幸せって何ですか?
第5話
1999年 元旦
ひなた荘 管理人室
……カタカタカタ
パコ!
「ふむ。やっと終わった」
元旦と言えば、全国的な休日だ。
報道関係のような例外を別とすれば、仕事をする人間など殆どいない。
どうやら景太郎は例外組のようだ。
年末ギリギリにレポート作成の依頼を受け、昨夜の夕食の後からずっと係り切りだった。
現在、時刻は八時半。
ハンスから言われた納期には余裕で間に合っていた。
作成したファイルに独自のプロテクトを掛けて、Eメールで送信する。
「全く、ハンスにも困ったものだな。いくらなんでも、今回のレポートは急すぎだ」
珍しく愚痴をこぼして、大きく息を吐く。
とたん、軽い目眩に襲われた。
「……コーヒーでも飲むか」
本来なら三日は掛かるレポートの作成を、たったの十二時間でやり遂げた所為だろう、かなりの疲労感があった。
普通の徹夜なら全く苦にならない景太郎も、流石に今回の仕事はキツかったようだ。
と、その時、ノックもなしにドアが開いた。
「けーたろ、明けましておめでとさん」
「ア、ハッピーニューイヤー!」
みつねとスゥだ。
どうやら新年の挨拶に来たらしい。
「ハッピーニューイヤー、キツネ、スウ。ところでキツネ。何が開いたんだ?」
「開いた……? あぁ、日本語でハッピーニューイヤーや。
無事に年が明けてめでたいっちゅー訳やな」
「なるほど、それで『明けまして』か」
「んなことより、他になんかゆうことないんか?」
「そういえば、その着物どうしたんだ?」
言われて気付くが、みつねとスゥはいつもとは違う格好をしていた。
「やっと気づいたんか。この振袖はな、はるかさんが毎年着付けまでしてくれるんよ」
「なるほど。そう言えば、着物は日本の民族衣装だったな」
「み……民族衣装……い、いや、確かにそうなんやけど……」
どうやらみつねは、民族衣装という呼び方が気に入らないらしい。一人でぶちぶち言っている。
「なーなー、けーたろ、ししまいも用意したんやでー」
と、それまで黙っていたスゥが、みつねと景太郎の間に割り込んできた。
どこからともなく獅子の頭を模したかぶり物を持っている。
初めて見る景太郎には分からなかったが、普通の日本人からすれば一般的な『獅子舞』とは異なっているのが一目瞭然らしい。みつねは獅子舞を指さして、口をパクパクさせている。
「ほー、それがシシマイか」
「ん、んな物騒な獅子舞があるかい!」
スゥの持っている獅子舞は、牙の部分がやたらと鋭くとがっていた。
面白がったスゥが口を開け閉めさせているのだが、その度にガチガチと硬質な音がする。
「けーたろ、あの牙の部分……」
「あぁ、明らかに金属だ。私見だが、切れ味はコンバットナイフ並だな」
楽しそうにしているスゥを尻目に、みつねと景太郎がぼそぼそと小声で話す。
「めっちゃ危ないやん!」
「ふむ。日本の文化と言うのは結構危険なのだな」
「そ、それよかけーたろ、初詣行かへん?」
まだまだ景太郎の教育には手こずりそうだ、と言わんばかりに、みつねは盛大な溜息を吐いてから、みつねは強引に話を変えた。
取り敢えずスゥには獅子舞を片付けるように言っておく。
「ハツモウデ? 何だそれは」
「神さんに、今年もよろしゅうたのみます、挨拶しにいくや」
「神? 俺は……」
『神』という言葉に、景太郎が眉をひそめる。
何か言いかけたが、そこへさらに来客があった。
「キツネさん、カオラ?」
「何やってんのよ、キツネ」
やって来たのは、しのぶと成瀬川の二人だった。
こちらもはるかに着付けして貰ったのだろう、しのぶは振袖姿だった。一方、成瀬川は普段着だ。
「あ、明けましておめでとうございます、浦島さん」
「あけましておめでとー」
「ハッピーニューイヤー、二人とも」
「なんやぁなる、普段着かいなぁ」
「受験生に盆、暮れ、正月はないの。さっさと行くわよ」
こうして五人で神社へ向かうこととなる。
「そう言えば青山はどうしたんだ?」
「モトコか? 今日はバイトや」
「バイト?」
「そ、すぐそこや」
などと話していると鳥居が見えてきた。
境内は初詣に来た人で、凄い混みようである。
それを見た景太郎が、
「凄い人数だな。ところでキツネ」
「なんや?」
聞き返すみつねに小声で、
「ここの宗教はテロ指定されているのか?」
「……正月早々罰当たりな事を言うな、けーたろ」
「だが俺の知っているテロ集団の多くは、何らかの宗教集団でもあるぞ」
「あのな、けーたろ。ここは日本なんやで? そんな物騒なのは滅多にあらへんのや。……まぁとにかく、ここの神社は大丈夫や」
「そうか」
行列に並ぶこと十数分。景太郎たちはようやく参拝出来るところまで辿り着いた。
「あの箱にコインを入れて鈴を鳴らせばいいのか」
「せや。それから今年一年よろしゅう、と神さんにお願いするんや」
「……そうか」
チャリーン
ガラガラ
だが、景太郎は賽銭を入れて鈴を鳴らしただけで、手を合わせようとはしなかった。
「なんやけーたろ、お願いせんのか?」
「……俺は神を信じていないからな」
「そか、なら次はお神籤や!」
「オミクジ?」
「んー……っと、そやな、占いみたいなモンや。
くじを引くと、それに今年一年の運勢が書いてあるんよ」
「占い……」
景太郎達がお神籤売り場へ行くと、そこでは素子が売り子をしていた。
どうやらここが素子の職場らしい。
「お、来たか」
「バイトごくろーさんモトコ。早速お神籤引かしてもらうで」
そう言いつつ、お神籤を引いたみつねが、喜色の声を上げる。
「お! 大吉や!」
「うちも大吉!」
「中吉!」
「私、小吉……」
みつねに続いてみんながオミクジを引く中、一人お神籤を引かない景太郎。
「どうした? 浦島。ひかないのか?」
「いや、占いもあまり信じていないんでな」
「? ここのお神籤は良く当ると評判なんだ。騙されたと思って引いてみろ」
「そうか……そうだな、解かった」
一瞬、景太郎が何とも言えない……まるで今にも泣き出しそうな表情を見たような気がして、素子ははっとした。
だが素子がもう一度見た時はもういつものバイザーをかけた無愛想な景太郎に見える。
気の所為だろうと思い、素子は他の住人と話をする事にした。
がさがさ
素子に言われ、景太郎は渋々ながらもお神籤を引いた。
開いてみると……
大凶
「……漢字が読めん」
日本にきて数ヶ月経ち、ある程度漢字も読める様になってきたが、普段の日常生活で使わない漢字は解からないらしい。
お神籤に使われている文体にも馴染みが無い。
そこへしのぶが、
「お神籤なんて書いてあったんですか? 浦島さん」
「前原か、まだ漢字がよく解からなくてな」
「でしたら私が読みますか?」
「ああ、頼む」
「えーっと、……大凶」
「危ない!」
そう言いしのぶを庇う景太郎。
ぱしゃ!
「お、すまん兄ちゃん」
水を掻けられ、
とす
「だ、だいじょうぶですか?」
植木鉢を手で受け止める景太郎。
「浦島さん、だいじょうぶですか!?」
植木鉢は受け止めたが服に水が掛かってしまった景太郎。
「問題無い」
「そっそうですか?」
「それよりもオミクジにはどう書いてあるんだ?」
「は、はい。水難、頭上注意、女(男)難の相あり災い絶える事無し……」
「ん?」
「い、異性に近づくべからず、ち、近づけば……」
読み進めるうち、しのぶの顔がどんどん泣き顔になっていくが、勿論景太郎には訳が分からない。
「? 前原よく解から……」
「ご、ごめんなさい。あたし、側にいちゃ迷惑ですよね」
「前原?」
「ごめんなさい! 浦島さん」
そう言い残して、しのぶは全速力で走り去っていった。BR>
「……ダイキョウとは、一体何なんだ?」
泣きながら走り去るしのぶを見送りつつ、彼にしては珍しく呆然と呟く。
そこへ……
ポン ポン ポン
ぞわ!
「ぅお!?」
本能で危険を察知した景太郎が慌てて何かを避ける。
その何かは石灯籠をかみ砕き、景太郎に向き直った。
「これは……スゥのシシマイか?」
どうやら、一旦ひなた荘に取りに戻っていたようだ。
ガパ
「スゥちゃんや! 知っとるか? ししまいに噛まれるとその年は幸せになれるんやでー」
スゥの獅子舞に噛まれたら、幸せになる前に死んでしまうだろう。
先程、景太郎はコンバットナイフ並だと思っていたが、石灯籠を噛み砕いたところを見ると、威力はそれ以上らしい。
俺もまだ甘い、とこの状況にも関わらず自嘲した。
「……いや、幸せは誰かに与えられる物ではない。自分で見つける物だ」
その為に俺はここにいるんだ、と小さく付け加えながら、逃げ出すタイミングを計る景太郎。
「えーこと言うなー、けーたろ。でも、えんりょするもことないでー」
じりじりじり……
獅子舞を被った少女と対峙する青年。
本人達は――少なくとも景太郎は――大真面目だが、端から見るとかなり滑稽な場面だ。
「「……ふ」」
った!
「幸せにしたるでー、けーたろ!」
「俺はまだ死ぬつもりはない」
逃げる景太郎、追いかけるスゥ。
二人の前に騒ぎを聞きつけたみつねが姿を見せる。
「何しとんねん、二人とも」
「逃げろ! キツネ!」
「待ちゃーけーたろ!」
スゥと、追いかけっこをしてる景太郎を見て、ほぼ全て把握するみつね。
「頑張って逃げや、けーたろ」
触らぬ神に祟りなし。
みつねは一声掛けて、その場から離れた。
それから五分後
「逃げ切れたか?」
悪意がない所為だろう、スゥは全く殺気を出していないので、景太郎は今一自信が持てないでいた。
辺りは参道を少し外れた林。
ふと木の枝を見ると何やら紙が沢山縛り付けてある。
「何かの儀式か?」
「こんな所で何をしているんだ? 浦島」
休憩中の素子だ。
「実はスゥに追われているんだ」
「スゥに? よく解からん、説明してくれ」
「あぁ、オミクジをひいた後……」
今まであった事を素子に話す景太郎。
それを聞いた素子は、
「ちょっとオミクジを見せてみろ……だ、大凶」
「そう言えば、前原も同じ事を言ってたな。ダイキョウとは何なんだ?」
「大凶とはな……まあ、気を付けろとゆうことだ」
「……たかが、占いだろう」
「? 浦島、先程も同じ事を言っていたが、何かあったのか?」
何気なく口にした台詞だった。
だがそれを口にした後の素子が見た物は……
「……」
先ほどは気の所為かと思った景太郎のあの表情。
今度はハッキリと見てしまった。
まるで今まで被っていた仮面にヒビが入り、その隙間から素顔を垣間見たようなイメージ。
見ている方まで辛くなるような表情。
「ど、どうしたんだ、浦島」
だが景太郎は、
「いや……なんでも無い。少し、気分が、悪くなっただけだ」
いつもの表情に戻っている。
だが素子にはそれは仮面を被り直しただけの様にしか見えない。
「浦島……」
「青山、すまないが俺は先に帰ると、キツネ達に伝えてくれないか」
「……分かった」
「すまない。では……」
そう言いかえって行く景太郎。
後には複雑な表情をした素子が一人残された。
ひなた荘 管理人室
先に帰ってきた景太郎が物思いに耽っている。
『私のは良く当るんですよ』
在りし日の、彼女の言葉。
「騙されたと思って……か」
ふと思い出した様にバイザーを外し、写真を取り出す。
「あの娘は彼女じゃないのに同じ事を言う……」
真紅の左目から一筋の涙が零れる。
「命、俺は……」
写真の中の彼女は、いつもと変わらず儚げに微笑んでいる。
続く
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