猫が大好きなものをたくさん見つけてあげようと思います。 2008.2.22 |
*はやし はなこ 『詩学』06.2/3合併号に評論「永瀬清子と麻生知子の魅力・魔力に沿いながら」を発表。第一詩集の発刊を準備中。 |
||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
編註 *1...「えこし通信」10+3号の表紙を飾っているのがグリ。編集後記でもグリが紹介されています。 |
|