幸せって何ですか?





第5話


 1999年1月5日
 


 朝食のとき珍しくバイザーを付けずにやってきた景太郎。
 不審に思ったしのぶが、

「浦島さん、あの、バイザーどうされたんですか?」

 と聞くと、

「……あぁ、忘れた」

 ぼーっとしたまま答える景太郎。
 その後も、もそもそと雑煮を食べる景太郎。
 妙に顔が赤く、目も潤んでいる。
 アルバイトでこの場にはいない素子と、いつも通り二日酔いで潰れているみつねを除いた住人達の驚いた顔を尻目に、景太郎は食事を終えた。
 そのままの表情でしのぶに、

「前原……」

「は、はい」

 久しぶりに見る景太郎の素顔。
 思わず見つめてしまうしのぶ。
 しばらく悩んでいた景太郎、意を決して話し始める。

「実は、な……」

「ひゃい!」

 そして更に開かれる景太郎の口。

「体温計は、何処にあるんだ?」

「へ?」

「起きた時から体調が優れないんだ。体温を測ろうと思ったのだが……」

 どうやら景太郎は風邪をひいたようだった。







幸せって何ですか?





第6話



 あの後しのぶから体温計を受け取り熱を測った所、三十九度二分もあった。
 かなりの高熱だ。
 今日は寝ていた方が良いと判断した景太郎は、しのぶに素子に対する訓練中止の伝言を頼むと自室に戻りベットに横になった。
 ベットに入ると同時に強い倦怠感と眠気が彼を襲う。
 彼はその感覚の身を委ね、夢の世界へ旅立った……





 タッタッタッタッタ……

 何時の間にか、景太郎は何処かの建物の中を走っていた。
 目の前の曲がり角から誰かが現れる。

(あれは敵だ)

 なんの疑いもなく判断し、引き金を引く。

 タタン!

 右手の小型拳銃から飛び出した弾丸が、敵の額を正確に撃ち抜いた。
 だがまだ見えない敵が居るのが分かる。
 後ろから追いかけてくる気配がする。
 中に誰も居ない事を確認して、横に見えるドアを開ける。
 中に入りふと自分の服装を確かめる景太郎。

「これは……」

 景太郎が着ている服は彼がハンスと出会う前に居た所で支給された服。
 白い戦闘服だ。

「何故これを?」

 そこで気がつく。

「夢、か……」

 夢と自覚した途端、足を掴まれる。

「なに!?」

 慌てて足元を見ると無数の青白い手が足を掴んでいる。
 いつの間にか足元はタイル張りの床ではなく、どす黒い何かになっていた。
 その黒い何かは、まるで底なし沼のように景太郎を飲み込んでいく。

「くそ! 放せ!」

 タン! タン! タン! カチッカチッカチッ

 既に腰の辺りまできてている手に対して発砲するが、手はまるで意に介さない。その上、直ぐに弾切れになってしまった。
 手を振り払って逃げようにも、まるで身動きがとれない。そのまま為す術もなく、景太郎はどす黒い何かに飲みこまれてしまった。

(これは夢だ、直ぐ終わる。本当の俺は、ひなた荘の自室で寝ているんだ!)

 飲み込まれると同時に場面が一変する。
 今度は屋外に居て、夜だ。
 もう一度自分の服を見る。

(! これは!)

 黒い外套と頑丈そうなブーツ。
 外套で見えないがおそらく中は黒い戦闘服のはずだ。

「まさか!」

 慌てて振り向くとそこには……



 金色の月。

 早咲きの桜。

 そして――



「み、命……」

 四年前の、あの時の夢。
 
 そこからの景太郎はただの傍観者だった。
 あの五日間の再現。
 楽しいと思えた事もあったが、彼は結末を知っている。
 そしてそれを彼は見続ける。
 やがて彼女との別れのシーン。

『私は幸せだから……』

 本当に幸せそうな笑顔。

『本当に、幸せだったから……』

 だが既に分かっている彼女は、過去形で言って――

『だからお願い……』

 その彼女の最後の願いは、

『幸せになって……』

 でも、彼には――

 夢は続く。
 今度は彼女の墓前。
 ふと気配を感じて振り向く景太郎。
 そこには四年前初めて会った時同じ姿の青山命。
 あの時も景太郎と同じような服だった。
 黒い外套、硬く頑丈なブーツ、おそらく外套の下も黒いつなぎだろう。
 その彼女は、とてもすまなそうな表情で目線を下の方へやっている。
 しばらく呆然とした景太郎に見つめられていた彼女が、

「ごめんなさい、ケイタロウ……」

「なぜ、命が謝るんだ?」

「貴方が今まで見ていた夢は、私の所為だから」

「……」

 そこで顔を上げる命。

「!」

 彼女の瞳は、右目は真紅、そして左目は……

「俺の目、なのか?」

「そう。あの時、私は貴方の目と共に埋葬されたから」

 今、景太郎を見つめている命の瞳、……その片方は闇そのもののような漆黒。
 景太郎の右目と同じ色。

「この貴方の目のおかげで、私は景太郎に再び会えました」

「……そうか」

 それから二人はしばらく話をした。
 といっても、もっぱら景太郎がぶっきらぼうに話すのを命が微笑みながら聞くだけだ。
 しばらく話しつづけてから命が、

「……そういえばケイタロウ」

「なんだ?」

「誕生日、おめでとう」

「たんじょうび?」

「貴方にプレゼント」

「……」

 不意に少し寂しそうな表情をする命。

「どうしたんだ、みこ……」

 気になる景太郎を遮って、

「ケイタロウはなぜ生き続けようと思ったの?」

「それは命との約束が……」

 今度は苦笑する命。

「貴方が忘れてしまった想いを、貴方が歩むかもしれない道を、貴方に見せます」

 そう言い、命は立ち上がった。
 そえと同時に、突然の桜吹雪が辺りを覆う。

「命!」

 もう彼女の姿は見えない。
 桜の花びらが切れるとそこは――

「……公園か?」

 その場所には、見覚えがあった。
 彼が今、管理人を勤めている、女子寮の入り口近くにある公園だ。
 呆然としている景太郎の前で二人の子供が遊んでいる。
 男の子と女の子。
 女の子の方はみた記憶が、微かにある。
 そして、男の子は……

「あれは、俺?」

 十五年前の、浦島景太郎、そのものだった。

『知ってる?』

 何処か見覚えがある少女。

『アイしあう二人が……』

 声にも聞き覚えがある。

『トーダイってとこに入るとね……』

 幼い自分はあんなに表情豊かなのが、少し悲しくて。

『シアワセになれるんだって!』

 そう言いにっこり笑う女の子。
 その笑顔にも見覚えがある。

『大きくなったら二人で……』

『うん?』

『トーダイ行こうね!』

 チュ!

『わ!?』

 そこでまた桜吹雪。
 声だけが、景太郎に聞こえてくる。

「私は、いつでもケイタロウの側に居るから……」

 だがその声も、どんどん遠くなる。

「待ってくれ命! 俺は、俺にはまだ」

「大丈夫。貴方は、忘れていたけれど思い出せたんだから。きっとなれますよ、幸せに……」

 その言葉を最後に、命の気配が完全に消える。
 それと共に景太郎の意識が覚醒しようとする。

「命、俺にはまだ解らない。でも、お前が望むなら」

 古い目標を思い出した景太郎。
 何より彼女が思い出させてくれた目標だ。
 それならば……





 一月五日 十五時二十五分

 ひなた荘 管理人室




 景太郎が寝ている横に素子がいる。
 訓練の為に早めに帰宅したのだが、しのぶから景太郎の伝言を聞いて様子を見に来たのだ。
 他の寮生から聞いた話によるとずいぶん熱があり、魘されていた。
 だが、今は落ち着いているようだ。
 はるかの話によると、そろそろ目が覚めるらしい。

「浦島……お前は一体、何を悩んでいるんだ?」

 思い出すのは決闘をした時、クリスマスイブの夜の事、そして先日の初詣の時。
 景太郎はいつでも隙が無い様に見える。
 実際、素子と決闘した時の景太郎には隙が無かった。
 それ以降もクリスマスイブの夜まで、彼が焦っている所などみた事はなかった。
 約二ヶ月間景太郎を観察してきた素子は一つの事に気がついた。
 景太郎は常に様々な事に気を配っている。
 だが裏を返せば、一つの事に真剣に取り組んではいないという事だ。
 それなのに隙が無いのは、それだけ景太郎が優秀なのだろう。
 実際、素子の修行に関しても何処か真剣味が足りない。
 それなのに素子に対する指示は的確である。
 今まで素子が出会った人間の中で、景太郎ほど強い人は、素子の姉である青山鶴子ぐらいである。
 その景太郎が、クリスマスイブの夜の騒動以降様子がおかしい。
 はじめはあの時素子を庇った怪我かとも思ったが、それにしては動きに鈍りが出ていない。
 何か考え込んでいるようにも見える。
 何かに悩んでいるようにも見える。
 そして先日の出来事。
 景太郎はあきらかに素子の言葉に動揺していた。
 今まで素子のどんな言葉に対しても動じなかった景太郎がだ。
 景太郎は今、悩んでいる。
 そのために体調を崩すほどに。
 そして素子には、その原因の一端は素子自身にもありそうに思える。
 景太郎の悩みは一体何か?
 素子は、それが気になって仕方がなかった。

「う、うーん」

「!」

(目が覚めたのか?)

「みこ……青山か」

「あぁ」

 一瞬、景太郎がとても懐かしい人を見たような顔をした。

「浦島、あの……」

「ああ、訓練の事か。すまないが明日にしてくれ」

「あ、ああ。解っている」

「そうか、ありがとう」

「あ……」

「? どうした」

「い、いや。何でもない」

 景太郎が微笑んだ。
 今まで一度もみた事の無いそれを見た素子。
 思わず見惚れたなどとは言えないだろう。

「俺はもう少し寝ている。前原には食事は要らないと伝えてくれ」

「あ、あぁ。伝える」

「頼んだぞ」

 そして退室する素子。
 後に残った景太郎は、

「やってみるよ、命。それが『約束』だからな……」

 そう呟き、また夢の世界へ旅立つのであった。


 続く


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