>>>バネの原理 【私的な見解を基に】

         

最近思うのだが、人間が一番辛いのは、目標がない時じゃないかと思う。今の社会の閉塞感も詰まる所、そこから来てるように思えてならないのは僕だけだろうか?僕の場合、振り返ってみると、ハングリー精神が、行動の原動力になる場合がほとんどだ。その原動力は目的によって様々だが、間違いなくそれが、僕を動かしている。それは時として嫉妬・不満・怒りなどの感情が、自分の許容範囲を超えたとき、原動力はピークになり、行動力につながる。俗に言う『今に、見てろよ!』の世界である。これは、以前にも書いた『振り子の原理』の振り子を最初に動かす、原動力になるものであるが、人間もあまり恵まれすぎていると、自分のバネの存在すら忘れてしまう。今の世の中、確かに不況(それも、決して一時的なものではない)で、それぞれが苦境に立っているのは間違いない事実であるが、何か危機意識が薄いような気がしてる。かなりの長い間、バネを伸ばしすぎた所に、その辺の欠如があるのではないかと?解りやすいたとえて言うために、企業体の当てはめてみる。戦後新興企業として、発展したSONYやHONDAなどは、当然戦前からの先発企業に対し、創業者のアイデンテティを基にバネの原理を最大限に使った事は言うまでもない。今は、デフレの元凶扱いされている日本マクドナルドや牛丼吉野屋なども、前者は、食事として認識されなかった、ハンバーガーを周りの冷ややかな目に対して、ハンバーガーは日本人の主食になると言う信念(企業理念よりこの方が近いと思う)後者は、一度倒産したにも関わらず、資本の注入はあったにせよバネの理論を思いっきり使い今に至っている。さて、我々日本人はどうだろう?政治・経済の先行き不透明感は誰もが感じ、自分の生活でさえ10年後はどうなっているか?どのくらいの人間が、はっきりした答えを出せるのであろうか?高度経済成長期以来持ち続けていた、国家の持つビジョンは崩れた。もはや、国家も企業も頼れる存在でないし、何より、国家や企業も頼られるのは困ると言う姿勢が明確になってきた。日本人の特性については、改めて、書きたいと思ってるので、ここでは総論的なものを触れたい。日本人のパーソナリティに関して、多様な考えを持つ人はいるが、総じて、農耕民族からの発展型であり、全体主義がベーシック・スタンダードになってることは否めない。そして、『和』の考えが、僕自身は日本人の美徳感であることも充分すぎるほど解っている。そもそも、太古から、西洋的な個人主義とも中華思想とも違う、封建主義的中の全体主義(その言葉に抵抗があるのなら、集団調和主義とでも名付けようか?)があり、今までの歴史の節目でも(良い悪いは別として)集団プレーが、社会を変えた。当然、そこにはファシズムが生まれることも解っている。そんなことを前提に、個人プレーに慣れていない日本人が、個人のモチベーション。しいては社会のモチベーションを上げる為には、個人の持つバネをもう一度確認する作業が不可欠だと思う。そして伸びきったバネを辛いことだがじっくり見つめよう。そうしなければ主導権は我々個人個人に廻ってくることはない。僕は今の社会は、何十年に一度のチャンスだと思う。欧米化する事もなく、旧態然とした、日本社会を変えるためにも、個々の知恵を出して、新制国家として我々の手で作れる。物事は考えようだ、バネのように押しつぶされれ反発したときの力は強くなる。ただ、今までと違うのは、皆が同じ方向に向くことはないだろう。それでいいんだ。ルールさえ守れば、色んな考えの人間がいた方が社会にとってもいい。国家や企業は個々をサポートする為に存在する。GIVE &TAKEの関係が望ましい。そして、僕もその為に何が出来るか模索中だ!(合理的考えが正しいのは承知してるが、精神論も重んじる一人の日本人の矛盾を避けることは出来ない)極めて個人的な意見なので、関係ない人には一生関係ないだろう。それもいいんだ!
明るい未来は作りたい人間で作る。失敗したら、明るい未来を作りたい人間が責任をとる。絶対に取る。もう、人任せには出来ないところまで来た!

■このコラムはイデオロギーにはまったく無関係の私的見解です。誤解の無いよう


 

 

 
 
 
 
 

 

       

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