と・思うが

限りない欲望からくる”使いきりの法則” IT編

使いきりの法則は、小欲知足なる仏教用語が存在する事を見ても、人間の物欲、色欲、権力欲、・・・・等々の小欲に焦点を合 わせば切りなく増大するようだ。 別な表現を するなら、目の前に存在するもの、持っている物は全て使い切り、更に追加した 存在を求める。 使い切らずとも、限りなく増大する小欲を満たす為に、備えとしての蓄欲も誰 にでもあるものだろう。 幸い、金 欲の場合、有形無形、多種多様な形で蓄積するシステムや方法が存在している為、幾らでも、蓄積する事ができる。 この辺 は自分の身 体を対象にする食欲等とは大いに異なるところだろう。 だから食欲の場合は蓄積する限度があるから、量より質 へと欲望の求める方向が変化する。 権力欲も同じかも知 れない。  
ややこしい前置きはこれ位にして、ITに於ける、”使いきりの法則”に始めて気づいたのは、AshtonTateの時代である。 当時 (1989年)のパソコンのCPUのビット数は8ビッ ト、クロックスピードは8Khz程度であった。 今の64ビット、GHz PCとは当然 比較にならないスペックであり、フロッピーディスク、5Mのハードディスク、内部メモリー 1Mな んて時代だった。  これはこれ で当時は画期的なスペックであり、既に頭角をあらわして来た、Intelの Dr.Gordon Mooreの 「半導体の集積密度は18〜2 4ヶ月で倍増す る」と言う、1965年に発表した法則の通りに、その後のコンピューターは進化していったのは有名な話である。 
で、その当時、AshtonTate社では、有名なdBASE(パソコン用のRDMS = リレーショナルデータベース管理システム)とは別 に FRAMEWORKと言う、Xeroxのパルアルト 研究所出身の天才プログラマー Mr.カー氏(フルネームを失念)が開発した、一 つのソフトで、@ワープロ A表計算 Bデータベース Cグラフ の機能を当時のDOS上でこ なすと言う大変なソフトがあっ た。 何しろ、CPUもメモリーもまたDOSの制約である640Kバイトと言う限定領域の中に全プログラムを格納しなければならな いと言う絶対条件 を考えれば、大変な事であった。 その当時の事をイメージできない方々に敢えて説明するが、当時のパソ コンでは、ワープロの仮名漢字変換を待つのも忍耐が必要だった 事を考えれば、4つの別な機能を持ったソフトを同時に走らせ るのはほとんど不可能と思われていた。 でもこのカー氏は天才故、この事を当時の制約の中で見事に実現さ せたのである。   私が社長になりボーランド社に吸収合併されるまでの3年間で、このFRAMEWORKはIからIIへ進化した。 Iを8KhzのPCで 走らせ、表計算をするとスクロー ルの速度が秒速5cm程度、それを16Khzでやると25cmと飛躍的に増大する。 ところが新 しいVersionのFRAMEWORKIIで16Khzでやると5cmになってしまう。 32Khz のPCが出て、初めて25cm・・・・・、だからアプ リケーションを素早く処理したいのなら、古いVersionを新しいPCで使用するのが得策・・・・  これが私の初の”使いきりの法  則”の発見の瞬間だった。 ようするに、人はパソコンのソフトに対しても、次から次へ改善、新機能の追加、便利さ等々を付け 加えVersion Upして行き、またそのソフトを処 理するCPU、メモリー等(箱と呼ぼう)もMooreの法則で2年で倍の処理能力を増 大させる・・が、 結果体感処理速度は全く向上しない。 勿論、そのトレードオフ(Trade Off =代償として)として新機能なりユ ーザーインターフェースの向上なりが得られるのだが、問題はその新機能をユーザーの何パーセントが使い切るのかは実に疑 問である。  1989年以来、約20年、”使いきりの法則”を現場で検証して来たが、現在でも全く変わっていない。 これはパソコ ンのソフトに限った話ではなく、CPUが存在する携帯電話、 ビデオ、家電でも言える事で、箱が向上してもそこに存在するソフ ト、特にOSの複雑さが初期起動を著しく遅くし、使いたい時に使えない”立ち上がり待ち現象”が多発してい るのである。 幸 いにして物の本質のわかっている昔からのカメラ銘家(メーカー)が最近、この事に気づき、Digitalカメラの起動時間を短縮する 努力をされており、やはり物の 本質の解る人間がその人間力を武器に、IT技術者と対峙すると良い物ができるのだと安心もし ている。 

いづれにせよ、この使いきりの人間の欲望が、技術の進化(より細い線を引く技術等々)、人に優しい技術の提供(User  Interface等々)と言う、人や人間社会への貢献との 名のもとに、ここ20数年IT業界を席捲して来た、MicroSoftとIntel社の戦 略に乗せられた末路であるように思う。 勿論、技術や、ヒューマンインターフェースの進化は、それ まで使えなかった多くの 人々に救いを提供したであろうし、またコスト的な低減にも大なり小なり貢献してきた。  だから一方的にMSやIntelの罪を問 うのではなく、功罪の 功を人の本当の知恵で活かして行くことが肝要だ。 それがITから発するEcologyにも繋がると確信す る。  




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