メキシコでの希理子は稔を自分のオトコとして紹介した。稔はそのため、しばしば戸惑いざるを得なかった。田井と谷山に二人の仲を今更どうこう言えたものではないが、田井の彼であるメキシコ青年ダニエルも、稔を希理子のオトコとして接してくる。こうした場合、ラテンの血を請けた人々の神経は細かい。
こうした場合に不慣れな日本人、特に照れ屋の稔はぎこちない。肌も茶褐色で母方のインディオの血を濃く受けているように思えたが、目鼻立ちにはセム族の端正な顔立ちを残していた。夜はどこか官庁でガードマンをしているらしく明け方に帰ってきた。後で会った彼の妹は母が違うとかで、ほとんど白人と見分けのつかない可愛い少女だった。
「ダニエルはスパイなんですって」 メヒコで最初の夜、同じベッドについた希理子は突然こんなことを言って稔を驚かした。
「えっ、日本の、それともメキシコの、なんのためのスパイなの」
「スパイというのじゃないらしい、日本でいえば警察の**公安の、とでもいうのかな。去年、婦人年で世界中から女性の活動家が集まったでしょう。メキシコは共和制といっても、政党が一つしかないような国だから、治安警察が厳しいのね。日本からもリストがいったでしょうし。注意人物には一人一人、スパイというか探偵というのか、ついていたというわけ」
「そうすると『刑事と容疑者が出来ちゃったんです』というわけなんだ」 「まあ、そういうこと」 「メキシコの警察は知っているのかな」
「それはそうでしょう。むしろ安心しているじゃないかしら」 「ダニエルは夜、出て行くのは警官か何か」
「そうではないらしいけれど、ガードマンというだけで、どんな仕事かよく分からない」
先程、一緒に食事をしたダニエルはそうした職業から連想されがちな暗い影は全く見あたらなかった。 「こんなこと、あまり言わないでね」
希理子は最後にこう付け足した。昨年の十二月、田井を女史が十日ほど日本へ帰っていたというのも稔が始めて聞く話である。そのころは週に二回は必ず稔のもとへ原稿の筆記に通っていた。日曜には久美にかくれて湘南の海にドライブに出掛けた覚えもある。希理子から手紙でと言って田井のメキシコ人の彼氏のことも、妊娠したらしい話も聞かされてはいたが、彼女が日本に来ていたことなど、おくびにも出さなかった。今更ながら女たちの連帯の強さに驚かざるを得ない。
そう言えば希理子がメキシコへ行くと言い出したのもこのころだろう。始めはベラクルスのお峯と一緒に行く筈だった。結局、お峯も仕事の都合で行けなくなり、希理子が一人メキシコへ行くことになったのだが、このとき田井と日本で会っていたとは。稔はその後メキシコへ行くまで、希理子と女たちの関係を思うとき、ただただ意外と思うほかはなかった。
男と女の縁にし、それに比べて女と女の連帯がいかに強固なことか。その男と過ごした同じ旅を、また半月も経たずして女の仲間と過ごした希理子。その縁(エニシ)寮箸気鬚呂・蕕困癲・・刺佞韻蕕譴討い襪茲Δ忙廚┐拭
「驚いたなあ。それで島岡夫人が涙を流して感激していたというわけ。それならあんなことを喋らせなければよかった」
「私が、けなげな障害者の連れ合いさんっていうわけ」
翌朝は希理子と谷山に連れられてコユワカン通りの日本商社の在留邦人、島岡家を尋ねた。稔のベッドに掛ける毛布を借りに訪れたのだが、希理子は海外の日本人の実際の生活を見ておくのも悪くないと思ったのだろう。希理子の道案内は大分迷った。慣れないメヒコの道を昨日着いて眠れぬ一夜を送った稔にはかなりの負担である。
親切なメキシコ青年のことに送られてようやく探し当てた島岡家では夫人は手作りの日本菓子を出してもてなしてもくれる。子供たちも学校とあれば稔たちでも貴重な話相手だった。彼女の主人は月に、二、三度しかメヒコへ戻ってこないらしい。
「後家みたいなものよ。私は」 小柄な丸顔で色白の夫人には高学年小学生の母親には見られないあどけなさがある。
「シルヴィエンタ(メイド)も使わず一人で頑張ってますもの」
人件費の安いこの国では高給取りの日本の商社マンたちの家庭ではシルヴィエンタを使っているのが普通らしい。しかし異国人は異国人だけに、それなりの気苦労はあろう。島岡夫人にはそれが堪えられないらしい。現地の材料を使って日本の味覚を取り出すが、夫人の生きがいらしかった。室内もきちんと整頓され振り袖の日本人形が印象的だった。
「東京で身体障害者ばかりの電気店を経営しています。昨年は国から表彰されて、皇居で天皇、皇后両陛下にお目にかかりました。」
「そのお体で本当にお偉いのね」
島岡夫人はいかにも感に堪えない日だった。仰向けに稔と希理子を眺めてから目をしばたかせハンカチを目に当てた。希理子は稔がメキシコへやって来る前に、自分の友人や知人に稔のことをどのように話していたのかと思う。伴侶としないのか、それとも単に恋人、愛人としての意味なのか。「オトコ」という方がぴったりなのかも知れない。
もっとも、それは希理子自身の口から出たのではなくて、今現にメキシコ青年と床を共にしている田井女史の口から出て来た言葉のようにも思える。とにかく自分が妻子持ちの身であることだけ伏せておかねばなるまい。稔の心の奥にこんな気持ちが流れていたことだけは確かだった。
しかしメヒコのリブの館は大きく変容しようとしていた。田井をただ一人メヒコに残して日本に出発以来、一年の引き上げ時期が迫っていたのである。これは本来なら最初から予定の行動であった。それを気付かずメヒコへやって来た稔もうかつに違いない。だが当事者である筈の彼女たちさえ解散寸前の動静が察知されていなかった。
谷山がメヒコへ戻ってきたのも、彼女とすれば航空券の搭乗期限が迫ってきたのだから何の不思議もない。しかし希理子の手紙にはカリフォルニアへ連絡しても返事はないと書かれてあったし、谷山がメヒコへ来ているとは想像もしていなかった。田井と希理子の出迎えを受けて空港からマンションにようようたどり着いた稔にベランダもの干し場から掛けられた声、そのとき稔は村中だとばかり思いこんでいる。
それが今度は田井と永住を決め込み、航空券の払い戻しさえして日本人学校に就職した筈の子連れの村中までが帰るのだと言い出した。上の男の子を預けた両親が腕白に音を上げたらしい。早く日本に帰って来いと云う。それも帰る旅費が無いのだ。それとなく希理子の口から聞かされたが、さすがに貸してやってくれとは言い出せない。貸してやってくれと田井から言い出されたのはメヒコに着いて二日目の晩になっている。島岡夫人を訪ねて夕方からソカロ、アラメダ公園で肩を寄り添うた。国立芸術院のバレーを見てマンションに帰ったのが十二時過ぎていた。
明日は十時にオパールを買うため、島岡夫人とインスルヘンテスの待ち合わせがある。寝たのは三時すぎていた。稔も混乱した。田井にはすでに二十万の金を送っている。更にまた村中のためにそれに近い金額を用立てねばならぬとは、アメリカでの希理子の旅費にもと考えて、余分には持ってきたつもりであったが久美への手前もあった。しかし結局は何とかせねば収まらぬ稔の立場になっていた。とにかくメヒコのリブの館は全員が人と人との絆に揺すぶられていらだっていた。特にこうした場合、希理子は感情の動きが大きい。
「糸崎さんがね、橋本さんから私がお金を借りることになったので、間に入って難しい顔ばかりしているから」
村中がそう言って訴えて稔にきたのは翌日の朝だった。稔は希理子の心の変化をおぼろげながら感じない訳にはいかなかった。それでも前日には島岡夫人の紹介で久美のためにオパールを買いに出る。メルカードでは谷山に希理子を8ミリに撮してと頼み失敗したが、前々日からの睡眠不足と疲労に闘いながら人類学博物館は見て来ている。
谷山を残し留守番に当たった希理子と二人早くタクシーで帰った。稔はシャワーしかないマンションで、自分の体臭が残ることを恐れて希理子に背中を流すことを頼む。脊だけ一人で洗えない。そのときの希理子は素直に全裸で現れた。二人だけで誰にも遠慮がなかったのだろうが、シャワーの浴室には明日のフェステのために、マンション中のカーテンが全部取り外されて山となっている。田井は出掛ける前に希理子にカーテンの洗濯を言いつけている。
稔はシャワーを浴びるとベッドに倒れるが如く眠りについていた。
「彼女、橋本さんに身売りしているような感じらしい。田井さんにお金を貸してあげて、今度は私でしょう。彼女の難しい顔ばかり見ているとつらくなってくる。」
そういう村中に稔は日本に残っている彼女たちの仲間の様子を説明してみた。二十分ほど話してみたが、どうしても一本気の村中とは話はかみ合わなかった。
田井は仕出屋の娘である。女性解放の闘士であっても、料理に関してはいざとなるとなかなかうるさい。今夜のフェステについても、いろいろと企画があるらしい。ソカロの方へ買い出しに出掛ける田井と希理子について稔は言ってたが、始めて別れて単独で街を歩いてみる。一昨日、希理子に案内されているだけに自信をもって行動できた。
ラテンアメリカ諸国の中で、一番高層建築であるというアメリカンタワーにも登ってみた。8ミリを廻し一日歩いた。メトロでインスルヘンテスまで戻ったが、広場では選挙のための街頭音楽会が開かれていた。
今年はメキシコでは六年任期の大統領の年である。再選挙は許されない。七月選挙だし、もう華々しい選挙戦が繰り広げられてよい。たが、もう新大統領は定まっていた。単一政党も同じメキシコでは大統領の株を利権と金の力で買うようなものらしい。この街頭音楽会も新大統領のデモすとレーションに過ぎないだろう。男の子が数人、面白そうにチラシを配り石段に腰掛けた稔にも何枚となく手渡した。
その夜のフェステは八時からの予定だったが、実際に客が集まり始めたのは九時を過ぎていた。丁度客の集まる八時前になって夕立があった。雨期に入ったメヒコでは一日必ず一回午後には夕立がくる。午後というだけで時間も定まっていないが、一時は天地を逆にしたかと思われた雷雨も小半時も経てば忘れたように青空をのぞかせた。稔はインスルヘンテスからの帰りタクシーが拾えず大分戸惑ったが、デルウィン(定員バス)を捕らえてどうやらマンションに帰っていた。
稔は太巻きののり巻きを頬張る。島岡夫人からの材料提供らしいが、干瓢も椎茸も入って酢加減も上々だった。久しぶりの味は稔を楽しませ、メキシコ人たちがもてあましたか半分ほどの残骸を恨めしく眺めた。
ダニエルはギターを手にして陽気に唄う。自分がこの集まりの主体制をもたねばとの自覚からか。そうでなくても彼らの持って生まれた天性がそうさせるのだろう。リブの女たちも負けずに和していた。メキシコの民謡、スペインの唄、ラテンアメリカの調べ、はては日本の流行歌、飲むほどに酔うほどに、唄は際限なく続いた。夜も次第に更ける。
稔はどうなることかと思う。島岡夫人を始めタクシーで帰らねばならぬ女たちも何人かいた。ここはマンション五階建て、夜中の三時は過ぎていた。しかし田井は笑っている。
「クリスマスの前後なんてもっと大変よ、右側の部屋からも、左側の部屋からもそれも明け方まで続くのですもの、静かなのは私たちの部屋だけよ」
ここはピアノの音がうるさいと殺人事件の起きた国ではない。稔は所が変われば品変わるとの言葉を思い出し、全く風俗習慣が違っている国にいるのだと、今更のように海の彼方にきていた実感を味わうのだった。
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