新校舎(1) 


 

 僅かの間に昭和も二歳、日本中の人々は新しい息吹に新時代を感じた。新校舎もペンキ塗装も終わり外郭工事完成も間近い。学園の新学期も順調にだった。四月からはコウイチは出席するようになる。長い欠席で学習遅滞を心配されたが、母親からの補修も受けたようで同級のマスジに比較して充分ついていけると思われ、そのまま二年生に進学させた。しかしコウイチの情緒はきわめて不安定、少しのことで泣き出すようになった。母親も通学途中で子供を奪われる心配があると六月からまた休むようになった。
 ただ夏になって野中のなかの一軒家、新校舎には落雷事件があって学園全員の肝を冷やした。その日は午後から松蔵も古洋服に着替えて戸外に出る。梅雨にはまだ息吹さえない夏空、六月も始めである。ところが二時を廻ると一転空が暗みぽつりと大粒か頭を冷やす。誰もが運動場に出した子供たちを家内へ入れるので夢中になった。一同ホッとする間もなしに爆雷と火柱、一瞬だった。
「おーい、子供たち、誰も怪我はなかったか」
 暫時の沈黙の後、松蔵が声を掛ける。
「ハーイ、皆さん、お元気です」
 最初の返辞は身体の割に気丈なフイだ。詳しく落雷箇所を点検すると二階下のマッサージ室、通し柱の根本とととが丸焦げだった。その後で、松蔵は外装の最終工事として二階の屋根に避雷針を取り付けた。平地の高所ゆえに、それを遠く眺めた松蔵は二階の屋根でも、避雷針は塔の如く聳え立ち、その偉容に、ひとり悦に入り満足した。
 コウイチの後見人と称する人物が弁護士を伴って松蔵のもとにやってきたのは、それから間もなくのことである。早速、新築の玄関脇に、できたばかりの洋風応接間に通す。ソフアに座る後見人と称する男は羽織の着物姿だったが、弁護士は仕立ての良い派手な洋服の男だった。
「コウイチ君の成績を見せてくれませんか」
 羽織の男は刺を通じてからすぐ傍らの背広男を紹介し切り出させる。松蔵はきっぱりと、拒絶した。
「それは生徒の事だから断るしかないいね。彼の成績はよい方だ、手足が悪いのだから身体を使う学科、たとえば図画や体操もあるから全甲とは行かないが、つまり甲が多いよ」
「この学校へはどうやって来てるんです。歩けるのですか」
「まだ手術をしていないから充分とか言えないが、少しは歩けるよ」
「今、母親と住んでいる住所はどこですか、寄留地だからこの辺に居ると聞いて来たのですけど」
「問題の子供だから家庭には訪問していないよ。だから分からないんだ」
 母親はメモして置いて行った。たしか学籍簿には挟んでると思う。しかし実にまだまだ相手は執拗で次々と迫って来る。
「警察は中野警察の管内なのでしょうね」
「警察署? そのようだろう」
 警察と云う言葉を使って、その偉を借りる風だった。それでもその日はこれで帰っていったが、実にうるさいことになったと松蔵は思う。とにかく両方とも欲の皮が突っ張っている。そのため間に入って、罪のない子供ひとりが苦しんでいる。梅雨も上がり掛けた六月三十日には、また背広男の弁護士が来て、成績証明書を貰いたいと言い出した。
「上って話を聞きたい」
とも言うが、それに対しては
「授業中だから無理だ」
 と言ってはっきり断るが、それでもいろいろ話しかけては何か材料をつかもうとする。要するに言葉の端緒を捕らえて子供が愚鈍のように証明したいらしい。八十年前英国リットル医師も、こうした子供たちの症状の一つとして『智恵おくれ』を挙げている。確かに松蔵も最初はこうした子供たちが脳に障害を受け運動機能に欠陥を生じた以上、知能にも当然、影響を受けているものと考えていた。
「私もこれでも教育者の端くれだ。学園をそれほど疑心で見るなら勝手にしたらよい」
 松蔵もいささかむっとなる。
「いや、決して、さようなことではありませんが」
 その背広男は、さかんに弁明しては戻っていったが、後で聞くと近所に住むアキラの家にまで寄って、コウイチのことを根ほり、葉ほり、聞き出そうとしたらしい。それから間もなく松蔵は東京地方裁判所第一民事部から、園児コウイチの件について証人として出廷するよう通知を受ける。
 その当日だった。他の子供たちには一日、マッサージ治療をしてやれないことに、思ばゆさを感じながら出て行くと、高い赤煉瓦の建物は裁きの場として、今まで司法などに関係なかった松蔵にも言いようのない威圧を受けた。石段を上がり玄関前で来て松蔵は偶然、声を掛けられる。
「やあ、柏倉先生しばらく」
 それは岡山師範時代、教え子の一人だつた岡本に出会ったのだった。服装も詰襟が背広に代わり松蔵はちょっと見違えた。彼は岡山師範を出てから、東北大の法学部に進んだ優秀な学生だった。学生当時には何やかやと、ボランティアで学園を手伝ってくれたこともある。
「今日実は、こんな所に出てきたのは、学園のことでも、何でもないんだ」
 生真面目な松蔵には自分が裁判所と云う司法の場に、いま置いていることを後ろめたく、相手はどのうに思うかと、弁明しているで、その自分の姿に可笑しくもあった。
「学園の生徒のことでね。身体は悪くとも、頭能は正常なこどもなんだよ。だけど禁治産者にして相続させまいと裁判を起こしたらしい。親戚が欲張ってるよね。身体が不自由ならば余計、財産が必要だと思ってやらないのかね」
 もちろんボランティアまでしてくれた岡本、いくらか肥満ぎみの体躯に大目を開き松蔵の言葉に共感したらしい。
「当然ですよ。僕もまだ書記ですけれど、書類を調べてお役に立つことがあったら助言します」
 司法の庭が知り合い一つで、どうなるものでもないと分かっていても、松蔵は威圧から逃れて気安く法廷に入れた。民事とは言え当時は、まだまだお上としての威厳ある態度を保ちたがる裁判官の前でも、コウイチがむしろ学業成績は優秀であること、歩行状態も学園のリハビリによって段々改善しつつあることを述べ、身体が不自由であっても廃嫡さるべきような人物ではないと得々として説明できた。松蔵は充分に判事を納得し得たと手応えさえも感じる。
 秋になって時雨れた薄ら寒い日だったが、田代博士もわざわざ東京地裁まで東大名誉教授の肩書きで証人として出廷し、例の通り威厳ある恰幅姿でコウイチの成長後の見通しについて述べてくれた。こうなれば民事司法の廷も推移が固まり、その年も年末近く結審する。コウイチは廃嫡を免れ正式に財産相続人として立場を設定された。
 久しぶりに若い母親と登校してきた彼の顔は明るかった。
「コウちゃん、ほんとによかったね」
 幼な子に裁判の内容や判決など、とても理解できないとは分かっているが松蔵は元気に声かけた。学園への登校路上でもいつ誘拐されるかもしれないという不安があった。学園におかしな人物が例え弁護士であっても、訪ねてきたと聞くたびに青くなって逃げ帰り、また場合によっては家へ帰るのも不安となって学園に泊まり込んだ日もあった。子供心でも受けた精神圧力は些細なものでなかったろう。
「お陰様で,いろいろお世話になりました。田代先生にまで裁判に来て戴けたのですから本当に感激いたしました」
 従って欠席も多くリハビリも後退したのではないかと心配した松蔵だったが、歩かせてみると、全く変わりないようなので安心した。



 

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