元旦想―〈血〉の味、〈血〉の装い クリハラ冉
今年もまた、えこし会恒例年越新年会がおこなわれました。大晦日よりえこし研究所の大掃除をし、徹夜で語り飲み明かして年を越し、明け方に初詣、お雑煮を食べて解散します。 今回の私の担当料理は、大掃除お疲れさまのビーフシチュー、そして元旦のお雑煮でした。 ビーフシチューは私の母がよく作りました。実家を出てもう10年になりますが、その間、えこし会の人々に食べてもらいながら、みようみまねで私も何度も作りました。 ビーフシチューにはひとつのエピソードがあります。何年か前、両親の留守に実家に行ったとき、帰りの遅い二人に夕食を、とビーフシチューを作り置いて帰りました。翌日、母からこんな電話がかかってきたのです。 「ビーフシチューになにいれたの?」 聞けば父が、母の作るのよりおいしいんじゃない?と言ったらしいのです。私もおどろいたのですが、次の母の言葉にもっとおどろきました。「あなたは血がつながってるからね」 私は1歳から4歳まで、父の母と共に暮らしました。祖母がシチューなんて作った記憶は私にはないのだけれど、舌は何かもっと根源の味を記憶していて、少しずつ血をさかのぼるように、祖母の味にまで歩み寄っていったのかもしれない……。 舞踏家大野一雄が日芸に講演に来たとき、お母さんの味はぜったいに覚えておかなければいけませんよ、と言っていたのを思います。大野一雄のお母さんの味とは、コキールという料理であったそうですが、どんなレストランに行っても二度とあの味に出会ったためしがないという。この味ではなくあの味だ、という舌がもつ絶対の記憶。それはレシピ云々の理屈を超えて、一点のくるいもなく確実に覚えているということだと思う。 お雑煮は、それぞれにお母さんの味があるものです。今回は私が母に聞いて作りましたが、今後、勉強会のあとには、それぞれの家のお雑煮をつくってみようということになりました。 夜明け前の初詣には、着物を着てゆきました。晴れ着というものではないけれど、母の紬に朱色の帯、祖母手作りの黒地に赤い格子模様の道行きを着て、母が染めた青い草履を履いて。祖母の帯留も、見ているだけで何かドキドキします。物の持っている記憶。そして私のカラダが持っている記憶。母の、祖母の、曾祖母の、そのまた母の…… 着物を着ることはそんなとおい血の記憶に身がまとわれていくようで、すんなりと馴染む感覚が不思議でした。 その後、えこし研から自宅にただ帰るのでは何となく、もったいなくて、きーんとはりつめた静かな元日の都会をひとり着物であるいてみました。 西欧人の親子とすれちがいさまに、私をみたお父さんが「ワォ」と言い、横で3歳ぐらいの少年が飛び跳ねながら叫びました。 「ゲーシャゲーシャ!」 しばらく意味が分からなかった私(芸者)。 今年最初のおぼろ月が見ていました。 |
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*くりはら なみ 『江古田文学』金子みすゞ特集を責任編集。評論「人間という名の喩」(『現代詩手帖』2004.11月号)ほか。近代女性詩人研究。 |
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