メキシコの太陽は明るい。今更の様に「太陽と情熱の国」こんな言葉が稔の心をよぎる。朝の太陽は斜光ながらも白壁の街に輝き始めていた。まだ七時台の様な気がしていた。南国の街は朝の活力を早く取り戻す。昼間の沈滞を少しでもカバーしておこうとする街の人々の表れなのだろう。バスはもう既に夜明け前からシナロア州にはいっているらしい。南北五百六十キロ、カリフォルニア湾に沿って延びる海岸線はメキシコ各州の中でも恵まれた地域を形成している。シュラ、マードレ、オクシデンタルから発してカリフォルニア湾に至る数本の急流は肥沃な土地の溝を刻み、流域の町々に生気を与えていた。
突然に茶褐色、瓦礫と岩山だけの荒野が緑に安らぐ広大な耕地に変わった。小麦、エジプト豆や綿花、時には水影さえ見かける。そして長距離バスは、そのただ中を何十分と走り続けることさえあった。
街は州都のクリアカンらしい。かなりの都会だった。もしクリアカンとすれば歴史の古い街である。1531年にヌーニョ・グスマンによってたてられた時はサン・ミゲルと名付けられていたが、独立以降は、ここに九世紀にも渡って住んでいたナオア族の呼び名に従ってクリアカンの名称にもどっていった。何故かバスは街角で停車した。道路でも工事していたのか、それともバスの連絡箇所でもあるのか稔にはよく分からない。とにかくバスは常時停車する場所なのだろう。
手に二、三個コーンカップのアイスクリームを手にした男の子達が乗り込んで来る。上は十二、三才から下は五つ、六つの小さな男の子まで、先を争って乗り込んでくる。七、八人はいたように思う。どの顔も買ってくれそうな大人たちの顔を見分けようと、必死だった。新聞を手にしていた子供もいたようだ。
しかし、子供たちの引き上げも敏捷だった。ほとんどアイスクリームは売れなかったらしい。南国とはいえ乗客には寝起きばなの早朝である。熱いコーヒーとでもいうならともかく大人たちには見向くものもいない。子供たちは売れ残ったアイスクリームをボスらしい十三、四才の男の子に一人、一人渡していく。この子は一つ一つ数えるようにして、道路脇に置かれたかなり大型のアイスボックスにしまい始めた。
終わって、そのボスと思われる男の子がぽんと箱の上に腰掛けても、足は地上にとどかない。子供たちは散って思い思いの遊びに更ける。その中で一番幼い七、八つの男の子が一人、何故かバスのそばへやって来て、窓越しに無心の顔で異邦人稔の顔を眺めていた。先程の到着したバスの中へアイスクリームを片手に乗り込んできた、あの時の凄まじき形相の影はどこにもなかった。
間もなくバスは走り出した。しばらくは白壁にペンキを塗りたぐった街の商店の中を走った。プラタナスの並木道を抜ける。左手に学校があった。小学校らしい。三三、五五と子供たちが、小さな手提げカバンや本を小脇にかかえて。日本の子供たち重装備ランドセル姿とは違って軽やかだった。その時の稔は思った。
何とでたらめな国だと。一方ではきちんと学校へ通う子供たちがいるのに、それと同じ時刻に同じ年頃の子供たちがアイスクリームを売っている。障害者が物乞いをして生活し、一方、巨万の富を握った金持ちたちはヨーロッパやアメリカに別邸を構えて、連夜の如く華美な生活を社交界に送っている。その時の疲れ切った稔には一刻でも早く、こんな国を脱出したいと云う思いだけしかなかった。
昼近くなって稔は谷山と並んで席を占めた。希理子は昨日、二十四時間稔と同じ席を占めたメキシコ青年と盛んにスパニッシュの会話を続けている。稔は谷山ともフランクな気持ちでしゃべってみたかった。谷山なら、きっとイージーに稔の今の心境を聞いて貰えるような気がしていた。
昨年六月、田井と谷山がメキシコへ出発する前日、稔は餞別と称してヨーロッパで使い残したドルを渡しに彼女たちのコミュニティを訪れた。
「大家さんが私にくださるの」
田井は独特の個性的な大きな目を見開いて稔を見据えていた。ちょうど、希理子の姿はなかったが、谷山と並んで航空カバンに荷物をつめていた。
「いやあ、ほんの少しですよ。ヨーロッパへ行った残りですもの。飛行機の中で何か買ってください」
稔はその時、前々から懸案になっていた自分の原稿筆写を田井に頼んだ。敢えて希理子の名は出さなかったが、田井はその事は分かっていた筈だった。しどろもどろの稔の顔、照れて紅潮した自分の顔が目に見えて自分でも可笑しいようだった。横に座っていた谷山も不思議そうに稔を見ていた。
翌日、希理子と二人で羽田まで荷物を運んでやった。田井に別れを言いにコミュニティまで稔の車のサイドシートに座ってまた久美の荷物を積んで入れ、代わりにさっと席をしめた希理子の陰に、久美は最初の不吉な予感を感じたはずだった。しかし、後で稔は希理子に聞いている。
「田井さんに僕の原稿筆写のこと聞いている?」 「ううん。別に。」 「そうかなあ、あれ程田井さんに頼んでおいたのだがなあ」
「奈津さん、きっと出発前で忙しかったでしょう」
稔には必ずしもそうとは思えなかった。あの時の稔の表情は、田井にとって奇異に思う程、強く印象に残ったに相違ない。稔には故意の様に思えて仕方なかった。
谷山は何故か窓を見つめたまま一度も稔の方を振り向こうともしなかった。外の景色は相変わらず同じ様なサボテンと砂礫の原野である。つい先程まで安らぎを与えるかのようにつづいていた田園風景も今は全く消え去っていた。谷山の表情も堅い。稔は一昨日、メヒコで誘われるままに一緒に食事をすべきだったと悔いていた。事実、谷山はリブの女たちの中では最も好感の持てる女だった。とりわけて美人というわけではないが、近視の細淵の眼鏡の奥には高い知性を秘めていたし。英会話も得意で全てにそつなくコミュニティを取り仕切っていた。それでいて穏やかな性格は烈しい田井親分の性格を陰で支えて、大政的存在といえる。
だが、その時の稔には余裕がなかっただけである。気も心も転倒している稔には只、女たちから離れて孤独になってみたかた。今となって悔いても始まらぬ気もしたが、遂に谷山は次の街のバスターミナルまで、稔に口を開かすすきを与えなかった。
ソノラ州の州都エルモシージョは「オレンジの都」の名にふさわしい南国的情緒をもった人工二十二万の大都会である。エルモシージョはメキシコ独立運動の騎士だった。彼の栄誉を記念して名付けられている。谷山は街へレストラン探しに出ていった。バスターミナルのレストランは高いばかりで旨いとは云えない。
ソノラ州はもうアメリカと国境を接している。従って避難のための保養客も多く、それなりの設備もある筈とアメリカ通の谷山の意見であった。しかし何せ三十分の食事時間である。谷山が戻って来ると、もう十分は経っている。レストランでの待ち時間を考えれば街での食事は難しい。
三人は致し方なくターミナル内のカウンターに席を占めた。もう西日がターミナルの内部に差し込んで、輝度の下ったオレンジ色の光が場末のわびしさを照らしていた。スープもまずかった。二十五ペソも出せばメキシコなら昼時、気が利いたレストランでコミーダ・コリーダと呼ばれる定食メニューを取れば、アラカルト(一品料理)よりかなり割安な食事も出来る。これも旅は憂きものとすればやむを得ぬのかと稔は思った。
猫舌の稔がようやく三分の一程、スープをすすり終えたところで、乗車口に近い丸テーブルでコーヒーを飲んでいた例の見事な口髭を蓄えた堂々たる体躯の運転手が「出掛けるよ」と手で合図する。稔は残りの食事を夢中で口の中に放り込むようにして席を立った。
また希理子が稔の横に座ってくれる。だが稔は肩が触れ合うのを意識した。二人のシートには五センチ程の隙間が出来ている。斜め向かいにメヒコ依頼、若い男女が席を占めていた。稔も興味を持つのか視線がよくその方向へ流される。昼間は別に何事もなく座っていたが、抱き合った夜のシーンは昨夜も強烈だった。
「前の男の子と何を話していたの」
「別に何ということでもないわよ。向こうも私の言うことが半分くらいしか分からないし。こちらも相手がペラペラとやられれば三分の一位しか分からなくなってしまうもの」
「やっぱり、終点のティハナまで行くの」
「そうらしいわよ。彼はティハナの方の人間で、メヒコへは遊びに来て、その帰りらしい。家族中で親戚へ行ったのね」
希理子は青年から、何によって年齢とか出生地、何のためにどこへ行くのかという様なことを尋ねられたらしい。最後には恋人がいるかと聞かれたと話していた。稔は希理子が話に応じてくれるので幾らか元気が出てきた。
「こんなに英語が通じないとは思わなかった。アメリカの隣の国でワン・ツー・スリーの数詞さえだめなのだもの」
買い物はほとんどメヒコでは希理子に頼りっぱなしだった。しかし、こうやって長旅を続けて行けばジュース一本買うにしても希理子を全く当てにできない。十五分の時間は各自にとって貴重だった。稔も小銭を出して適当につりをもらってはいたが、「てにをは」さえ分からない言語空間の中に、ただ一人身を置くと、トイレでバスの発着アナウンスを耳にするだけで言い知れぬ不安感に陥った。
「一般の人たちは文盲が多いし、インテリは意識して英語を使いたがらないから。ホテルや空港ならいくらでも通じるだろうが、こんなオンボロバスに乗ってくるアメリカの観光客はまずいないし」
「じゃあ、少しスペイン語を教えてあげようか」
日はとっぷりと暮れていた。バスはもう間もなくソノラ州から州境の山岳地帯に入るはずだ。もう十二、三時間も経てばいやでもメキシコを脱出して英語の国に入らなければならない。
「五十前にもなると大分頭が堅くなっているからな。この年になると語学は無理だけれど、とにかくハウマッチと数を一から五まで教えてもらおう」
もう数でも十まで覚え込む自信はなかった。メキシコへ来て十日以上になる。その間、稔には「グラーシェ」以外覚えようともしなかった。
「ウノ・ドス・トレス・クアトロ・シンコ」
暗闇のバスの中で希理子の声に続いて、稔の声が復唱する。幼な子のように稔の心は次第に今までの葛藤から離れて安らいでいた。 「クエンタ・プリシモ」
クエンタは英語のホワット、プリシモはプライスだと聞かされて稔は次のバスターミナルでは一人で軽い食事をした。相変わらずすぐにトイレへ飛び込む。全く排泄されない。歯を磨く。歯痛からの闘いだった。最後の一夜である。バスは二筋のヘッドライトの條光を右、左となびかせてつづら折りの山岳道路をあえぎあえぎ登っていた。
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