月夜――と言っても、満月なんかではなく、三日月よりもさらに細い、まだ一日目か二日目の月だ。その月は、下で起こっていることを見て楽しんで目を細くしているかのようだった――不気味に。
――ドカッ
――バキッ

 二人の大柄な男性が、細身の男性に暴行を加えている。もう男性の意識はうすれているようだ。このまま殴り蹴りしていれば、間違いなく死に至るだろう。

――ズガシュッ
 そのときだった。大柄な男性のうちの一人が、前のめりに吹っ飛んだ。男性の後ろには、これも細身の女性が立っている。
 吹っ飛ばなかった方の男性が、憤慨して女性に殴りかかるが、女性はいとも簡単に男性を返り討ちにする。
 さきほど吹っ飛ばされた方の男性がヨロヨロ立ち上がり、今度は腰の刃物を手に取って女性に斬りかかる。
 何が起こったのか、この暗い道ではよくわからない。
 でも、一瞬とても赤い光が辺りを照らしたかと思うと、そこにはもう女性しか立っていなかった。

 少し風が出てきた。女性の長い髪が、サラサラと風になびく。女性は、意識の薄れた細身の男性を担いで、スタスタと去って行った。
 どうしてそこに、殴られた男性と黒焦げの男性が倒れているのか、あの細目の月だけが知っていた。



 朦朧とする意識の中で、男性はふと目を覚ました。深緑色の髪は、乱暴に枕におしつけられて、少し曲がっていた。
 生きているのが不思議なくらい――動けば体の節々が痛む。
僕はどうしてここにいるんだろう――?
僕はどうして生きているんだろう――?

 不意にドアが開き、長髪の女性が入ってきた。
「目は覚めたみてェだな」
「あの――あなたは――?」
「あぁ、怪しいモンじゃない。オレはフィリア・フードシェル。フィリアでいい」
「僕――夕べ――?」
 一瞬、男性もフィリアと名乗った女性も沈黙を漂わせた。本当に言って良いことなのかどうか迷ったのだ。
 それでも、先に口を開いたのは男性だった。
「助けてくれたのはあなたですか?」
 今度は、はっきりと。自分の中に残っているあのときの意識は、誰かに助けられたという事だけだったからだ。
「ま、そうだと言えばそうだな」
「ありが――」
「おっと、礼は言わなくていい。家の外で騒音がしてたからぶっ飛ばしただけだ」
 フィリアはあえて気を遣わせない。そして、夕べの事も深く聞かない。それがフィリアなりの考え方だからだ。

「姉貴ーっ、どうよ?」
 キンキン声がして、茶髪の女の子が入ってきた。
「あんま金切り声出すなよ。鼓膜が破れる」
 うんざりした口調でフィリアが返す。もう相手なんか声だけでわかっているといった感じだ。
 そして、何より男性が驚いたのは、フィリアと、入ってきた女の子がうりふたつだったことだ。目の色も大分似た橙色。そして、女の子のほうが幾分か小さいものの、その顔はまさにフィリアのミニ版だ。
「姉妹さんですか?」
「そう。妹のルーシー。正確には一匹と数える」
「んもう。うるっさいなー姉貴は。姉貴の単位は一頭でしょ。ところで、お名前なんて言うの?」
「ったくお前は馴れ馴れしいな」
「姉貴も変わらないでしょ」

「僕は――カレイングです」
「カレイング? ファーストネームは?」
「……わかりません」
 彼に親の記憶は無かった。そして、自分の記憶さえも。
「んー、じゃあオレが付けていい?」
「駄目に決まってるでしょーっ! なぁんで姉貴に付けられなきゃいけないのよっ!」
「駄目かなぁ……? なぁ、カレイング?」
「呼ぶときは――どうぞご自由に」
「ほらなっ。じゃあ、ダリル。ダリル・カレイング」
 ルーシーが絶望の色を隠せない。
「そのさぁ――いい加減、センスの無さ、直した方が良いんじゃない?」
「何で? ダリルじゃ不満か?」
「えーっ。じゃあ、カレイングはそれでいいのー!?」
 二人の視線が自然とカレイングに向く。カレイングはびっくりした顔を、笑顔に変えてこう言った。
「……えぇ。そうさせて頂きます――どうぞご自由に」

――コンコン
 ダリル、と名付けられた男性がそう言い終わったとき、ドアのノック音が響く。
「あら、気が付かれたんですね。サケのお粥作ったんですけど、いかがですか? それと、フィリアちゃんとルーシーちゃんはお紅茶、いかが?」
「「もちろんいっただっきまーす!」」
 二人の声が揃った。そしてその瞬間、二人は顔を見合わせてお互いにイヤそうな顔をした。そこまで揃いも揃って、笑うなというほうが無茶なのだろうか。
 ダリルが、初めて声を上げて笑った。
「ふふっ……」
「……!」
 “笑われた”……フィリアもルーシーもその場で固まった。

「あ、そうだ、紹介するよ、こちらはオレの友達で、アミーナ。アミーナ・ポンフリーってんだ」
「どうぞよろしくお願いします」
「で、アミーナ、こいつはダリル・カレイングだそうだ」
「センスのない姉貴がダリルなんて名前をつけましたー」
 ルーシーが冷やかす。フィリアはばかにした目つきでルーシーを見下ろした。
 そして、皮肉たっぷり不敵に笑いながら問いかけた。
「おや、なにかな? ルーシー君。だったらチミはどういった名前を付ける、と?」
「えー。たとえばぁ……ジョンとか、ジミーとか……マイケルとかっ?」
 一同が沈黙を漂わせざるを得なかった。漫画の効果音なら、紛れも無く「シーン」、だった。
 当の本人は気付きもしない。――フィリアにじっとりとした目つきで見られていることも、アミーナとダリルが何も言わなくなったことも。
「だって、そのほうが格好良いもんね」
 まだ気付いていない――! 一同はさらに沈黙を深める。
「えっ? 思わない? 超格好良い名前じゃんっ」
――それでか! もう一同は何も聞かなかったことにした。
 一瞬遅ければ
ジミー・カレイングだった――! ダリルはこの安易兄弟を思い、冷や汗を流す。

 ダリルはやっと、アミーナのサケ粥にたどり着くことができた。アミーナはとても熱いのを作ったらしく、まだ温かかったので、丁度良い温度で食べることができた。
 フィリアとルーシーは、まだぎゃあぎゃあと騒ぎながら紅茶を飲み干す。
「アミーナは? 紅茶飲まないの?」
「えぇ。私はいいですわ。もうすこしでお暇しなければなりませんし」
「そういやアミーナって、うちらと一緒に飯食ったことないよな?」
「そうかもしれないですねぇ。丁度時間帯がずれてるんじゃないでしょうか」

「あたしはもうちょっと上品な姉が欲しかったねっ。例えばアミーナさんみたいな」
「オレはもっと出来の良い妹が欲しいよ。お前走るだけしか取り柄ねぇんだもん」
「もーっ、いつまでたってもムカツク姉貴だわ!」
「チミがそんな性格じゃなかったらオレもこうじゃなかったのにねェ」
「「べぇえーっ、だ!」」
 姉妹ってそんなに似てるものなのか――舌を突き出す場面まで一緒だ。
 二人はまだ足りないかのように騒いでいる。最後にはついにふんっと同時にそっぽを向く。
 そんな様子を、ダリルがびっくりした表情で眺めている。彼は、こんな和やかな部屋に存在したのは――初めてかもしれなかった。

 アミーナが笑いかける。
「こういうテンポ――お嫌いですか?」
 ダリルは、金色の瞳でしぱしぱと瞬きをしてから答えた。
「――いいえ」



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