■   第三章 長い一週間  ■

 

それから、実行当日までの一週間はとても長く感じられた。

身の回りだけはきれいしておきたかったので 、バイトしていたフランスレストランをやめるため、チーフに話しに行く。
「今日限りでバイト辞めたいんですが」チーフはいつもの荒々しい口調で「どう言うことだ!そんな無責任なことがまかり通ると思ってるのか?まったく近頃の若い奴は!!」僕は念を押すように「もう、こちらには来ませんから!」もう、心にもなく頭を下げる僕じゃない。
「今までのバイト代払わないぞ!それでもいいのか?エー!」大声で僕を怒鳴る。人の足本見やがって!「結構です」僕のこの言葉はチーフも予想外だったらしい。急に優しい口調に変わる。
「バイト代上げよう。時給あたり100円。いや、200円上げよう!」この期に及んで、僕は「金はいりません。とにかく辞めます!」ときっぱりと言った。
「大野君。今、君に辞められたら困るんだよ」初めて聞くようなか細い声を出す。「なっ!考え直してくれ!大野君なら解ってくれるよな!俺にも立場が。うまく仕事が運ばなかったら、クビになるんだよ」知るか!そんなこと。情けない男だ!人をさんざん歯車扱いしやがって!そんなに自分が大事か!
「じゃ、そういうことで」せいぜい頑張りな!と言う笑みを残し、僕は裏口から出ていった。「大野君!大野君!」あいつが泣き叫ぶような声が聞こえる。だいたい名前で呼ばれたのだって久々だ。そしてこれが最後だ!そう思うと思わず道端にツバをはきかけた。

アパートも解約した。必要最低限のものだけ段ボール一個に詰め、一軒家の親元に住む友人の物置に置かせてもらい、あとは処分した。
大家にその旨を伝えると「急に出ていくって言われても、困るんだねぇ!」と言われた。
「敷金はいりません、あとこれ違約金」と家賃の3ヶ月分ほどを渡すと、急に大家は手のひら返したようににっこりして
「大野さん、体に気を付けて。頑張って下さいね。あんたみたいないい人には長くいて欲かったんだけど・・・。まぁ、人には色んな事情があるからね」
人の顔と金を交互に見ながら言った。こいつも同じだ!!

そして、実家にも電話を入れる。正直これは苦手だ!前回電話したのは留年が決まった時。その時はおやじにタンカを切り、それから一切連絡していない。もちろん金も一銭も貰ってないのだが。ダイアルを回す手が、重く感じられる。
おふくろが出た。「誠だけど」一言、言ったかと思うと、おふくろは一方的に話し始めた。単位は取れた?就職活動はしてるの?から始まり、同級生の誰々はどこに就職しただの、近所の奥さんに誠のこと聞かれて恥ずかしいだの後は延々と自分の話が続く。
「解った!解ったよ、おふくろ。それより、おやじはいる?」「お父さん、今帰ってきたところよ」今ったって、もう夜中の12時を廻っている。また終電か?おやじが電話口に出た「誠か!何だ?」仕事でイライラしてるのはいつものことだが、半年ぶりの電話って言うのに不機嫌な声だ!
「実は大学辞めることにしたよ」僕も僕だが、ヘタに相談口調よりは、はっきり自分の意志を伝えた。「何、バカな事言ってるんだ!第一、今どき大学出てないで出世出来ないぞ!お前はタダでさえ留年して人より不利なのに!今さら何を言っているんだ!」確かに4年間の仕送りには感謝しているが、今はバイトながら自分で稼いでいる。第一もう成人だ!自分の人生は自分で決める。
「もう決めたんだ」しばしの沈黙が流れる。「ちょっと待て!」というと、電話の奥でおやじとおふくろの会話が聞こえる。ヒソヒソ話しているつもりなのだろうが、おふくろの驚いた奇声で台無しだぜ!まったく。
今度はおふくろの声で「お父さんが、大学出てないから、どれだけ苦労してるのか解ってるの!誠。親不孝な事言って」おふくろの泣き落とし戦法だ。これには慣れている。心にもないことを何度言ったか、この人は!「おやじを出してくれ。おやじと話したい」おやじの言葉は 「勝手にしろ!カンドウだ!」想像通りの言葉だ!「勝手にするさ!」それで、親子の会話は終わった。
後から電話がかかってこないところを見ると、同時に切ったようだ。親子の縁も切れた。親子だから解る。

大人社会の理不尽を思いっきり知らされた一週間だった。
そして、あの男が言うことが正論に聞こえた。いや、間違いなく正しい!

もう後には戻れない!

 


       

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