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>>>ジョン・レノンの意志を継いで僕は生きる! |
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ジョン・レノンが銃声に倒れて、今年で21年になる。僕は当時の様子を昨日の事のように覚えている。大学の生協のTVからその映像は流れてきた。『ジョン・レノンがニューヨークの自宅のダコダ・アパート前で射殺された』と!僕は中学の頃からのビートルズフリークだった。ギターを始めたのもビートルズがいたからだ。当然リアルタイムで聞ける年ではなかったので、解散後にその存在を『A
HARD DAYS NIGHT』で知ることになる。実は4月の最初のダイアリーに僕の音楽を始めたきっかけをちょこっと書いたのだが、そんなものは誰も興味ないと思い(気が向いたときに続く)などといういい加減なフェイドアウトをしていた。中学一年の時、ビートルズのコピーバンドを作った。まぁ、その頃はポール・マッカートニーに傾倒していたので、ジョン・レノンに関してはユーモアのあるロックン・ローラーでポールのよきパートナーだな。程度の認識だった。ビートルズ熱も中学で終わり、高校の頃はその存在すら意識しなかった。しかし、僕が18の時ジョンがニューヨークで射殺された。ちょうど活動を再開した頃で『STARTING
OVER』をヨーコとだした矢先の出来事だ!その音は文字通り『今まで、色々あったけれどこれからは気分一新、始めるよ!』というアピールであった。社会人になり再びビートルズと接する機会が出来た。ビートルズのコピーバンドのライブハウス(今はもうないが)のオーナーの人や、その旦那さんでフィリピン人のオリー。横浜国大を中退してビートルズのコピーバンドを今も続けているS君。前の会社で結成したコピーバンド等。中学の時とは違った大人の視線で彼らを見ることが出来た。そして、ジョンとヨーコは僕たちの数え切れないほどの平和のメッセージを残した。今もその志をヨーコは引き継いでいる。僕サイトを始めるきっかけになったのも、僕のBBSでもレスしたが去年の今頃、知り合いの女の子がプライベートサイトを作っていて、MACを始めたいと相談を持ちかけられたからだ。僕は正直、人の私生活に興味なんかないし、渋谷で逢って、いろんなアドバイスをした。夜も遅かったのでレイトショーでも見ようと。その時二人で見たのが
ジョン没後20年だったからだろう。『IMAGINE』だった。僕は公開時に見たので二度目だった。そして、それまでは見る気もなかった彼女のサイトを覗いたら彼女のダイアリーに『T氏は間違いなく自分の人生とダブらせてみているようだった』と書いてあった。その通りだ!そして『2度しか逢っていないのに自分のことを理解する洞察力を持った人だ』とも。彼女の日記やその他を見ていると親族と呼べる人がいない(その日の夜にそんな話は聞いたのだが)事や複雑な家庭環境にあることなどが解った。最後に来たメールは悲痛な感じであった。もちろん僕なりの返信はしたのだが、それで音信不通に、サイトも閉鎖されていた。
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'01 10月>>> |
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