えこし見聞録 0019 Knowledge Record of EKOSI  2007.05.24UP        <<0018      0020>

 お引っ越し 〜おじさんとねこ〜 鯉渕史子 


この春、7年ぶりに引っ越しをする。引っ越しといっても、駅のこっち側からあっち側へ、ほんの500mほどの小さな引っ越しだが、広さにかまけて増えすぎてしまった荷物と、これでもか!これでもか!と毎夜たたかっている…。

思えば一人暮らしを始めてからなんだかんだと引っ越しも4回目、気が付けばこのアパートには7年と、最長滞在記録になっていた。それが年明けまもなく、突如アパートの取り壊しが告げられ、手数料は出るものの慌てて出ていかなければならなくなった…はじめての退去!

これまでの棲み家とは幸運にも、直感とときめきの素晴らしい出会いばかりだったのに、今回はなぜかうまくいかない。いったい何処へ行けばいいのか…、私どーなるんだ…と先行き不安な夜々を越えて、ようやく出会ったアパートの小さな庭では桃色の椿が咲いていた。

3月末になると旧アパートの住人たちが早々と引っ越しをはじめ、何だかがらんとしてむしょうにさみしい。なかでも、階下に住んでいたおじさんとの別れは、何だかとても切なかった。

このおじさんは、一見ちょっとこわそうなのに、実は、季節ごとにつぎつぎと花を咲かせる名人で、キンモクセイの大木やこぶしの世話ばかりでなく、水仙や桔梗、チューリップや色とりどりの花咲く花壇を、腰に手をあてサンダルばきにくわえタバコのスタイルで、毎日のように世話していたのだった。中でも、アパートの壁いっぱいの赤いツルバラは、毎年その見事な咲きっぷりに通行人も立ち止まるほどの見応えだった。私はこのおじさんのおかげで、7めぐりもの四季をつうじ、ツルバラのひろがる最高の窓と、四季折々の花咲く庭付アパートに、楽しく暮らせたのだった。

おじさんとの付き合いは、私がここに引っ越しして来た日、慌ただしさのなかで階段に置き忘れてしまったさくら草の鉢植えが、翌朝、アパートの庭にしっかりと植えつけられていたことに始まる。おそらく、捨てられてしまったと想ったのだろう、おじさんが植え替えたさくら草は、みるみるうちに土に根付き血色もよみがえり、同じ花とは思えないほどの咲きっぷりだった。しかも、春先になると、次の春もその次の春も…と、あのさくら草が毎年花を咲かせるのだった。

あのおじさん、ただ者ではない…と思いつつも、長らく挨拶程度の付き合いを続けていたのだが、あるとき、二階に住む私の部屋の水漏れを「だいじょうぶかー」と水道屋のように助けにきてくれた上、2日がかりで直して下さり、しかも去り際に、「困ったことがあったら何でも言えよ。一つ屋根の下に住む仲じゃねぇか。」と、江戸っ子口調でさっぱりとおっしゃるのだった…。

…たしかに、一つ屋根の下には違いない…と思いつつ、お礼にと酒瓶をさし出すと、おじさんは自称アル中と、お花のように可愛い笑顔でうれしそうに笑うのだった。

長い間、真夜中になるとゴトゴト動きだす夜行性の私の階下で大変だったはずなのに、おじさんはお別れにとバラの鉢植えをくださった。バラを咲かせるのは難しいと聞くし、その上私は植物を次々と枯らすような女だが、これを機に、花を愛するこのおじさんの心にならって、がんばって咲かせてみたいと思う。

おじさんが今度引っ越すアパートには庭がないらしく、おじさんの真価がもったいなくてしょうがないと思うのだが、「仕方ねえから窓辺に並べるよ」と、幾つもの鉢を大切に運んでおられた。おなじ町の中とはいえ、「一つ屋根の下」で長年暮らしたおじさんと離ればなれになってしまうのはさびしいが、ふときれいな花が咲いてる窓を見つけたら、おじさん家か?! と、楽しもうと思う。

そしてもう一つ、この地で離れがたいのが、毎夜のように我が家を訪ねてくれる一匹のノラ猫じゅげむとその娘きょとんである。犬(雑種)まみれで粗野に育った私にとり、猫という生き物はなんだかムズカシク近づき難い存在だったが、この地で出会った野良猫じゅげむは私にとって初めての猫となった。

はじめはお互いにおそるおそる、次第に気分やらご機嫌やらが私にも分かるようになってきて、つんとした顔やらぷいとした顔やらのむこうの可愛いい表情に、もうすっかりとりこになってしまったのに、お別れとは…。野良猫の彼女はおそらくこの地で生まれた命をこの地でリッパに生き遂げるのだろうし、私がいなくても大丈夫なのだとは思うが、私はとてもさびしい。

引っ越してきた当初は、なにも〈猫付き・花好きおじさん付きアパート〉と書いてあったわけでもなかったのだから、今度もきっと、何かしら新しい地でのいい出会いが待っているはずだとは思う。けれど、世界にイッピキのこの猫とはもう会えなくなってしまうのかもしれない。たった500メートルの引っ越しとはいえ、野良猫の彼女にとっては道路を越え踏切りを越え、大冒険の距離であるに違いない。そう落ちこみ気味だったとき、猫好きの人が、猫にキチンと番地とか方向を告げておくとあるとき訪ねて来てくれるらしいと教えてくれた。私は半信半疑で、しかしいたって真剣になりつつ、毎夜にんげん語とカタコトの猫単語と身振り手振りで、エサに夢中の彼女に向かって新居への道のりを語るのに必死である。この猫は相当リッパな猫なので、私の誠意さえ伝われば何かやってくれそうな気がしているが、もし猫として会えなくても、何か他のモノになりかわってでも、ある日、新居の庭に訪れてくれることだって、あるのかもしれないのだ…。

そうしておセンチな気持ちに切りをつけ、振り向けば、いったいどこから湧いてきたのか? いったいダレの荷物だというのか? 私の後ろには切り上げ切れない未処理な荷物がまだまだそびえているのだった…。



*こいぶち のりこ
 中右史子の名で詩、鯉渕史子の名で評論を発表している。第一詩集『
夏の庭』を2006年7月1日に発刊。
おじさんのバラ
おじさんのバラ その2
アパート
ネコの目

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