「もうっ。姉貴のバカ! よくもあたしの上着にコーヒー零したわね!?」
「謝ったじゃねぇか! そんならお前が前オレのコートびしょびしょにしたのはどう説明つけるんだよ!」
「濡れたのは乾けば終わるけどコーヒー乾いたら取れないのよ!? どーしてくれんの!」
「そういう問題か! 犯行は変わらねェだろーが!!」

「はいはい、ルーシーさんの上着は洗っておきますから、二人とも学校に行ってください」
 三人の朝の喧嘩は、ダリルの屈託の無い笑顔で丸くおさえ込められてしまう。一理あるという考え方よりは、それを言ってしまえばそれまでという正確さが勝っている。
 二人の会話にこれまでついてきた人は初めてで、ダリルはいつもストッパー役だった。この数週間で、ダリルは慣れたより先に最初からそこにいるかまでに馴染んでいた。
 もう仲間。家族といわれても可笑しくないほどの。

 アルロジック国には学校がたくさんあった。国自体が全体的に裕福だし、意外と高貴な町や村が多かった。
 アルロジックの国の人は温厚で、人々は助け合い、苦しみを分かち合うことで歴史を刻んできた。住んでいるといえば羨ましがられるほどだ。――夕方は誰一人出歩かないということだけを除いて。
 フィリア達は国の端っこに住んでいる。ソルガ村はどちらかというと裕福ではないのだが、福祉施設は他の村に比べると多い。
 そして、何よりポエットがとても多い地域だった。だからこそポエットの記念碑や生家も多い訳で、バズ族が狙うのも無理はなかった。でも――バズ族の住むサビラの国のマムシ村とソルガ村は、正反対のはず。フィリアは頭に、アルロジックとサビラとを思い浮かべて考え込む。
 アルロジックの国の形は、ネコが牙をむいた横顔によく似ている。
ソルガ村はネコの上の牙に当たる部分、マムシ村はネコの頭の後ろに当たる部分だ。

 フィリアとの口喧嘩のせいで、ルーシーはけっこう遅刻寸前だ。
 しかもこの“ソルガ村立シェルナ小学校”、規則が厳しいため遅刻すればバケツを持って廊下行きだ。
「あたしが遅刻したら呪ってやるわ!! バカ姉貴ッ!」
 その時だった。急に、辺りの空間が歪み始めた。
「なッ……何、何!?」
 気持ちが悪い――目の前がぐにゃぐにゃと廻っている。家が曲がり、木が曲がり、自分の手さえも曲がって見える。
「い――いや……遅刻するうぅぅっ!!」
 でも、少しだけ真剣に考えるようになったのは、渦巻きと同時に“アレ”の気配を感じたから。ルーシーの目が、反応している。

「キャハハハッ! どうニャ、ララキーのぐるぐる攻撃ィ」
 突然、陽気で幼稚な声が聞こえた。耳にまとわりつくような感覚を感じるその声は、ソプラノの一オクターブ上だった。
「何よっ、誰なの!?」
「教えないもーんっ。ララキーは良い子だから兄ちゃんのいうこと守るんだもんっ」
「……誰か見えないけどあんた、名前ララキーって言うのね?」
 ルーシーが目を押さえながら言った。もうすでに頭の中が渦巻いていて、何が何やらわからない。これ以上廻されたら、こっちが駄目になってしまいそうだ。
「えっ!? 何で知ってるのニャ!! さては兄ちゃんに聞いたんだニャ!?」
「知らないわよ! 勝手に言ったんじゃない!! あんたの兄ちゃんって誰よ!!」
「世界で一番スゴイ人ニャ、ギラド兄ちゃんはっ!」
「……ギラド?」
 ルーシーは、渦巻く頭で、記憶の断片を懸命に探った。
「……ああぁぁぁぁあぁぁーッ!! ギラド・ラーファル!!?」
「そうだよっ! ララキーのホントの名前はララキー・ラーファル、ニャ」
「いやにラが多い名前ね」
「うにゃーッ! いいんだもんっ。ママがいなかったララキーに、兄ちゃんが付けてくれた名前だもんっ」
「どうでもいいけどあんた、よくペラペラ喋ってくれるね――いい加減“コレ”止めてくれない?」
「いいニャ」
 さっきまでの現象が嘘のように感じさせるほど、廻りは正常になった。ルーシーがおそるおそる顔を上げると、ララキーのやったことは本当だったとわかった。そして、犯人の顔を見ようと周りを見まわす。
 その瞬間、目の前に逆さで、ネコの着ぐるみを着た女の子の顔が飛び出した。
「わっ!」
 ララキーと証明された(名乗った)女の子は、ニヤ、と笑ってくるりと降り立った。
「君はララキーと同じ位の年齢ニャ?」
「……あんたいくつよ」
「六歳」
「チービ。あたしは十歳よ」
「おとニャげニャいね……」
「……」
 ルーシーは、ナメた態度のララキーを見て、イヤそうな顔をした。
「そういえば、それ何よ?」
 ルーシーはララキーの乗っていた“雲”を指差していった。
「これは浮雲チャンだよ!」
「うきぐもちゃん……だぁ?」
「そーだよ! ララキーの行きたい所に連れてってくれるニャ」
「孫悟空じゃないんだから……」
「ララキーはお猿さんじゃないよ?」
 ルーシーは小さくため息をついて、時計を見た。グルグル廻された時間はきっと十分前後だ。
「うぁー……駄目だ、まだクラクラする――なんで止めたのよ?」
 立ち上がろうとしたルーシーがまた座りこんだ。
「だって君が止めてっていったんじゃん。いけニャかった?」
「いや――あんた――敵とかそういう自覚は?」
「敵ってニャに? なにか可愛いもの?」
「……!!」
 これ以上の押し問答は無用だ。そしてルーシーは、自分が遅刻しそうだったことに気づく。本当は一刻も早く学校へと向かわなければならないところだ。
「あっちゃー……三十五分オーバーしてる」
「そういえば君、どーしてギラド兄ちゃん知ってるの?」
「……その前に聞きたい。あんたバズ族?」
「そだよ」
 あまりにも明朗快活な返答に、ルーシーは何も言えなかった。
「ねぇ、答えてよぅ、何でギラド兄ちゃん知ってるのよ」
「……知ってるも何も、うちの姉貴がそのギラドってヤツと闘ったから――」
「あんたの姉貴っ? もしかしてそいつ、ヒリアーって名前?」
「ヒリアーじゃない、フィリアだよ――」
 しまった、とルーシーが思ったときには遅かった。ララキーは素早く雲に乗りこもうとしたのだ。

「ちょっと待ったァ!!!」
「ララキーのこと? 今ララキー、急いでるんだけどな」
「姉貴に何か用?」
「だぁってギラド兄ちゃん、帰ってきてから、闘ってきた女の人のことばっか話してるんだもん! ララキー、勝負しに行くの」
 ララキーはまたルーシーに背を向けた。
「待てって言ってるでしょうがァ!!」
 ルーシーがついに怒鳴った。
「姉貴を倒すんなら、あたしを倒してからにしてくれる?」
「えーっ。君を倒すの? 弱そう」
「聞き間違いにしてあげても良いんだけど? おチビさん」
「チビじゃないもんっ、ララキーはララキーだもん!」
「ま、いいんじゃん? 妹同士ってコトで」
「もう、しょうがないなー、急いでるのに」
 しょうがない、なんて言ってるくせに、ララキーの目は闘志に燃えていた。ルーシーとララキーの間に、何とも言えない緊張感が漂っている。



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