>>>『気』になる場所

         

なぜか、居心地のいい場所がある。そこにいると不思議に落ち着いたり、アイデアが浮かんできたり、幸せな気分になったりする場所だ。ピラミッドパワーか、地球の磁力のせいか、はたまた、風水か?私はオカルトチックなモノはいっさい信じないのだが、39年生きてきて、確かにそういう場所は存在する。ホントに、なぜか解らないが、確信を持ってそういう場所はあると言い切れる。これは自分でも不思議だ。考え事をしたり、アイデアを出したりする時、決まっていく場所(店)が、いくつかある。でも今考えてみると、それらの場所に共通するモノが、なぜかない。とりあえず席はいつも決めてある。そこが空いてないと『今日はここはパスだ。あそこ行こう』になってしまう。ホントは思いこみなのかもしれないが、そこじゃなきゃ、だめなのだ。
そのひとつに、『シガーバー』というのがある。文字通りシガーを吸うための空間なのだが、嫌煙真っ盛りの今時、私などにとっては大いに嬉しい場所だ。シガーをご存じない方も多いと思うが、シガーというのは一本吸うのにかなり時間がかかる。お店のウエーターに『40分ぐらいの、何かある?』と聞くと、キューバ産のシガーを何本か持ってきてくれる。『これ、どんな味?』と一時の会話を楽しむ。そして40分というタイムリミットを自ら課せアイデア出しをする。そして40分後できた!やった!と思い、さあ会計うん千円。もちろん私も経済観念はちゃんとあるので、承知のうえできたわけだが、金がかかって、時間制限があると人間(特に私)は、持ってる以上の力を発揮できるモノだ。

話は、またまた横にそれたが、残念なことに私のオフィスには、そういった気のようなものがない。『それでは、外で企画考えてきますー。』

 
 
 
 
         
                           

>>>現実と空想のはざまで・・・(2)

         
『最近、図書館に行かなくなったなぁー』自宅から歩いて2分の区立渋谷図書館のことだ。ネットを使う前までは、調べたいことや、ちょっと気になったことまで、なにかというと図書館まで足を運んでいた。そして、目的の本を探すまでネットサーフィンならぬブックサーフィンをしていたものだ。かといって印刷メディアを否定するつもりはないし、私などの世代は本をじっくり読む事や、朝は新聞を読まないと始まらないという習慣がある、おそらく最後の世代になると思う。しかし、図書館には足を運ばなくなった。なぜだろう。ひとつに<タイムラグ>がある。こと図書館においてある本は、古いモノが多い。いまでも『ワープロの使い方・基本編』などというものが、堂々と中央に鎮座されてる。そういえばどこぞの大学教授が言ってたが、最近の卒論はインターネットからの引用が多く、表記をどうすればよいのか?と学生に質問されるそうである。まぁ、自分の学生の頃の卒論も、いろんな本からの引用が多くて、最後の3ページ位は、参考文献表記一覧になっていたので、今の学生と基本的には同じだが・・。
 そんな一例をとっても、 教育現場も<一対多>のつまり先生と生徒が、同一テキストを使って授業をやること自体が疑問である。(とくに大学教授という人たちは、世間から遠く離れた人がほとんどだ)リアルタイムに情報が流れる現代。印刷媒体や教育現場はどこへ行くのか?答えは案外、早く出そうな気がする。
 
 
 
 
         
         
         
         
       

<<<BACK

<<<'01 4月

NEXT>>>