■  第十五章 悲しい抱擁  ■

コテージに戻ったが、誰もいないのか明かりがついていなかった。
テーブルの上にメモ書きがあった。
そこには、
『誠さん恵さんへ。菊池さんの働いてる「ブルー・ラグーン 」に香取さんと祐子さんと行ってます。もしよかったら来て下さい。多分、遅くまでいると思いますので。それではよろしく。圭子』
ブルー・ラグーンの地図が入ったチラシと共に圭子のきれいな字で書かれていた。
こんな時に!と思ったがなぜか圭子の文字を見て不快にはならなかった。メモ書きも誘いのラブレターのような気持ちになったからかも知れない。

僕は再び車に乗り込むと、チラシの地図を頼りに菊池の働いている期間限定のディスコ「ブルー・ラグーン」に車を走らせた。
横目で地図をチラチラ見ながら、確かこの辺だけどなぁと思う方向の空がやけに明るい。
だんだん近づくと空半分が赤く染まっている。しかも、黒煙が立っているようだ!
「火事だ!」僕は急に車のスピードを上げた。
猛烈に火を噴き出し、黒煙を上げる「ブルー・ラグーン」と思われる店の周りには若者が大勢いる。この島に似つかわしくない騒然とした雰囲気が漂っていた。

僕は車を降り、若者の一人を捕まえて「ここがブルー・ラグーンなの?」と聞いた。
「ああ、そうだよ。急に火が回って、急いで逃げたんだ」
「中に人はいるの?」
「いやあ、それは解らないけど、とにかく大勢入ってたからな。でもみんなパニックだったけど一斉に逃げたって感じだったから。大丈夫じゃないかなぁ」
「ありがとう」と言うと僕は大勢の中から仲間を捜した。

何百人いるんだろうか?その中でもひときは目立つ男がいた。香取だ!周りに祐子もそして圭子もいる。
力が抜けたのもつかの間、香取が数人の警官に取り押さえられている。
「てめえら離せ!店の中に友達が残っているんだ!」
僕は香取に「どうした!誰か中にいるのか?」
「おっ!誠!菊池がまだ中に残ってるんだ!」
菊池が?でもこの火の勢いじゃとうてい無理だ。消防隊もかなり離れた場所から放水している。それも焼け石に水だろう。
「誠さん!香取さんを止めて!」祐子が泣き叫んだ!
警官二人がかりで取り押さえているが、あの香取のバカ力に今にも振り切られそうになっている。
僕も香取を後ろから羽交い締めにして「この火じゃ無理だ!香取!」
「誠!てめえまで!俺は死んでも構わないから菊池を助けに行かせろ!離せこの野郎ども!ダチを見捨てるほど俺は腐っちゃいねぇぞ!」
これはもう僕にしか止められないだろう。
「香取悪いな!許せ!」と言うと僕は香取の頬にカウンターパンチを入れた。
香取はその場に倒れた。僕は香取を殴ったその拳を地面に何度も殴りつけた。
香取の気持ちが痛かった。香取以上の痛みを自分に与えるために何度も何度も血が吹き出ても地面を殴り続けた。
自分の情けなくふがいない気持ちを晴らすために!

祐子が香取を抱きしめて「誠さんもう止めて!ありがとう!この人の命を助けてくれて」と涙ぐみながら僕に頭を下げた。
「祐子ちゃん、僕も香取を思いっきり殴ったからちゃんと見ててくれよな。香取は男の中の男だ!こんな事で死なせたら罰が当たる」
祐子は黙って頷いた。

今度は圭子が「誠さんどうすればいいの?菊池さんはみんなを誘導して全員を表に出したの。私たちが最後に見たときは必死になってバケツで火を消していた。その時はまだボヤ程度に思ってたから香取さんも『早く消して今日はどこか表で遊ぼう』なんて言ってた位だから。みんな外で火が消えるのを待ってたら、ガスか何かに引火したらしくて・・。次の瞬間すごい音と共に火が・・・。一瞬の出来事だったの・・・」そう言うと圭子は泣き崩れた。
僕は圭子の肩を抱き「この火じゃ無理だ。残念だけど・・」
僕は言葉に詰まった。自分の無力さと菊池のお調子者だが真面目な男を見捨てる自分の不甲斐なさに。
さらに強く圭子を抱きしめた。端から見れば真っ赤に燃える炎を見ながら抱き合うカップルにしか映らないだろう。
圭子の体は小刻みに震えていた。僕も涙が止めどなく溢れた。悲しい抱擁だった。

僕は圭子の唇に自分の唇を合わせた。圭子も僕を求めるように強く唇を押し当てる。
二人は気持ちだけでもその場から逃避したかった。僕は西条さんのことも恵のことも菊池のことも忘れたかった。せめて今だけでも。そして、二人だけの世界を作った。悲しみや愛おしさやすべての感情を圭子の唇と、今にも折れそうなガラスのような繊細な肩を抱くことによって、消えてゆく錯覚に陥る。
二人は心も体も重なったいた。すべてのものは二人の間には入り込むことは出来ない。時間も言葉でさえそうだ。

どのくらいの時間がたったのだろうか?いつの間にか夜も明けてきてあたりがうっすらと明るくなり始めた、ようやく火も沈静化した頃、現実の世界に気が付いた。


エンジンをかけっぱなしの車からはポール・ディビスの『COOL NIGHT』が流れている。
亜熱帯特有の熱い空気に、心地よいクールダウンが二人を包む。あのまま時間が止まればどんなに幸せだろう。
しかし、残酷な朝は来た。

ただ一つ救われたのは、朝焼けの中に照らされる愛おしすぎる圭子の顔だった。

 

 

       

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