*** SCENE 14 ***
 



 腹はたつが,千葉が何かやらかしていたら面倒だ。行ってみよう。

「しかたないな」
 時計を見ながら言った。
「『北風』って上杉尚也の家だよな? ここからどのくらいかかるんだ?」
 瀞南寺は本当に行くんですか,と困ったように笑ってから,同じように腕時計に目を落とした。
「そうですね,車で行けば指定の時刻には間に合うでしょう。送りますよ」
「すまん」
 どうしたの?と台所から顔を出した茶山に断って,俺たちは松山家を辞した。
「……しかし,お休み中だったんじゃなかったんですか」
「まぁ,預けられたものを受け取るだけならな。帰ってすぐ寝ればいいし」
「『帰る』ねえ……」
 俺は思わず彼の横顔を睨んだ。瀞南寺は曖昧に笑っただけだった。つまり,こいつも俺が家を追い出されてきた事情を知ってるんだろう。大変ですね大谷さんは,と呟く口調は,俺に心底同情してくれているようにも聞こえるし,だからと言って関わりあいにはなりたくありません,と言っているようにも聞こえる。というかおまえが「大谷ポジションにだけはなりたくない」とか言ったの,ちゃんと知ってるんだからなこんちきしょう。
 
 10時25分。喫茶「北風」はまだ営業していた。夜には「スナック」になってるらしいですよ,と去り際に瀞南寺が説明してくれた。店主がちゃんとシェーカー振って,オリジナルのカクテルとか出してくれるらしい。
 しかし,「バー」でなくて「スナック」なあたり,何となく店主の性格を現しているんじゃないかというか何と言うか。不思議な感覚だ。
 その店主はカウンターの奥で何やら炒め物の最中だったが,顔を上げ,見事な営業スマイルで「いらっしゃいませ,お一人ですか?」と言った。彼は上杉尚也の父親だという話だ。隣で黙々とグラスを磨いている息子に,なるほどよく似ている 。が,近寄りがたい雰囲気のある彼と違って,温和な人格者,といった感じ。
「お飲み物は何になさいます?」
 上杉がメニューを差し出してきたが,俺はそれを断った。
「千葉からこんなもんを受け取ったんだが,心当たりはないか」
 カードを見せると,上杉はさっと文面に目を走らせ,「存じません」と言った。
「知らない?」
「何のことかわかりません」
 彼はどうだ,とばかりに父親に目を向けたが,店主も首を横に振る。
「なんだ,やっぱり千葉のイタズラかな」
「イタズラにしても,意図がまるでわかりませんね。こんなことをして,彼に何のメリットがあったというのか……」
 もっともな意見だ。しかし,アレはメリットだとかデメリットだとか合理性だとか論理性だとか,そういうものを一切度外視して生きてたヤツだからなぁ。さてどうしようか,と思っていると,背後でドアベルが鳴った。
「あ,大谷さん。本当にいらっしゃるとは思いませんでしたよ」
 ドアの前に藤原悠貴が立っていた。走ってきたらしく,頬を上気させた彼は,
「これ,家の郵便ポストに入ってたんです」
 と,俺宛てのとそっくりなカードを差し出してきた。
「もしかして,千葉か?」
 聞くと,悠貴は少し困った顔をして,
「『○月×日午後10時30分までに,このカードを持って△番外の喫茶「北風」まで行ってください。行かないと,大谷所長がひどい目に遭いますよ』だそうですが……」
「…………」
「変な男だな」と上杉が極めて率直な感想を漏らした。「藤原,それでわざわざやって来たわけか」
「うん。だって万が一,大谷さんがひどい目に遭ったら大変だし」
 と,にっこり微笑んで言う藤原。
「…………」
 目頭が熱くなった。
 俺ははっきり言って,藤原が大好きだ。(そこ,断っておくが変なイミじゃないぞ)
 なんたってこの澄んだ瞳! 優しい微笑み! 誠意に満ちた態度! すばらしい! 俺の周りのアレとかコレとかソレとかに爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだぜこんちきしょう。
「で,だからこのカードがなんだって言うんでしょう」
「あ,そうそう。そうだな」
 我に返ってカードをためつすがめつする。俺のとまったく同じようなカードだった。
 やっぱり千葉のイタズラなのか? それにしては,やはり腑に落ちんところもあるのだが――


 ⇒ カードをもうちょっと調べてみよう。
 ⇒ 他に何もなかったのか,と藤原に訊いてみよう。