えこし見聞録 0018 Knowledge Record of EKOSI  2007.02.15UP        <<0017      0019>>

 クリスマスイブ in 埼玉! 鯉渕史子 


昨年末のクリスマスイブ、友人といっしょに、幼年の思い出の地である埼玉のS市の辺りを訪れました。

ご出身は? と聞かれても、産まれた土地やら育った土地やら引っ越した土地やらがばらばらで、いまだに上手くは答えられないでいる私ですが、幼年を過ごしたその地べたについては、私の体です!とまで言いたくなるような思いがあります。

私が2歳から15歳までを過ごしたその地は、今住んでいる町からも沿線の電車でほんの3、40分、武蔵野の雑木林と茶畑が広がるのどかな地ですが、旧米軍の航空基地があった為、ハイドパークをはじめアメリカ村やアメリカンハウスと言った異国のコトバたちが混在している風変わりな町でした。


*こいぶち のりこ
 中右史子の名で詩、鯉渕史子の名で評論を発表している。第一詩集『
夏の庭』を2006年7月1日に発刊。
その中でも、かつて私たち近所の悪ガキ連の定番の遊び場だったのが、裏山から地続きで行けるハイドパークという公園でした。英国の本家HydeParkを遠い背景にしていたことは、だいぶ後になって知りましたが、日本の、しかも埼玉に、こじゃれた名前のハイドパークがあるところがおかしい…。

ハイドパークは、かつてアメリカ人達が暮らしたその居住区をそのまま開放した広い芝生の公園で、さまざまな樹木の林や、谷や山、また当時のまま残された白ペンキの洋館が数棟、木々のあいだに見え隠れする公園でした。この公園を囲むようにしてアメリカ村とよばれる旧米軍のアメリカンハウスが200軒近く点在する集落があり、70年代から80年代当時は、画家や彫刻家やミュージシャンといった芸術家達も多く暮らし、独特の雰囲気がありました。

ハイドパーク





廃墟



廃墟 II









80年代後半から90年代に入った途端、都心のベッドタウンとして、取り壊しと開発がすすみ、雑木林がさら地になり、ハイドパークにも公共のつめたい手が加えられ…と、愛着のある景色が次々とかき消されていきました…。それは私にとり、まるで幼年期の終わりを告げるかのような無残な出来事でした。

旧米軍の芝生の公園と、裏山の防空壕探しとをいったりきたり遊んでいた、戦争をしらない子どもだった私ですが、敗戦と、米軍占有基地が作り上げた風景が、今度は資本主義の波にさらわれて、また、風景を作り替えていったのか…等と、その遊び場に隠れていた歴史としての意味というものを、いまは寒々しく眺めやることも、できるようにはなりました。

けれど、その意味を知ってしまっても、むしろ知ってしまったからこそ、幼年期のあの盲目の遊び心をその意味ごときに奪われてたまるかと、何かから死守したい気持ちでいっぱいになります。

今でも時々、この土地に遊びに行くことがあります。一時は、失くなったものばかりが傷あとのように目に沁み、もう二度と来ないと、毎回毎回誓っていましたが、だいぶゆるやかに、訪れることができるようになりました。

また、以前はきまって一人きりで、まるで死にきれないゆうれいのようにここを訪れていた私でしたが、ここのところ、友人を連れて来るようになりました。

今回は、雑司ヶ谷のアパート時代からの十年来の友人ふうこさんを誘う。彼女にとってこの地は、何らどうってことない町の一つだろうし、おまけに私がいちいち、ここにはほんとは○○があった!とか、ここは○○ちゃんの家だ!とか、ナキガラ同然の跡地ばかりを連れまわすので、大変めいわくだったかもしれません…けれど私は大変たのしかった!

あれから20年もたったこの地に、私の目のまえに、いま、好きな人が立ってくれているというこの光景のうれしさを、誰にどう伝えたらいいのか、デジャブにも似た不思議さで可笑しくなってしまう。

これが失くなった、あれも失くなったと泣いてばかりいたあの場所への痛さが、新たに出会った好きなモノたちによって、目前に立つ彼女によって、そこに透かし見える風景とともにあらたに輝くのを、私はこのとき、目にしていたのだと思う。

今回は、クリスマスイブということで、落ち葉をざくざく踏みしめながらハイドパークや雑木林をこよなく歩いたあと、米軍ハウスのカフェバーAIROADに行きました。

むかし裏の駄菓子屋に通いながら、オトナになったら入ろうと決め込んでいた店だけに、訪れる度に大人になったなーと感慨にひたると共に、オトナになれたのか…?と、ふと胸をよぎりはしますが、美味しいお酒をいただきながら、お互いの子どもの頃のたわいもない話しでこんこんと盛り上がりました。小暗い店の中ではおおきな薪ストーブがぱきぱき鳴って、暖かな火をみつめていると、九州長崎の海沿いの町ですくすく育った彼女のとおい影までもが一緒に混じり込んで、色々なモノたちが煌めき出てくるかのような、マッチ売りの少女たち気分に酔いしれました…。

興奮さめやらず帰りそびれた私は雑司ヶ谷の彼女の家に泊まり込み、翌日、ふと気付けばクリスマスだというのに、落ち葉掃きとお線香の匂いが清々しい雑司ヶ谷霊園を歩いていました。

澄み切った冬晴れの霊園をあてどなく歩きながら、私は誰かの命日のように、幼年の地を訪れているのかもしれないな…と、思いました。



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