「うーん、なかなかとれませんねぇ、このコーヒー……」
 ダリルは汗を拭って、また洗面器の前にしゃがみこんだ。さっきからずっとこすっているのだが、この小憎たらしいコーヒーは一向に取れる気配が無い。
「仕方ないですね。訳を言ってこれは乾かすしか――」
 ダリルがまた立ち上がったときだった。屋根の上に、何者かの気配が漂っているのが、ひしひしと感じられる。
「どなたかいらっしゃるようですが――駄目ですねぇ玄関から入ってもらわないと。屋根がメシメシ言ってます」
 ダリルは窓から顔を出して、屋根に向かって一斉に枝を出した。枝は屋根を囲うような状態になって、まぶしい日光を浴びて勢いよく飛び出して行った。
ザァァッ!
 ドダダッ
という、間の抜けた音が屋根を通り過ぎたが、次の瞬間鈍い音が響き渡った。
「あらら――別に叩き落すつもりは無かったんですが――」
 ダリルは相変わらずニコニコしたままで、ちょっと首を傾げた。笑顔のままで、こんなに“怖い”ヤツはいるだろうか――?
「さてと、乾かしますか」
 ダリルは、少しだけ薄くなった茶色いシミを見て、ふぅとため息をつく。もう今の足音の奴などどうでも良いといった感じだ。それに、これだけでやられてしまうような奴では、到底相手にならなそうだ――。
 なるべくキッチリ絞ってから、ダリルは外へ出た。
 春になりかけの今日の陽射しは、昨日の気温より大分上回っているようだ。まさに“爽快”という言葉がピッタリの、そよ風が吹く野原。寒くはなく、暑過ぎもせず、ひんやりした手が素早く頬を撫でてゆく。青々と茂った草が、その手と一緒に寸分の狂いも無く翻っている。
 真っ青とまでは行かないが、澄んだ水色の絵の具が、上一面を覆っている。ところどころ、落書きしたように純白の絵の具が混じる。
「いーい天気ですねぇ。そう思いませんか?」
 上着を竿に引っ掛け終わったダリルは、屋根の下で腕をさすっている若い女性に声をかける。
「もしかして――さっきの枝はあなたが――!?」
「何か言いました?」
「いいえ、別に……」
 突っ込んだダリルの口調は、相手に有無を言わせなかった。
 にっこりしたままのダリルの顔は、決して変わることはなく、むしろ彼の怒りという感情を見つけるのが難しいくらいだった。
「私が狙ってるのはあなたじゃないわ――あなた、フィリアって知ってるかしら?」
 ダリルが少し反応する。
「知っていたら――何か?」
「あらそう――知ってるのね。力尽くでも聞き出すわ」
「それはそうと、あなたは?」
「……私はユーヴィ=ラーファル。未来はね」
「ラーファルさん……三番隊隊長さんの関係者ですか――それにしても未来とは……?」
「私はギラドの彼女よ。未来の結婚相手。決まってるでしょ」
「――つまり思い込みなんですね?」
「うるっさいわね! 何だって良いわよ」

「それより、フィリアさんを探しているとか?」
「あんた、話題を一つに絞るってことが出来ないの!?」
 ユーヴィが憤慨し出した。
「出来ないみたいです」
「……あんたと話してるとすごく疲れるわ」
「僕は疲れないですけど?」
「まぁいいわ――」
 ユーヴィは、声のトーンを下げた。いかにもガッカリ、といった感じだった。
「ギラド、帰ってきてからずっとそのフィリアって女の事ばかり話してるのよ――。その女なんてバズ族じゃないくせに――! 私からギラドを奪い取る気なんだわ」
「つまり被害妄想なんですね?」
「何よ! 妄想ってッ!!」
「フィリアさんもギラドさんも、そんな風には思ってないですよ」

「……あんたに何がわかるのよ! あんたは“フィリア”の何なのよ!!」
「――え」
「ギラドのことは私が一番理解する――今もしてると思いたい――あんたはフィリアの何よ!?」
「僕――は――フィリアさんの――」
 答えられなかった。自分は、フィリアの何だろう?
 “知り合い”? 数ヶ月一緒に暮らしてたのに?
 “友達”? なんだかもっと違う気がする。
 “仲間”? そうだけど――なんだか抽象的だ。
 いくら考えても、その思考はエンドレス――終わりの無い、タチの悪い迷路だった。ダリルはユーヴィの前で、初めて笑顔を消した。
「他を当たるわ――邪魔したわね」
 ユーヴィがくるりと背を向けた。

「待ってください」
 ちょっと許せないな、といった口調のおかげで、ユーヴィの行きかけた足が止まる。
「何か?」
「僕はフィリアさんの何だって構いません――僕にとってのフィリアさんは何にしても“大切な人”ですから。フィリアさんを倒すというのなら――僕の次にお願いします」
「……命は無駄にしない方が良いわよ?」
「あなたこそ」
 二人とも笑顔だ。ダリルはいつもと変わらない笑顔。ユーヴィは不敵で冷淡な笑顔。
 二人の目の間に火花が飛び散った。



「ギラド様ーッ」
「――どうした? あまり騒がしくしない方が――」
「それがッ、ララキー様とユーヴィ様がいらっしゃらないんですっ」
「何ぃ……?」
 ギラドが顔をしかめる。でも、それは心配した表情ではなく、あきらかにその事実をいやがる表情だ。その顔から、こんなことは日常茶飯事なのだろうと容易に想像できた。
「で? 誰か目撃者は?」
「マムシ村を出て走っていくのを村の者が目撃しています」
「……東のゲートか? それとも南のゲートか?」
「それが……西のゲート、なんです……」
「……あのバカ……」
 ギラドにはわかっていた。アルロジックに向かうとなれば、目的は一つだ。
「お前等じゃ敵わないと言ったはずなのに――」
「お言葉ですが――それじゃないでしょうか」
「ん?」
「敵わないと言われたから――試しに行ったのでは?」
「――成る程……」
「どうします? 三番隊、動きますか?」
「いや――必要無い。ララキーとユーヴィは殺されはしない。ただ――あいつらプライドが高いのでな。プライドの為に自分を傷つけかねない」
「……?」
「私一人で行く」
「ハッ、いってらっしゃいませ」



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