稔は一人、テォティワカンのシウダデラ城壁の上に立っている。午後も四時を過ぎていた。先程まで輝き続けていたメキシコの太陽も、厚いヴェールに閉ざされて、どんよりと薄墨の濃淡な帯があやなす中空では、その位置さえ定かではない。不思議な沈黙の流れているのも、これから始まるであろう砂礫の大地に、恵みの湿りを施す光と音のシンフォニーの先別れの如くであった。一辺はおよそ四百メートルはある。ほぼ正方形に築かれたシウダデラはさほど高いものではないが、四、五十段の石段は充分あった。
小博物館やレストラン、売店などのある入口の建物から、真正面の石段を、幅五十米もあろう南北に延びる「死者の道」を横切って登ってきた。さきほど希理子がトゥーラからのバスの中で、
「入口を出るとすぐにシウダデラと呼ばれる城壁がすぐに見えるの。そこに登れば太陽のピラミッドも月のピラミッドも全部見られるはずよ」
と教えていた。日曜日のこととて、その日も人出は多かったらしい。だがこの時間となれば、入場してくるのは稔くらいのもので、ほとんど人影もまばらだった。ただ珍しく、シウダデラの上には家族連れの日本人がいた。子供は二人、男女の小学生で、女の子はませた顔で水色のブラウスを着ている。彼らは車でやってきたらしかった。シウダデラの上から、連れの若い男から、はるか彼方のピラミッドを指さされつつ、声高に日本語で説明を受けると、稔の姿を完全に無視して、再び階段を下り、入口の駐車場へと戻っていった。
シウダデラで囲まれた四角な内苑も石段で下りて行かれる。一本の木とて生えていない砂礫の内苑は、上から眺めると玉砂利を敷き詰めた日本の神域のごとく畏敬の念を起こさせる。
正面の朽ちかけたピラミッドがケツアルコアトルの神殿であるらしかった。基盤の石組みにはケツアルコアトルの神像と、それと並んでもう一つの重要な神である雨の神トラロックの神像が交互に刻まれているのだろう。メキシコで最古の文明といわれるオルメカ文化に、ケツアルコアトルはすでに最も重要な神として登場していた。羽毛のある蛇とか、翼蛇というように訳されてはいるが恐らく東洋では龍と、西洋ではドラゴンにでも頼するものなのであろう。当然その神は次の文化の担い手あったトルテカの文化にも非常な影響を与えた。そしてまたケツアルコアトルはトルテカ文明の黄金時代を築いたという王、ナクシトル・トビルツインを指す場合もある。
北方の民、トルテカ族が最初にこのメキシコの高原地帯にやってきて、先程稔が希理子と訪れたトウーラの地に都を定めたのは西暦856年のことである。未開の民である彼らがまだその時は衰退期に入っていたとはいえ、テオティワカンの神権政治の伝統に忠実だった。
稔はシウダデラの左端に立つ。はるか千七百メートルの彼方へと一直線に延びる「死者の道」を通して、太陽と月の二大ピラミッドを望見した。予定通り、8ミリのズームレンズを望遠いっぱいに回して写し続けたが、ここからでは高さ六十三メートルのピラミッドもさしたる迫力はなかった。
一通り撮り終わって稔は再びシウダデラの上をケツアルコアトルの神殿に向かって進む。全く人影はない。ふと彼方崩れかけた、幾らかの土が露出させ斜面に縁を取り戻したピラミッドから若い男が手招きしながら下ってくる。稔は思わず足を止めた。次第に近づくにつれ、小さな荷包を抱えたそのメソットの男はいかにも親しげな身振りを示す。荷包の中は小さなプラスチック製の神像だった。稔は興味は持ったが取り合わない。
メキシコへ来て以来、稔は一人で買い物はほとんどしていない。英語があまり通じないというのが主な理由だが、ペソを希理子に預けっぱなしにしている。なんとかメトロに乗ることだけは覚えたが、自分で買い物をしたのはラテンアメリカタワーで絵はがきを買ったくらいだろう。希理子がたとえば片言でもスペイン語を話すと思うとジュース一本買うのも億劫だった。男は執拗に稔を追ってくる。稔は崩れかけたシウダデラから石段を下りずに石ころ斜面を下りられて、ほっとした。
稔は階段で落ちて額を割って以来、ここのところ階段を下りるのが苦手になっていた。登ることにはさしたる抵抗も感じないが階段を下るとなると、その時の恐怖が頭を離れず手摺りなしには下れなくなる。先程トウーラのピラミッドでも登るには登って有名な戦士の像の前に立ち、希理子に8ミリを回させたが、いざ下りる段となってさすがに遺跡の急な石段は難渋する。
久美でもいてくれ後ろをちょっとでも支えて貰えれば、恐怖も静まり安心して下っていけるのだが、パートナーが希理子ではそれを頼むわけもいかず、希理子と同じように一段、一段尻をつけ恥も外聞も忘れて下りていった。それでも手を使うから手の自由な希理子はずっと早い。稔が三分の一も下り切らぬ内に地上まで下りていた。稔は先へ行っていてくれと上から合図する。
「じゃあ、帰りの時間を調べておくからね」
希理子は稔の醜態に気を利かしたつもりか先へ消えた。やっと三分の二を下りきった所で、登ってきた五、六人の若者たちのパーティが見かねて稔を担ぎ下ろしてくれた。
稔は一日の中にトルテカの失われた都トウーラと、オルメカの幻の都テオティワカンとを見られようとは思わなかった。それも昨夜はマリアッチ広場へ行って夜も遅い。テルミナル・ノルテ(北バスターミナル)からトウーラ行きのバスに乗ったのは正午だった。
「どこでもいいさ。ピラミッドを一カ所見ておけば、糸崎さんは田井さんとテオティワカンへ行っているのだったら、トウーラでいいよ。どこだって同じようなものだろう」
オルメカ文明もトルテカ文明もまだ稔の頭の中には混然としていた頃だった。バスはすぐに出発する。日曜とはいえ時間が時間だけに、バスの中は希理子と稔の他はほとんど乗客らしい影もない。稔が車掌かと思っていた十二、三才のお下げの少女は、稔のデジタルの腕時計を不思議そうに眺めていた。
註、カシオ製の文字表示腕時計(当時は秋葉原でも3万円以上の価格)
この冬、希理子と事を起こした熱海で落としてから買った時計である。かなりの価格だが時間は驚くほど正確でオメガにも負けない。ただ時差を修正するのにちょっと龍頭を回してという訳にはいかなかった。未だに日本時間を示していた。十五時間の時差も十二を引けば三時間となる。三時間を引くだけで事足りた。メヒコの時計屋のウィンドーでまだ一つも見かけなかった。後でロスのリトル東京の時計屋の店先で同じ時計を一つだけ見かけたが、やはり日本時間を示していた。
「今のこ娘、車掌かと思ったらそうじゃないんだね」 出発する間際になって、そそくさと降りていった少女に稔は意外に思って希理子に尋ねた。
「そうよ。このバスには車掌なんていないわよ。物売りでしょう。メヒコではみんなああした小さな子供たちが自分で稼ぐのよ」
そういえば傍らの包みの中にゼリーのようなものが入っていた。自分の商売も忘れて、稔の時計に見入っていた少女を稔は可愛く思った。
「料金も払わずに乗ったり降りたり子供たちがしていても、運転手は何も咎めようとはしないんだね」
メヒコの市内を走るバスの中でも、男の子が自由にバスを乗り降りしては新聞を売っていた。
「社会保障の何にもない国だけに、こうしたところは自由なのよ。身障者の乞食だってそうでしょう。ちゃんと身ぎれいにして大威張りで金をもらっている」
メヒコに来て以来、稔は大勢の身障者を見ている。どこかの身障者たちよりずっと明るい顔をしているのではないかと思ってみた。メヒコの郊外も三千万人口の中で八百万が首都に集中しているだけあって長かった。砂礫の中に同じ四角のコンクリートの一戸建てが、何十、何百と砂場で積み木の列を並べたように績いていた。
高速道路も速い。一時間ほどだった。街外れの停留所で降ろさせて希理子がハイキング姿の若者たちに 「ピラミードスは」
とスペイン語で尋ねると、方向を指さしながら自分たちもこれから歩くのだという。やれやれ、それではジュースを一杯。樹影の売店へと戻った。古いフォードのセダンが一台傍らに置いてある。大瓶のコーラに長めのストローを二本差し込んで一気に吸い上げる。心地よく気泡が喉に染みた。
十ペソで古いセダンが行ってくれるという。この炎天下を歩かずに済むかと思うとほっとした気持ちだった。トウーラのピラミッドは日盛り太陽に輝くばかりに照りつけられて白く光り、目も眩むばかりである。頂上の四本の戦の像の円錐だけが黒い印影をつけていた。稔はかねて用意したサングラスをガイドブックの指示通りに取り出した。
「それを掛けると橋本さんは中年男のいやらしさがにじみ出るわね」 と希理子は笑った。
ようやく稔がピラミッドから下りてくると、もう希理子は帰りのタクシーをチャーターしていた。売店の横の展示室にも大したものはないという。
「バスの時間なんか聞いていたら、入園料を取られちゃた。黙っていればよかった」 希理子はまた笑った。
「トウーラの遺跡ってこれだけのものかね」
アステカ旅の一行が北の国から軍神ウイチロポチトリを先頭に、この中央高原へと入ってきた十二世紀、トルテカの都、トゥーラはうち続く内乱や凶作のために、さしも栄華を誇ったトルテカ文明の影も消えて、もうすでに廃都と化していた筈だった。
「ティテオワカンの方がもっと立派かい」 「それはそうね。ピラミッドも大きいし、全体的にもっと雄大だわ」
タクシーはトゥーラの町のバスターミナルまで運んでくれた。絵はがきを買っている間にメヒコ行きのバスは出るという。三時には正午に出発したテルミナル・ノルテに帰れるだろう。稔はたとえ入口からでもテオティワカンのピラミッドを遠望したいと思った。本来のプランからいけば、日曜の午後には闘牛をと思っていたが、山本女史からの返事も来なかった。どちらにしても闘牛のあるプラサ、メヒコへはインスルヘンテスから南へバスで三十分と聞いている。四時からとすれば、ちょっと難しい。稔は一人でこれからティテオワカンへ行ってみたいと希理子に話した。
「それじゃ、そうなさいよ。私はその間に明日からのアメリカ旅行の時刻を調べておくからいいわ」
メキシコではバスは庶民の最も重要な足である。従ってテルミナル・ノルテも全く見事という他はなかった。湾曲に延びる長い建物は端から端まで数百メートルはあるだろう。中央の降車口を挟んで、何十というバス会社のカウンターが並び、その後方には何百というバスが一列になって、メキシコ中へその出発時間を待っている。
希理子は降車口を出ると、すぐにテオティワカンへ行くバス会社を探し出す。切符を買ってバスの中まで送り、運転手に稔のことを頼んで下りて行った。
さすがに稔も疲れていたらしい。運転手に起こされてはっと気付くと、もう金網の張った遺跡の入口の前でバスは停まっていた。足の悪い稔のためにわざわざそのまん前で停車してくれたらしい。
「グラーシェ、グラーシェ」 を連発しながら、稔はそそくさとバスを降り立った。
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