アステカの幻想(19)

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国境を越えロス、ようやくホテルヘ。




国境を越えたとたんに全てが変わった。富める国と貧しい国、人と人とで貧富の差があるのは、いやという程見せつけられてきた。しかし、国と国とでこれ程違うものかと、稔は今更のように感じられる。明るく白く広がる海岸線に沿って延びる片側四車線ハイウェイ。その上を滑るようにして大型の乗用車がゆったりと走って行く。いかにもアメリカらしい。世界一金持ちの国、こう云ってしまえば、なにもかも終わりなのだが、稔は自分の目で確かめて驚嘆せずにはいられない。ヨーロパでも幾度となく国境を越えた稔だったけれど、平均した国々ばかりだけに特別な感慨を持ったことは一度もなかった。
 今、抜けてきたばかりの広大な古い屋根の税関の下では、黒人の税関史が盛んに愛嬌を振りまいている。
「ワタシ、ヘイタイ、トウキョウニ、イマシタ」
 その十分前までティワナのバスターミナルはメキシコである。脳性麻痺の障害者が箱を持って、一人一人の旅行者に物乞いをしていたし、相も変わらず早く排泄しようと、飛び込んでみたトイレには、中へ靴磨きの高椅子を持ち込んでソンブレロのアンちゃんたちが、旅客から一人、一ペソずつ巻き上げてはちり紙を渡していた。稔が入っていくと「ノン」と言って、コインは受け取らずちり紙だけ渡してくれる。これも社会福祉の乏しい国での仁義なのだろう。しかし、彼らの目の前の並んだトイレのドアの高さは一メートルほどである。一つ一つのドアの下から靴を履いた二本の足がのぞいている。稔の神経ではどうにも排泄のしようがなかった。
 ティワナへ着いたのは朝の七時だった。予定よりも二時間早く稔はバスターミナルへ着くと同時に目が覚めた。ティワナはアメリカ側から見れば小さなメキシコだ。クリスマス近くなれば、プレゼントの買い出し客で国境はごった返すという。闘牛場も二つあり、ハイアライ場も揃っている。三人は手荷物を受け取るとそのままグレイハントの案内場の前までやってきた。アメリカ中を走り回っている最大のバス会社である。まだ早朝のこととてオフィスは開いていなかった。一番は九時頃らしい。三人は交代で荷物番をしながら、いよいよ最後となったメキシコの空気を楽しんだ。
 国境を抜けるとすぐサンディエゴに入る。太平洋岸では最も古いスペインの街である。米墨戦争以後、アメリカ領となったが、いまだスペインのこととしての風格を持っているという。しかし、稔たちがバスの中からこの街を眺めた限りでは高層建築が立ち並ぶいかにもアメリカ的な街だった。軍港であり人口七十二万の工業都市である。最近では日本企業の進出もめざましく、ソニーの組立工場もあるという。
 太平洋の空は実に明るい。この辺りでは一年、三百余日の晴天が続くという。海よりに時々石油コンビナートのような影も続くが、青く澄み渡ったそれには公害らしいかげりもない。稔の心も明るくなっていた。ロサンゼルスでは希理子と二人で数日をおくれるらしい。谷山は今夜にもオークランドの自分の家へ帰るつもりらしかった。帰国時期の迫っている彼女にとって、一応ルームメイトと借りた家でも一軒たたむとなれば、それ相応の準備がいる。そして数日後には希理子と稔をサンフランシスコに迎えてくれるという。
 稔はロサンゼルスに着いても、どうなる事かと思っていた。希理子の機嫌は悪い。ようやく昨夜のスペイン語教習の後で、稔は恐る恐る希理子に尋ねている。
「ロスへ着いたらホテルはどうする?シングルの部屋を二つ取るから、一緒にロスにいてくれよ。樋口さんの案内で社会福祉の施設も見られるし、うまくいけば障害者施設も見学できるかもしれないわ」
「ええ、いいわ。部屋なんかどうでも構わないわ。シングルもツインも部屋代はあまり変わらないでしょ」
「そうだと思うけれど」
 稔は希理子のこの言葉を聞いてほっとした。もう全てを見捨てられた如く孤独感が稔の心を被っていたから。もっとも、メヒコのマンションで十日近く同じ部屋に寝起きしていた二人である。稔のように拘泥する方が可笑しいのかもしれない。
 稔は一人窓際に席を取って、新しき国、アメリカにしきりと8ミリを回し続けていた。グレイハントのバスの中は空席が目立つ。日本の三人以外はほとんどメキシコからの出稼ぎ労働者とその家族らしかった。隣席から見られていないと思えば、稔は特別緊張することもない。指先もこわばらず、安易な気分でシャッターボタンを押し続ける。ハイウェイの方向案内板にロングビーチと出た。ここが田井の紹介で稔のアバートに入れたアメリカ学生ケンの自宅があるところだなと思う。希理子に肩を突いて合図したが気づかない。谷山と希理子とは前席だった。アメリカでの打ち合わせに余念がない。谷山は希理子と並んで席を取るとき稔にちょっと気兼ねした。
「橋本さん、糸崎さんと一緒でもいいかしら」
「どうぞ、どうぞ。もう空いて今からご自由に。僕は気楽に一人で座れますから」
「じゃあ、ロスで別れるのだから座らせてね」
 谷山は彼女なりに気を使っているらしかった。谷山は男と女の関係には煩らわせない生一本な質である。メヒコに着いたばかりの頃、希理子と稔が西部から東部を廻ってアメリカ通になった谷山に旅のプランを相談したときでも、
「橋本さんと糸崎さんがグワテマラへ行くなら、私も一緒に行きたいなと思っていたの。でも、せっかく二人で旅をするのに私が入っては悪いと思ってね」
「何も構うことはないじゃない。三人で旅行したって」
「私には経験がないけど、男と女が旅行するとき、すぐそばに他人がいては気づまりなものじゃないかしら」
 グワテマラは希理子がすばらしいと言っていたので、稔を連れて行くと谷山は思っているらしかった。しかし、稔は最初からラテンアメリカには興味を示していない。ヨーロッパを廻って、次に新大陸との比較がしてみたかった。できれば希理子と二人で東部まで廻ってみたいと思っていたのである。いずれにしても女たちとは旅に出た以上公平につき合いたいと思っていた。それだからこそ、稔一人で東部を廻ってくると言い出した手前、引っ込みがつかなくて女二人旅の中に割り込んだのだった。

 アメリカ学生ケンは愛称、ケネス、ホールデンの父親は船員だ。清教徒の大学に入って、由井にメキシコに立つ前アパートを貸してやってくれと頼まれた。久美は外人と聞いただけで真向こうから反対した。外国かぶれの稔は子供たちの会話の手助けになればと久美を説得する。最初に通訳してくれたのは谷山である。二階の田井のいた部屋にケンが住むようになって、いろいろと聞いてくれたには希理子だった。家はロングビーチでそこにいる母親を日本へ呼びたいと言っていた。希理子はこのアメリカ青年をマザーコンプレックスだと言っていた。チョコレートが好きだかららしい。アパートを立ち退いてからも、久美を懐かしがって、チョコレートの小箱を持っては尋ねて来てる。

 バスはロサンゼルスに着いたらしい。アメリカ合衆国、第二の都会。フリーウェイから直接ターミナルビルに滑り込む。五階、四階とくるくる下っていく。バスの駐車場になているらしかった。二階の発着場で三人はバスを降りた。一階でコンベアーに乗って下って来る。手荷物を受け取る。いかにもアメリカ的だった。
谷山だけが自分の荷物をロッカーに預けて三人はホテルを探しに街へ出た。バスターミナルビルはダウンタウンの中心にある。谷山は去年泊まった安いホテルがすぐ近いと自信ありげに歩き出した。稔はボストンを下げ、希理子は航空カバンを引き後へ続く。ダウンタウンというのに静かな街だった。車も少なく、静かに走っている。それほど広くもない通りだが、交差点を渡るのに息が切れた。
「歩け」の信号と同時に渡り始めるのだが、三分の二ほどのところで「歩くな」の信号が出始める。稔には大分荷重だった。見かねて黒人青年が手助けて稔の荷物を引き上げた。稔は根を上げている。谷山が半分持ってくれたが、希理子は平気である。タクシーは稔が言ってももうすぐよと動じない。やむなく谷山が昼食ということで、三人は向かいのレストランに入った。
 幸い軽いコーヒーショップ風のそのレストランはホテルの経営だった。食事をすましてから谷山が希理子をつれて交渉に行く。安い十二ドルのツインの部屋は塞がっているが、十八ドルの部屋を十四ドルにしてくれると言う。
「今、谷山さんと一緒に十階まで行ってみたけれど広くてよい部屋よ」
 希理子はユカタンやグワテマラを旅しても、ペンションの類を探して泊まっていたらしく、都会で本格的なホテルに泊まるのは初めてらしい。グワテマラでは一ドルで窓もない部屋に一人で泊まったと話していた。手荷物にすっかり、ネを上げた稔に何の異存もある筈がない。稔は女二人に導かれてエレベーターを上がって行く。
 ホテルの部屋は予想以上に広かった。かなり年代は付いても豪華なダブルベットが相当の間隔をあけて室内の中心になる。二つ並べて置かれてあっても、それほど狭くは感じられなかった。室内の調度も決して新しいものではない。だが肌色のサテンのカーテンをすかして流れ込む積やかな光は、内庭に面した窓とは云え高層だけに明るく落ち着いて照らし出していた。

 

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