春の暖かな陽射し。爽やかに木の枝をざわめかせる風。そして黒板の単調な音。
 これら三拍子が揃って、授業中にフィリアが眠くならないはずが無かった。かといって、フィリアが授業中に寝たことは無かった。真面目なわけでも小食なわけでもなかったのだが、どうやら睡眠時間意外は眠くならない体質らしかった。

 前の席の奴が朗読している――とすれば次に当たるのはフィリアだ。しかし、フィリアは話をあまり聞いていない。
「次、二十三行目ですわ」
 そう。フィリアには隣にアミーナという強力な助っ人がいるのである。
「さんきゅっ」
 直後、教師の尖った声が聞こえる。
「フードシェルッ、次、読め!」
「はい」
 フィリアは教科書を読まされてトチったことはない。練習量はほとんどみんなと変わらないのだが、引っ掛かったり詰ったりすることはなかった。
 それはアミーナも同じことだ。きっとこれは、俗に言う“天性”とかいうものなのだろう。そう言えば三時間目のミニテスト、揃って百点はクラスで二人だけだった。

 休み時間、早速雑談を始める二人。
「助かった、サンキュー、アミーナ」
「いいえ。それにしてもそのままで成績が下がらないんですから、尊敬しますわ」
「アミーナも変わんないじゃんか……」
「そんなことないですわ」
 アミーナの満面の笑顔。やはりこの手の天然さんは苦手だ、とフィリアは苦笑いして肩をすくめた。

 その様子を、少し離れた席から無表情に眺めている男子生徒が居た。男子生徒の名はジョージ=ザーシック。
 彼は、あまり笑うということが無かったし、むしろ無口だった。それは幼い頃親を亡くしたせいなのか、別に理由があるのか、彼自身誰かに明かしたことも無かった。

 けれど、間違いなく彼がフィリアに向けている表情は、「尊敬」「憧れ」のどちらかであったはず。つまり彼は――その、はっきり言えばフィリアが好きだった。
大胆な行動、性別の壁を打ち破る言動、そして自由な生き方に、彼は憧れていた。


 彼の頭の中に、過去の画面が浮かび上がる。中学生時代のホロ苦い思い出が。
 その頃、フィリアとジョージは結構仲が良かった。フィリアもジョージも、全く意識していなかった――筈だった。


『俺――は……、お前が――好きなんだ』
 無口だった彼がこんなことを口走ったのだから、よほどの想いだったのだろうと予想される。
『……』
『……』
 ジョージにとってのかなり気まずい沈黙が、さらに追い討ちを掛ける。
『オレもお前、好きだけど?』
『――友達として、だろう?』
 フィリアは首を傾げた。そして、とても気まずそうに聞く。
『お前のは――恋情として、か――?』
 ジョージは俯いて何もしゃべらない。それが彼なりの「イエス」だった。
『ゴメン――オレさ、恋愛とかそーいうのと無縁だと思うんだ』
『……無縁?』
『あぁ。親が目の前で離婚してからかな――そういうの全般が苦手になった』
『……』
『当分そういうの信じられそうに無い。友達で居てくれないか』
 フィリアが、ジョージに言えるせめてもの言葉は、それしか見当たらなかった。元々ドラマみたいなオーバーな展開が苦手だったフィリアには、恋愛という存在自体も信じられなかった。
 決してジョージが信じられなかったわけではなく。
 真剣なフィリアの瞳が、同じく真剣なジョージの瞳を見つめ返す。
『――解った。ありがとう』
 そう言われるのなんて百も承知だった。
 大体「告白する人」自体がそういうコトと無縁だなんて、常識ぐらいにわかっていた。
 自分が恋人になることで「信じられない」なんて言わせない、ぐらいの勇気があればよかったのだろうか、いや――、違う。フィリアは恋愛の欲がないに等しい。
 フィリアと恋人同士になるなんて、星の数を数えるより難しい。彼も、そして周りの人々も、それはしっかり認識していた。


 ジョージはフィリアの言葉で、我に返る。

「そういや、アミーナの家って見たことねーなぁ」
 フィリアは何の気無しにアミーナに話しかける。
「えっ――。そう――ですか?」
「んぁぁ」
 アミーナがちょっと気まずそうな顔をした。
 どういう事情か知らないが、「見られたくない」のだろうと、誰でもその顔から察することが出来た。
 フィリアはチラリとアミーナを見て、話題をそらす。
「今日も来てくれんのか?」
「えぇ。迷惑じゃなければ」
「迷惑どころかオレら大感謝だよ。誰も飯、作れねぇんだもん」

 いつもと同じく、他愛の無い雑談を交わして、帰路につく。その時間の楽しさは無限に感じられるけれど、何時も直ぐ分かれ道が見えてしまうのだった。
 じゃあ、あとで、と言ってフィリアとアミーナは別れる。
 アミーナは自分のことについてはとくに語らなかった。相変わらず家族みたいに夜ご飯を作っていってくれる。そんなんじゃ忙しいから、一回一緒に食べて行かないかと誘ったのだが、断られてしまった。
 来る時間は絶対変わらないけれど、毎日違う物を作ってくれるし、その味も天下一品モノだった。
 アミーナが休んだことは一度も無かった。毎日六時に来てくれる。体は見た目ほど弱くないようだ。


「ただいまー」
「お帰りなさい」
 今、挨拶を返してくれているのはダリルとルーシー、のはずなのだが。聞こえたのはダリルの声だけだった。
「んあれ? 猿は?」
「部屋で寝てます」
「……?」
「実は――」
 ダリルがことの粗筋を説明する。
 ギラド=ラーファルさんの妹のララキーさんとルーシーさんが闘ったこと。同じくギラドの彼女ユーヴィさんが自分と闘って、一時的に自分が勝ったこと。ギラドさんが力を使い果たして倒れていたルーシーさんを連れてきてくれたこと。
「……ギラドさんって、本当に悪い人なんでしょうか」
「いや、そうは思わねぇな――」
「……」

 ダリルは、一番気になっていたことを、ついに口にする。
「あの――、フィリアさん」
「んー?」
「僕は――フィリアさんの何ですか?」
「えっ……? 何だよいきなり?」
「ユーヴィさんに言われたんです――あんたはフィリアの何なんだって――僕、答えられなくて」
 フィリアはちょっと目を瞑ってから、もう一度聞き返す。
「じゃあ、何て言って欲しいんだ?」
「え……っ」
「オレは友達でも仲間でもないのか? 何て言って欲しいんだ?」
「でも――あまりにも抽象的で……。例えばフィリアさんの“学校の友達”とは違うはずです」
 フィリアの頭の中には、瞬時にアミーナの顔が過る。
「じゃあオレはお前の彼女だ」
「……はぃ?」
 唐突な言葉に、ダリルは驚かずにはいられなかった。もちろんダリルだってフィリアが恋愛と無縁なのを知っていたからこそ、酷く驚いたのだ。

「皆言うんだ。恋人って言うのは愛し合ってる人達のことを言うんだ、って。でもオレ、よくわかんねぇ。愛って何だよ? 好きだってコトじゃないのか? お互いに好きなら“愛”になるんじゃねぇのか? ……オレには“好き”と“愛”とかいうのの区別がつかねぇんだ。だからこのままでいい! オレはお前の彼女だ。不服か?」
 ちょっと普通の人とは違う感覚。何を恐れるでもなく、大胆な言動。そういえば、こういう人は好きだなぁ、とダリルは素直に思う。
「いいえ、喜んで」

「ひぃえーッ、遅刻ーッ!」
 黄色い声がして、部屋にルーシーが飛びこんできた。
「おい猿ッ、目を覚ませ! 今は夕方の六時過ぎ――」
 言ってみて気付く。
「――アミーナが来ない?」



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