「いよいよ、これでメヒコともお別れなのね」
田井のマンションから走り出したタクシーが、いつも買い馴れた食品店の角を曲がると谷山が初めて感慨深げにそう言った。夢中で飛び起きて田井との別れの感傷もそこそこに、電話で呼び出したタクシーへと荷物を束ねて乗り込む。三人には各自がそれぞれ甘くも苦くも様々な思い出を残したはずである。だが稔に古都メヒコは別れの感傷を抱く余裕を持たせなかった。
「もう一度、ここへ来るのは五年後かしら、それとも十年も先になるのかなあ」
谷山は懐かしそうに思い出の街を振り返る。希理子にしても同じだろう。しかし、稔はそんなに感慨も全く湧いてこない。出鱈目でつまらぬくだらない街。今の稔には民族の征服が生んだ混血の街に対して嫌悪感さえ持っている。こんな国に何も好んで二度やってくる必要はない。地球上には、まだまだ百何カ国の国々があるのだと稔は自分に言い聞かせていた。
メヒコも朝のラッシュである。車の渋滞は激しくなる。インスルヘンテスの大通りをテルミナル・ノルテに向かって北へと進むが牛歩の如くだった。特にレフォルマ大通りと出会うロータリーの辺りではひどかった。左手の記念碑はクアウテモックの像である。バスでソカロの方へと出る度に、必ず眺めた記念碑だった。
コルテスと最後まで果敢な戦いを交えて、ついに敗れ去った悲劇の王。このアステカ最後の王も捕らわれたとき、コルテスに死を求めた。しかし、コルテスはそこまで戦った戦士に何の不名誉があるかと、王を許して臣として遇する。だがそれも二年の間だけだった。アステカ秘宝の探査に役立たずと知ると、やがてコルテスは自分に対する暗殺未遂の罪で王の処刑を命じた。王の最後は白人に対する不信と憎悪だけで凝り固まっていたという。
メヒコの人たちと話をしていくと、必ずどこかでアステカに繋がる。ダニエルもカティにしてもそうなるだろう。毎年八月には王を偲んで、多数のインディオたちが奉納踊りをするというのも頷ける。勝ったスペイン人コルテスがメキシコの国民的英雄なら、敗れたアステカ王のクアウテモックもやはりメキシコの悲劇の国民的英雄に違いない。
勝者は敗者を完全に抹殺するのが、如何なる場合も歴史の常道である。そしてそれは一時は完全に達成されたかのように見えた。しかし、流れていった血の繋がりだけはどうしても消えない。神にしてもそうである。メキシコは完全にカソリックの国となっても、土俗的な民族の風習は消し去ることが出来なかった。
メヒコ最後の夜となった昨夜も、カティが男女数人の友達を引き連れて田井のマンションを訪れた。時計は十時を回っていた。みんな純粋なメキシコ人ともいえるメソットたちである。稔がチャペルテペックの公園から帰って来たときは、もう八時に近かった。部屋には谷山の姿しか見えなかった。
間もなく、田井と希理子が島岡夫人の所から帰っては来たが、一日出歩いた彼女たちには疲労の色が濃かった。まして、明日の朝は出発する三人であれば、荷物の整理もせねばならぬ。日本人として女一人残る田井は妊婦である。今朝出発した村ちゃん親子も突然の出発で、自分たちの荷物をまとめるだけが精一杯、部屋の掃除はおろかペットの始末さえ満足には出来ていなかった。田井にすればせめてシーツの洗濯くらいはしていって欲しかったことだろう。谷山も希理子もその事は分かっていた。
民族の喜びも悲しみも皆、歌となって流れていく。二つの民族が一つに融合した全く別個の民族の歌だった。それは父方スペインの洗練されたメロディかと思えば、母方の情感をむしり取るようなインディオのリズムだった。もう何時間、歌い続けているのだろう。酔いつぶれた稔は今夜も一番先にベットへ引き下がった。実をいうと稔はこの種のパーティーには辟易している。スペイン語は全て分からぬのはともかくとして、突然メヒコの人たちに話しかけられては頓珍漢な受け答えをするらしい。田井女史はそれがおかしいと言ってはけらけら笑った。
田井女史の語学音痴は有名である。二年前、稔が初めて、彼女たちのコレクティブを訪れたとき各国からのリブのパンフを見せてもらったが「私は語学音痴よ」と大見栄を切っていた。稔もあれだけの激しく練れた文章を書く人がと驚いた。一年前、一緒に同行した英語が得意な谷山もどうなることかと思っていたらしい。それがどうだろう。完全には一年も経っていないというのに。愛人が出来たとなれば、それはそれで当たり前のことかもしれないが。
アメリカへ留学したことのあるカティと谷山はほとんど英語で話を続けている。メソットといっても金髪で色白のカティは稔たちの目には、純粋な白人としてしか映らない。しかしアメリカでの白黒は外見だけのものでない。あくまでも血である。留学中にはやはり有色人種としての色々な偏見で不愉快な目に遭っていたことを話していた。谷山にしてもそうである。彼女にしてみればリブというアメリカでも最も進歩的なはずの女性たちの中にいた筈だったが、何度か不愉快な思いはしているらしかった。
その点ではメキシコは楽しい国である。混血の国、融合した民族の国である。今夜も地球の裏側からやってきた異民族の別離の為に多数で押しかけて来る。田井は田井なりの立場で、谷山や希理子は彼女たちの立場で、また稔は稔なりに辟易していたとしても、その人たちには意に介する所はないらしい。
稔が仮寝の床から目覚めた時には、もう三時を過ぎていた。別離のパーティーはようやくお開きとなったところらしい。カティたち一行の姿はもう室内にはなかった。谷山と希理子は後かたづけに余念がなかったものの、充分に出来る立場ではなかった。自分たちの荷物造りも残っている。明朝はどんなに遅くとも七時には起きねばならぬのだろう。ティハナ行きのバスはテルミナル・ノルテを九時に出発するのだった。希理子は丁度ベットにむっくり起きあがった稔に告げた。
「カティが橋本さんにプレゼント。記念にでしょ。アカプルコのキーホルダーですって」
レホルマとのロータリーを過ぎる頃から、車は下りへと流れに乗り始めていた。一時はどうなることかと思った渋滞も徐々に和らいで、三十分前の八時半にはどうやらテルミナル・ノルテに着く。運ちゃんにチップをはずまなかったためか、乗車するバス会社の前では車を止めてくれなかった。三人は転がすようにして、広い構内を何十と並ぶバス会社のカウンターに沿って歩く。よろよろ目的のカウンターに手荷物のカバン類を引き渡してほっとした。
「まだ発車まで二十分ある。買い忘れた絵葉書があるんだ。ちょっと売店へ行って買って来るから」
稔はどこの観光地へ行っても絵葉書だけは買うことにしている。一応、観光地と名が付けば世界中何処へ行っても求められるからだ。稔にとって旅行中に荷物の増えるのは辛い。稔とてその土地々々の郷土色豊かな記念品を買って帰りたいと思う欲望はある。しかし、自分の立場を考えれば常に断念せざるを得ない。その点、絵葉書は嵩張らずバックの底にこじんまりと横たえた。
「あんな色彩感覚の全くなってないものを、よく買う気がするね。ありゃあ、どこもみんな大概一カ所で作るんだよ」
稔にはそれもよく分かっていた。構図にしても俗に絵葉書的なという言葉に形容される位、陳腐なものである。しかしカメラはポケットにあったとしても、短期間の家に天候、気候、時刻等、その土地に最も適した条件を探し出すことは不可能だった。小型カメラのレンズでは焦点距離にも限界もある。やはり、どんな悪口をいわれようと、専門家の時間を掛けて、撮影した画面に太刀打ち出来ないものであることを稔は知っていた。
稔が外国旅行をするようになって戸惑ったのはヨーロッパでもアメリカでも、海外では国内のように絵葉書がセットになって売られていることが極めて少ないことだった。バラ売りの絵葉書にはそれはそれなりに利点はあると思う。個性に合った選択の自由があり、方々に通信文を送るにしても最も気に入った一種類の画面を何枚でも購入できる利点がある。袋入りのセットものを帰宅してから開けてみて、しばしばがっかりさせられる。同じような類似する画面が何枚も出てきたり、こんな場所までと思わせる画面がセットの枚数を合わせる為に入っていたりする。
しかし、見知らぬ土地へ来て短い時間で風光画面の選択は難しい。その景色がそこの観光地のキーポイントなのか分からぬ場合もある。また、その土地でその場所としては最も重要な画面が売り切れということも考えられた。稔は昨夜、荷物の整理をしていて、あちこちで買い求めたメヒコの絵葉書の中にチャペルテペックの公園画面が入ってないのに気付いたのである。
「じゃあ、なるべく早くして下さいね。遅くても十分前にはここへ戻ってきてね」
希理子より一つ年上の谷山はメヒコでは滞在期間の長くなっていた希理子に一歩を譲っていたが、これからの旅が自分の住居もあるアメリカを指向していると思うとパイロットとしての威厳を保った。
稔は小走りにバスセンターの中の商店を回った。飲食店以外は九時前なので開店前の店が多かった。考えてみれば、ここテルミナル・ノルテはメヒコの上野のようなものである。レコード楽器店、玩具店、洋品店、そういったお上がりさん相手の商店が多い。純粋な観光客はそれ程多くはないのだろう。絵葉書など販売していそうな店は、なかなか見あたらなかった。諦めた稔は女たちとバスの入口に並んだ。ふと見ると大きなガラスのウィンドウ越し真ん前の食料品店に絵葉書を並べたビニールに巻かれた針金の籠がある。稔は思わずその店のウィンドウへ向かって十歩ほど踏み出した。途端に幼稚園の子供たちを窘めるように谷山の声が掛かる。
「橋本さん、どこへ行くのです」
同じようなアクセントの声は、ヨーロッパの旅行中に何度か稔は聞いている。ツアーのエージェントT氏の声だった。例えば稔が公園の屑籠に下着の包みを捨てようと、皆から十歩か二十歩程離れても、この声はすぐに掛かった。稔はなぶべく旅行中洗濯をせずに済ませようと、古い下着を数多く持参して、着捨てるようにしていた。例え紙でくるんでもパンツの類をホテルの小さな屑籠に捨てる気にはなれなかったのである。
T氏の声も谷山の声も稔を窘める調子は全く同じだった。稔が最高の教育を受け、一応の事業を経営する四十代の分別盛りの男であることは、T氏はともかく谷山は知りすぎるほど、よく知っていたはずである。時間は十分あった。まだ十分前だった。距離にしても二十歩程である。
貫禄のある四十代の紳士が自信に満ちた様子で、例え十歩、二十歩列を離れたとしても誰も不安に思う者はいない筈である。それが稔の場合にはどうであろうか。踵もつけず、つま先でひょっこひょっこと歩く様子は宙を行き、足元が地上に着いていない歩き方は人々に不安を呼び起こすに充分なのだろう。この意味では谷山の幼稚園児を窘めるような声も当然なのかもしれない。
しかし稔は思った。女性解放を呼び自由を標榜する彼女たちではないか。何故そこまで人を管理せねばならないのか。それはまた女として子育ての管理とは全く異質なものだと。
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