>>>女性の敵はやはり女性なのか?

         

この所、偶然かもしれないが、あまりにその手の話を聞くので、ちょっと今回のテーマにしてみようと思った。前々からその手の話は頻繁に聞いてはいたが、ハッキリ言って異性のことなどで聞き流していた。最近、小学校から付き合いのある友達の女性から『うちの小学校2年生の女子の携帯所持率は80%にも及ぶ』と言う話を聞き。『えー!そうなの?』最近のガキはませてるとは聞くが、そこまで進んでるのか?と思った。その友達も、普通の区立の小学生を持つ母親である。『なんで?』と聞くと『持ってないと仲間外れにされるのよ。陰湿よー女の子の世界は』僕も来年、小学生になる女の子供を持つ身なので、もう人ごとではないな。と正直考えさせられた。その続きもいろんな『いじめ』的話しを次々と彼女は話してたが、怖すぎてここでは書けない程の内容だった。その話を聞たのが、19日その後2日間で2人の女性と会うこととなり何気なくその話しをしたら、そんなの女性社会では当たり前とのこと、それ以上の怖い話を聞き怖すぎて考えるだけで夜うなされそうな話しだった。男女平等・同権などというのは昨今の社会風潮であるが水面下では、そんなことが!こういう話しはこのネット社会でも聞いた事はあるが、男の場合、人にもよるけれど、個人的には僕は『人の悪口を言う同性は信用しない』という自分なりのポリシーを持っている。ましては行動にでるなど思考範疇の蚊帳の外だ!確かに男もスポーツや仕事で『あいつだけには負けたくない』という経験はしたが『そいつを陥れてまで勝とう』と思ったことはないし、仮に意識下で思っていてもそうなったらそいつに同情するだろうなと思うだろうな。当然すべての女性の考え方ではないだろうが動物的本能で女性はそういった一面があるのであろう。同調する人、反論する人はまちまちだろうが、やはり『女性の敵は女性である』かなり的を得た女性論であると僕は思う。


 

 

 
 
 
 
         
                           

>>>街はメディアによって作られる。

         
あなたは『渋谷』といって何を連想されますか?多分『子ギャル』『マルキュー』『センター街』などといったものかと思われますが。確かにそういう若者は多いことは認めます。しかし、渋谷生まれの渋谷育ちの僕などはステレオタイプの『渋谷』には疑問を持つ人間です。僕は1962年生まれなのである程度『渋谷』については語れるつもりですが、僕の子供の頃の渋谷は間違っても若者の街ではありませんでした。もちろん街は生き物です。時代と共に隆盛と衰退があるのも十分承知です。ちょっと前までは『ビット・バレー』などと呼ばれベンチャーブームに踊らされた若者が集まった時期もありました(本来ネットビジネスはシリコン・バレーのような環境がよく家賃のが比較的安いところが理想だと思うのですが。当然、都会である必要などありません。まぁ今はあそこも手狭と驚異的な伸びによる電力事情で問題になってますが)
ではなぜ、『渋谷』という街を語るとき『子ギャル』『マルキュー』『センター街』果ては『プチ家出』などというものがつきまとうかというと、間違いなくメディアが作り上げたイメージがあまりに強いためだと思うのです。確かに街にはその街の持つ独自性があります。巣鴨といって『子ギャル』を連想する人はいないでしょうし(毒蝮三太夫は別として、彼の場合は若い女性の年齢ストライクゾーンがあまりに広いので 笑)田園調布に住んでいるというだけで『お金持ち』というイメージを持つのは僕だけではないでしょう。日曜の昼下がりに渋谷や原宿では俗に言う『素人モデル』の撮影会が至るところで行われているのをご存じでしょうか?しかも『素人モデル』もどう見てもそれらしい人ばかりです。それは渋谷と原宿という隣街なのにまったく人種が違うといった所に起因するのでしょう(境界線はどこになるのか?ここだと言える人はご一報を)そして、ギャル系・渋谷系(これも謎のキーワード)原宿系・明治神宮の橋の上に集まる黒の服きたメイクの奇抜なグルーピー系(なぜあそこに集まるのかそれも謎だが怖くて聞けない)こんな狭いエリア内にいろんなつどいがあります。
しかし『渋谷』に限って言えば明らかにメディアが作ったイメージが強すぎます。意図して作っているとしか思えないほどです。『渋谷』というだけで軽薄なイメージを持たれる僕などは余計そう思ってます。
 
 
 
 
         
         
         
         
           

<<<BACK

NEXT>>>