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提言
略歴・現職
実績
みよし吉清  6期・24年の実績、そして新たなスタートへ。
みよし吉清  6期・24年の実績、そして新たなスタートへ。

●1期  1982〜1985 1期●44歳(初挑戦・初当選)
1983年〜1986年(昭和58年〜昭和61年)

県議選に初挑戦し、見事にトップで当選を果たしました。この選挙では115議席の内新人が一挙に36名も当選する新旧交代の年といわれました。委員会は専門知識(農大卒・種苗会社経営)を生かし農政委員会に所属し副委員長に抜擢され、併せて自然環境保全審議会のメンバーとなりました。この経験を基に現在では農政と自然環境に関し県政における第一人者との評価を頂いております。また、2年目より諸先輩のアドバイスを受け、県政の中枢を担う総務企画委員会に所属しました。

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●2期  1987〜1990 2期●48歳(2期目の挑戦・苦しい戦い)
1987年〜1990年(昭和62年〜平成2年)

この選挙は消費税の導入の是非が争点となり、導入やむを得ずとする自民党にとって、多くの同期の議員や先輩議員が落選するという大変苦しい選挙となりました。その中で、みよし吉清は過去4年間の地道な地域活動が多方面の方々にまんべんなく評価され見事に当選を勝ち取りました。この任期内に警察渉外委員会の委員長、行財政制度調査特別委員会の委員長を歴任し、さらに自然環境保全審議会の会長に就任しました。以降議長就任までの約10年間、連続で会長職を続けました。

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●3期  1991〜1994 3期●52歳(3期目の戦い・実績を評価される)
1991年〜1994年(平成3年〜平成6年)

この緑区も宅地化の波が顕著に表れ、新規に造成された住宅地やマンション群が目立つようになりました。田園都市線沿線を中心に人口も急激に増大し、住民のニーズも多様化してきました。しかし、2期8年間の実績と真摯な政治姿勢が全区的に支持を受け、トップ当選を果たしました。県会ではいよいよリーダーとしての存在を期待され、活躍の場が目に見えて広がってきました。この間、総務企画委員会の委員長、公営企業決算特別委員会の委員長を経験しました。

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●4期  1995〜1998 4期●56歳(4期目の期待・期待される議員像)
1995年〜1998年(平成7年〜平成10年)

さらに肥大化した緑区は緑・都筑・青葉の3区に分割され初めての選挙となりました。選挙区は横浜線沿線を中心として狭くなり定員も減りましたが、皆さんの顔も地域も良く見えるようになり、地域活動により一層やりがいと楽しさを感じるようになりました。この任期中に自民党県連政調会長に就任し、議会では議会運営委員会の委員長、そして自民党県議団の団長として議会及び県連の中核としての任務が続き、段々重くなる責任を痛感した任期でした。

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●5期  1999〜2002 5期●60歳(5期目の充実・県政のリーダーとして)
1999年〜2002年(平成11年〜平成14年)

5期目の当選をトップで果たした直後の県議会で第92代の議長に選出されました。全県議会議員の代表としてその重責を全うすべく、全霊を込めて公務に没頭しました。父米男も議長を務め、約100年の神奈川県政史上3組目の親子2代の議長となり話題を呼びました。また、この1年間は公務を最優先し、神奈川県下を飛び回り超多忙であったため地域活動が思うようにできず、その後は初心に戻り地域の皆さんとの連携を心がけました。

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●6期  2003〜2006 6期●64歳(6期目の信頼・指導者としての期待)
2003年〜2006年(平成15年〜平成18年)

県会議員の代表といわれる議長職を全うし、自民党はもとより他党からも信頼される存在となり、6期目の選挙もトップ当選を果たしました。みよし吉清も当選当初から先輩議員のご指導を受けここまでこれたことから、後輩議員のアドバイスや指導には親切・丁寧に対応しています。また、子供たちに自然とのふれあいの場を作るみどりの少年団々長、神奈川の水源である丹沢の森を維持するために、中山森林整備協力隊々長として常に先頭に立ちボランティア活動を続けています。

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