>>>いつかは、別れなければならない人

         

人間、出会いがあれば必ず別れが来る。現実の世界だってネットの世界だってその原則は変わらない。僕もご多分に漏れず、現実の世界で、いくつかの出会いと別れを経験した。かなり辛い思いもした。しかし、人間は何処かで誰かと繋がっていたいもの。ネットの世界に入り込むようになって、再びその切ない感情が、込み上げてくる。あの別れの感情が。行動はリアルだが、感情なんて元々バーチャルなもの。片思いでも自分でストーリーを作る。空想は、無限に広がる。気持ちを伝えたいが、伝わらない。自己嫌悪が、自分を襲う。『こんな事なら出会わなければ良かった』と思う。涙が止めどなくこぼれる。ここまできて、ネットはただの通信手段でないことに気づく。そんな辛さを解っていても、まだ誰かと繋がっていたい。行動が、リフレインする。別れを前提にした出会い。多くのロミオとジュリエットが、今日もいたるところで生まれる。人間は愚かな生き物だ。

このパソコンを閉じたあと、あなたが見る人の顔をじっと見つめて欲しい。その人も、いつかは別れなければならない人なのだ。それは、あなたが欲しようとそうでないにせよ、運命なのだ。そして自分が、その人に何が出来るかを考えて欲しい。大切なものは、以外に近くにあるものだ。

 
 
 
 
         
                           

>>>ALL SUMMER LONG

         
今日5月20日すでに夏の気配だ。そして、またあの季節がやって来ようとしている。そう『青春の一夏の思い出』。誰もが持ってるかは、他人の気持ちになったことがないので、推測に域を出ないが、僕の青春時代といってすぐ浮かぶ季節。真っ青な空の開放感。聞こえるのは波の音、あのメロディー。ソーダ水のようなはじける感覚。強い照り返しに、思わず逃げ込む木陰。心地よい涼風。そして何よりも、彼女の姿。笑顔。なびく髪。肌の感覚。
うーん。ひとりで青春モードに突入してしまったが、みなさんもあるでしょ。そんな思い出。なに?青春現役 !「これは失礼しました」と言いたいところだが、何を隠そうこの僕も『長すぎた春』ならぬ『長すぎた夏』を送ってる。確かに体感的にはこの蒸し暑さはきつい。だが、それをさっ引いてもいい季節なのだ。
そして『夏の日の思い出』を意地でも作ろうとする。たぶん、そんなところに僕の『長すぎた夏』は続いているのだろう。
『思い出』なんて待っていても作れるモノじゃない 『思い出』は自ら作るモノだ!その気持ちを持ち続ければ『一夏の思い出』は年の数だけページ数が増えていく。そういうものなのだ。
しかし、冒頭の部分の「そして何よりも・・・」だけは増えないと思う。いや増やしてはいけない、悲しい妻子持ちであった。
 
 
 
 
         
         
         
         
           

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