銃声一発、すなわちその町は修羅場と化した血に飢えたごときスペイン兵。派手な戦闘衣装を紅に染めて倒れていくインディオ。突然の襲撃に狭い広場にこれだけの人間が押し込められていては何とも動きのとりようがない。出口近くの者たちは逃れようと一斉に殺到するが、狭い城門の外に、ここぞと待ち構えた歩兵たちの鉄製の剣や槍が苛責なく赤銅色の肌を突き刺す。吹き出す血しぶき。それがやがて、からくれないの河となって流れ出す。街路の石畳の凹部にも血潮はたまった。こらえきれずに、武器を捨てて城壁によじ登った者は射撃手たちの好目標となる。コルテスが遠征に使った火縄銃は十三丁。しかし、この他に三十二名の石弓手がおり、もちろんやじりは鉄製だった。
やがて殺戮は広場に集められた戦闘員だけに止まらず、女 子供 老人の非戦闘員にも及んでくる。この時、町の外にたくしていた彼らにとって、この町の人々はアステカという暴虐の限りを極めた仇敵の片割れでしかない。トルテカ人たちは家々に火をかけ、男も女も、老人も子供も見境なく虐殺した。この日、一日だけでこの町、殺されたチョルラの人々は三千人といわれている。
一旦、血に狂った人間たちを文明や文化の度合いで計れるものではない。三日前、この町へ入ったコルテスたちは、とある街角で格子のついた木造りの家を見つけた。中を覗くとぶくぶくに太られたインディオの男女が、びっしり詰め込まれていた。理由を聞くと、やがて彼らは神に生け贄として捧げられ、その肉は後で食べられるという。コルテスは怒った。格子を打破り、そのインディオたちを助けた。
アステカたちの他の種族の戦いの目的もつまるところは神に対する生け贄の獲得で、そのための聖戦だった。彼らにとっては戦争は義務であり、平和に暮らせるということ、一方では怠けているかのように苛責を受けた。それゆえ何千キロの彼方まで遠征しては捕虜を捕らえ、テノチテトランの都に連れ帰った。そして、ピラミッドの軍神に生きながら彼らの心臓をくり貫き棒げたのだろう。
「メキシコ中どんな小さな町へ行っても、コーラとペプシの看板よ。メキシコという発音も勝手に英語読みしてそう呼んでいるだけで、こちらではメヒコ。アステカもスペイン人たちが勝手にそう呼んだらしくて、自分たちではそう言っていなかったらしい。メヒコの地名は軍神メキシトリからきているのですって」
翌日、二人はソナ、ロッサの通りを歩いていた。谷山圭子も一緒である。圭子がメヒコに来ていたとは稔も全く意外だった。希理子の手紙にも電話にも一言も触れてなかったし、希理子自身も彼女がメヒコに来るとは思わなかったらしい。英語の達者な彼女は、カリフォルニアに行っていたし、稔もそうとばかり聞かされていた。希理子がガテマラの旅行から帰ると電報がきていて、メヒコへ帰ってきたのは稔の着く四日前だった。
「ここはソナ、ロッサ、東京ならさしずめ原宿か六本木といったところかしら」
お洒落な街というのが、同じメヒコの繁華街でも、ソカロ近辺のファレス通りやマデロ通りとは全く違った雰囲気をもっていた。満酒なウィンドは赤や黄の艶やかな花に飾られ、充分アクセントのついた照明には、いかにもパリモードでございますといいたげな、軽妙さがあった。アステカ以来歴史のあるソカロ近辺の商店街のウィンドに見せた重厚さと、心地よい対比を示していた。
「ほらこの図柄、メキシコの国旗の紋章にもなっているけれど、サボテンに止まったワシが蛇を食べている図、これもアステカの伝説」
とある室内装飾店のウィンド。古めかしい紋章を新しい建築材料を使って現代風にアレンジしてある。デザインの故か、それとも選んだ材料の材質のためか、奇妙に食べられる蛇の目が美しかった。希理子は放物線を画いたガラス面に近づいていく。
「アステカの民は放浪民族だった。北の方というだけでどこから来たのか分らない。戦いの神メキシトリに対する熱烈な信仰だけが支えだった。そしてこの民族には一つの伝説があったの。それはサボテンに止まった白ワシが蛇をついばむ場所こそ、我が民族の繁栄の地というもので、それがテノチテトランの都となり、このメヒコだったわけね」
三人はレフォルマンの大通りに向かって歩いていった。マクシミリアン皇帝の妃カルロタがパリのシャンゼリゼの大通りを真似して作らせたというだけあって、五十メートルを越す道幅には充分その面影がある。
考えてみればアクシミリアンという男も哀れな男だった。ウイーンのハプスブルグ家の一員というだけで、ナポレオン三世の征服欲に利用された。本人は好人物といわれるしか能のない男だったらしく、別に自分でも皇帝になってみないと思っていなかった。ただ女房のカルロタが女に生まれて、成れるものなら一度は皇后と呼ばれてみたい。そんな欲望にかられたばかりに、治世三年、ファレスに敗れて銃殺に処せられる。カルロタは一人狂人のようになりながらパリへ逃げ帰った。稔には男の哀れをしみじみ感じた。
独立記念塔を眺める。高さ四十六メートルの円柱の上に金色のエンゼル像、台座四方のブロンズ像は法、正義、平和、戦争を表すといわれている。一九一〇年の建立、メヒコで最も有名なモニュメントだ。
「メキシコ人って、まったく記念碑が好きだね」 「あら、そうかしら、日本だって同じ事じゃない」
あるいはそうかも知れぬ。日本人は照れ屋から、こんな派手なの造らぬが、句碑だとか、文学碑などを数えたらかぎりない。
「あれが日本大使館、なかなか立派でしょ。各国の大使館や航空会社、それに有名なホテルなど、みんなこのレフォルマ通りに面しているのよ」
バスの窓から希理子は指さす。後ろ向きになると、ユカタンの強い光線で焼かれた背が、原色で濃く縁取りされた民族衣装の大きな割れ目から露出した。小麦色の肌は表皮が半ば剥れかけて、斑になり稔の心の波を荒立たせた。レフォルマの大通りはそのまますぐチャプルテペックの公園の中に入る。グリーンの色が一際目に染みてあでやかに映るのも、周囲がグレイと茶褐色の色彩ばかり見慣れたゆえなのだろうか。
「この公園の中に国立人類学博物館があるのよ。メヒコの上野公園といったところかな。博物館や美術館、それに動物園、遊園地もある。ここの泉からアステカ時代は水道を引いたの。それに私はまだ行っていないけれど、チャプルペック城というスペイン時代のお城もあるはず」
広い公園の中は果てしない緑に囲まれている。インディオらしい子連れの夫婦がいそいそと動物園の方へ消えていった。やがて**樫の木々にかすんで、緑の中に大きな神像が姿を表した。近づくにつれその輪郭にがっちりとした力強い線を感じてくる。巨大な石のアブストラクトだ。
「あれが雨の神トラックの像。テオティワカン文明のものね」
高さが七メートル、巾が四、五メートル、博物館の入口近く、よほど大きな岩石を掘り始めたものらしく、まだ未完成の個所が目立つ。しかし、粗削りの中にバランスよくまとめた古代人の?輌はさすがといえる。
「なかなか立派な建物なのだね」
メキシコは近代建築に力を注ぐ。一九五〇年代の大学都市。一九六〇年代のオリンピック。この国立人類学博物館は一九六四年の建設である。何れも前衛的な試みを建築に生かした現代芸術だった。
「絵や彫刻と違って建築だけはそう簡単に前衛芸術は育たない。いくら才能ある設計者がいたって、デザインだけでは無理だ。これを実現するためには資金や風俗習慣、与論等、いろいろな面で制約を受けやすい。特にヨーロッパのような既成の文明をもった国々ではむずんしいだろうな。偽善者にも、資本家にも、一般の国民にも相当の理解が必要だ。メキシコのような国はこういった面で、近代建築を育て易い風土の国じゃないかな」
一辺が三百メートルあると言われている四角な建物で、正面の入口も広大だった。谷山はポケットカメラを取り出す。
「お二人さんは並んでごらん。撮ってあげるから」 稔はよき機会と希理子の横へと歩んだ。 「私は結構、橋本さん貴方写しておもらいなさい」
「いいじゃないか一枚くらい、記念に谷山さんに写してもらおうよ」
稔は一枚だけでも二人の写真が欲しかった。まさか家族の前には出せないにしても、写真一枚それなりの置場はある。この冬の伊豆へ逃避行でも二人はついに一枚の写真もとらなかった。車には一台のハーフサイズの小型カメラをしのび込ませてあったのだが。一週間、伊豆の海は風こそ強かったが、連日輝いて、カメラの好写体はいくらでもあった筈である。一度もシャッターを押さなかったのは、やはり世間に対する二人の負い目であったろうか。稔は後でそれを悔いた。早かれ遅かれ何れは別れねばならぬ男女であってみれば、たった一枚の写真でも、稔には二人の証が欲しかった。
「私はいやよ」
希理子はきっぱりといい切ると、アパラートの肢を引きずり、階段の下へと駆け込んだ。丁度二人の立っていた正面の石畳は、ステージのようで周囲のメキシコ人たちの注視を浴びていた。
先ほど、三人はナソ、ロッサへ出る前、インスルヘンテスのメルカードへよっている。メルカードとは市場とでも訳すのだろうか。メヒコ特有の手工芸品や民族衣装の店が所狭しと商品の豊富さを競っている。赤、黄、青、原色に近い色彩ばかりだが、彩りは実に美しい。稔のように土産品をあまり買う気のない男でも、楽しさは充分あった。誰でもカラーの撮影の意欲は動く。谷山も稔の八ミリを回し始めた。レンズが希理子の方へ向かった時、稔は押しとめた。
「糸崎さんを写さないで」
谷山は稔の言葉を理解したのかしないのか、不可解な顔で稔を見た。八ミリは編集してもなかなか一部カットは難しい。希理子の姿が画面に出たら、稔はつまらぬ事を言ったものだと悔いていたが、時の歯車は容赦なく進んでいった。
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