メキシコインディオの娘マリンチェはスペインの征服者コルデスを心から愛した。幼くして奴隷の身に落とされ様々の人生の苦汁を嘗め尽くした彼女にとって、始めて女として喜びをしらせ、また、人間としての生きがいを教えてくれたその人でもあった。後には彼の愛の種も宿している。ドン・マルチン・コルテスである。
利口な彼女は男のために細かく立ち動くその行為が、自分と同じ血を分けた民族の滅亡に繋がるものだと知っていたとしても、あるときは有能な通訳として、またあるときは情報収集者でもあり、またある場合には進駐のための外交官ともなった。女らしいきめの細かな配慮はどれだけコルテスの支えとなったことだろう。女奴隷のマリンチェが単なる性の愛玩具でなかったことは史実を見てもはっきり知られている。
そのころのアメリカ大陸に馬はない。それ故怪物と恐れられてた馬、さらに鋼鉄と火薬で武装されていたが、僅かに五百余名のスペイン兵。本当の手勢として、それ以上持ち得なかったコルテスは決して連戦連勝の将ではなかった。
メヒコの郊外にあるノッケ・トリステは勇猛なアステカ軍のためにほとんど壊滅に近い打撃を受け、コルテスがやっとの思いで落ち延びてきた場所である。一時は無血進駐に成功し、テノチティトランの都も放棄せねばならなかった。迎え入れられた父王モンテスマ一世の館にあった金銀財宝の山も敗走の道に跡形もなく消え去っていた。
しかし、コルテスは挫けない。慎重な計画の下に再度の遠征を試みる。アステカ軍も勇敢だった。前の失敗に懲りたコルテスは水の都テノチティトラン攻略のために、多数の小船を用意していた。そして、ついに北方の野蛮な一種族過ぎなかったアステカ族が征圧していたメキシコの都も、陥落する日がやってくる。鉄と火薬と馬の力には如何に勇猛な種族といえ適とはなり得なかった。
しかし、その影にはもっと根本的な敗因があった。それは民族の抜き差しならぬ習性ともいえるものだった。あるいはそれは稔が田井のマンションで夜中に唄い続けた驚きに似通ったものであったかも知れない。死も恐れぬ勇猛なアステカ戦士たちの戦いの目的は敵を直接やっつけることではなかった。どのような形にしろ、敵を生きながら捕らえ、ピラミッド上の大神殿の上で生け贄として心臓を刳り貫き、種族の繁栄を神に願うことにある。そのためには自らの死も恐れなかった。
テノチティトランの都は人口二十万ともあるいは三十万とも言われていた。国立宮殿のリペラの壁画の前で、稔は五百余名のスペイン軍に壊滅させられたアステカ帝国の話を希理子から聞かされて不思議に思った覚えがある。たとえ鉄砲があったにしてもたかが火縄銃に過ぎない。なぜそのような少数の敵に敗れ去らねばならなかったのか。なぞは民族の習性にあり、それは民族の宿命でもあったのだろう。
「私がメヒコに着いて一週間目、始めて一人でバスに乗り三文化広場へ行ったと手紙に書いたでしょう。あそこはトラテロルコと言ってアステカ軍が最後の拠点となった所よ。巨大な市場があって、国中の経済を握っていたアステカの商人たちが主として住んでいた所ね」
オリンピック以前はスラム街を形成していたが、それらを全て壊して今ではラテンアメリカ最大のマンモス団地群が建設されている。レフォルマ大通りを行けばソカロからもほど近い。スペインの植民地時代の教会はガダルクーベ伝説の立役者、インディオ娘ファン・デイエゴが洗礼を受けた場所でもある。アステカ遺跡の前に広場があった。中央の大理石の碑にはスペイン語で次のように刻まれている。
「アステカ王クァウモックによって英雄的に守られてきたトラテロルコは、コステスの手によって落ちた。それは勝利でなければ敗北でもない。混血の民衆、今日のメキシコ人の痛ましい誕生を意味する出来事だった」
もしも侵略者コルテスをしてメキシコの父と呼ぶことが許されるなら、マリンチェをして母と呼ぶことも許されるであろう。
「今日限りで一応、橋本さんと男と女の関係を断とうと思うの。橋本さんに奈津さんがお金をお借りして、その上今度はムラちゃんが帰る旅費をお借りすることになったでしょう。私、間に入って自分の体を売っているようで、とてもいやなの。これからも、旅行は御一緒するけれど、あくまでも私との関係は雇われガイドと云うことにしといて」
「あ、あ、いいよ。メヒコにきてから最初の夜はともかくとして、ずっと二人は清い関係にいるじゃないか」
気が付くとチャペルペックの公園の中も、暗い被われていた。明るく輝いていた緑の茂みも光を失い始めていた。人々の流れも午後の雷雨を予知してか、出入り口からメトロに向かう流れがはげしくなって来た。
「それでよろしければ私も安心してアメリカでもどこでもお供するわ」 「ホテルの部屋も別々にとるのかい」
「ううん、そんなことはかまわない。ツインもそれほど値段は変わらないし、シングルのお部屋を二つ取ったら大変ですもの」
「僕を信用してくれるのだね。紳士だから大丈夫だよ」 「私だって橋本さんの前では着替えをしないようにして気をつけるつもりだけれど」
「そんなこと、かまわないさ。別に気にしないでどんどん脱いでください」
「私だって女よ。二人だけになって旅に出ればどんなに気が変わるか分からないわ。そのときはその時でいいと思うの。ただ今はどうしても二人の関係をそうしておかないとご一緒する気になれないわ」
稔はほっとした。今の場合の希理子がそう思うの無理なく思われた。女の仲間の中から男としての稔がいかに惨めに見えることか。それなればこそ稔はメヒコへは姿を現したくはなかった。一対一ならばさほどに感ぜぬ欠点も、仲間と供に眺めればどうしても仲間と同じ立場で客観化して眺めざるを得ない。少しの欠点にも妥協がゆるされなくなる。まして稔の立場には人間としてあまりにも欠陥が多すぎる。それ故、稔は希理子をロスアンゼルスまで呼び寄せたかったのだった。
「私は六時から山本さんの所へ挨拶に行かなければならないし、田井さんはカティの所へ谷山さんを連れて行くと言っていたから、私が代わらなければいけない。橋本さんだけけでもチャプルペックのお城を見ていらっしゃいよ」
しかし空からすでに幾つか冷たい感触があった。人々の流れに一段と慌しさが増していた。
「お城なんていうものは、外から眺めてくれば充分さ。日本の城だってそうだけれど、城なんていうものは中へ入ってみれば、何の変哲もないものだよ。中の展示品といったって骨董屋からガラクタを集めてきたようなものばかりさ」
錆びた刀や槍の先、古い火縄銃、それに貨幣や日常品、相場は定まっている。ヨーロッパへ行っても同じことだった。ハムレットで有名なデンマークのクロンボルグ城も外から眺めてきた。
「日本で言えば京都の二条城とか、イギリスならウィンザー城、あそこはダイクの絵の宝庫と言われているし、現在だって王室の離宮として使われている。こうした所は美術的に見てもそれなりの価値はあるがね」
二人は城壁に沿って歩き八ミリに収めた。緑に囲まれた古い城壁に言い知れぬ郷愁を感じるのは何故だろう。中へ入って感じる陰惨さはどこにもない。穏やかなうちにも峻厳さは残ってる。この城にも米墨戦争のとき、メキシコ少年兵たちの会津白虎隊に似た話が残っていた。
夕立前の慌しさにも拘わらず二人はうまくタクシーを拾えてマンションに帰りついた。六時まではかなり時間がある。二時間まではいかなかっただろうが、希理子は二月の中米墨旅行中に買った民芸品の数々を整理し始めた。赤、黄、藍、原色に近い色彩は衣装にしても、人形にしても、部屋中を明るくする。稔の貸したスーツケースを一杯にしていた。
羽田で往きの荷物の多さに驚いた稔は帰りは空くものだと思って、ボストンバッグに詰めてきただけに当てが外れた感じである。予定では明後日にもアメリカへ発つつもりだった。明日の日曜はピラミッドを見て、できるなら闘牛場へも行きたいと思った。そのため日・水と週二回だけの国立芸術院民俗バレーも無理して見物していた。
「山本さんの家から直接ガリバー広場へ行っては、まずいのかな。ここまでまた戻って来るのは大変な気がするけど」
「構わないけれど、それではあまり早すぎると思うの。あそこは九時、十時とならなければ佳境に入ってこないのよ。それに田井さんや谷山さんも一緒に行ってもよいと言っているし」
田井はしきりとダニエルに行かせると言っていた。女だけではさすが心許されないらしい。しかし今日のダニエルは非番ではないようで、いつものように夕方には仕事に出ていた。
六時過ぎて山本女史から電話がかかってくる。時間になっても希理子が現れないというので、いらづいているらしい。華族の家に生まれた彼女は気位だけは非常に高い。希理子が帰国するに先立って、二、三日前から挨拶に来ないと気にしているらしかった。希理子が出発前に連絡先として稔に置いて行ったアドレスは山本の場所である。
稔も連絡のない希理子に焦れて幾度か電話していた。留守や話中でほとんど通ぜずに終わったが、最後に田井のマンションの正確な番号を教わることができた。田井は山本に昨年婦人年でメキシコに来た時、色々と世話になった。希理子も手紙に書いてあった日本語を教えに行くメキシコ人は山本の家にいた。
山本女史はもう六十に近い年だという。海軍大将、総理大臣、伯爵、山本権兵衛の孫という誇りは、彼女には民主主義の時代になっても抜け切れなかった。若いころ恋人を追ってヨーロッパへやって来た彼女も、戦後は中南米に住んで一種のアメリカ浪人とも言える生活を続けてきた。キューバのカストロ政権と日本政府の間に立って外交交渉を成立させたというのが、彼女のご自慢話の一つらしい。日本の財産も全て使い果たして何も残ってないという。
稔も外国で自国の居留民の中で巣くう人物に興味をもった。そして六時も半近く、みやげに菓子を買って出掛けた希理子について行った。
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