凡そ人間と云う人間は皆、天の公平な恩恵に浴して幸福な生活を送って行くことが出来るのでありまして、天の差別なき監督の下にあっては誰も彼も一視同仁で決して等差はない筈であります。
然るに人間の互助的精神の足りない結果は往々この当然の権利を獲得することが出来ないで、あたら一生を不遇の中に過ごすものの出来るのは、誠に遺憾なことであり、また天の法則にも憚ることとなるのである。
幸い近頃はかかる目覚の出来たためか、各國が競うて社会的事業を企画するようになって、貧兒、孤兒、不良兒、病院等のためにいろいろの施設が出來、我國でもこうした方面のことが次第に問題となるようになって來ましたのは誠に同慶に堪えない次第であります。
私は大いに感ずる所があって遂に公職を離し、東京帝國大学部整形外科教室に這入って専ら治療体操を研究し、直接患者の治療にあたって居ります。
そしてこれらの不具者に對する同情の念は日一日と深刻になって來るばかりであります。随分いろいろな患者にも接して見ました。中には疼痛があって寝ることも食べることも出來ないものもあります。また病氣によっては一命も疑はしようなものもあります。しかし一般から言ふと内臓に関した病氣はその苦痛が一時的であって、たとえその為、一命を捨てるようなことがあっても、これも運命だとして諦めがつき易いものであります。然るに幼い時に病に冒されたり、或は手足を失い生れながらの病に罹って兩手はあっても、用を爲さず、兩足はあっても、歩行にも使えず、甚しきに至っては脳を侵されているために、言語を発することも出來なければ、何一つとして意志行動を爲すことが出來ないものもあります。彼らの中には所謂、不治の病もあってその苦痛も永久的であり、これらの子供の生存は死よりも、もっともっとつらく、従ってまた、その生活はただ苦痛の連続にすぎないのであります。
ところが是等の永久的な苦痛は他人から見ると、それが習慣となっているせいか、案外、同情をひかないのをみでなく、ややもすると嘲笑の的ともなり勝ちなものであります。私は斯様な子供達を見るにつけて常に考えさせられます。泣かされます。この子の父は、この子の母は、その胸の中は果たしてどんなでありましょうか。せめて此子が人並の子であったならば、嬉々として戯れることもあるでしょうに、花、鳥の折々につけては或は歌い、或は笑うこともあるでしょうにと思っては嘆げき、また七歳にもなって隣り近所の子供達が学校へ通う頃ともならば、その子の行末について、果して行かんになることかと、朝な夕な案じの種がつきないことでありましょう。それも幼い中は、片輪り子程可愛いのが世の常で、慈母の暖い懐の中では、是とて不自由も感じないではありましょうが、成長するにつれて手足とも頼む父母は老い、さりとて自己の意のままに成らず、この聖代に生れ来て國民教育さへも受けることも出来ないで、一生を終わらなければならないといふことは、何たる不幸でありましょう。
子を愛しない親のないことは云うまでもありません。この悲哀の境遇を續けなければならないと云うのは、我国にはかかる不具者に慰安を与える施設がないからであります。教育を与える人も居なければ、その場所もないと云うことは、文明國の恥辱とも言うべきことでありましょう。小学校を参観して、屡々これらの子供達が他の子供達からとや角云われて、イジケているのを見受けることがあります。かかる子供達を他の子供達と共学さすことの不都合は、素より何人にも明瞭な事寛でありまして、どうしても、かかる子供等のみを集めて、教育せねばならないのは当然なことであり、また、これは吾々、文明國人の免れがたい責任であります。
私はかかる考えをもって数年間、画策いたしました。その結果いよいよ大正十年五月、一つの学園を開く運びとなりました。そして専ら、かかる子供等を収容し、國民としての智識、技能を授け、傍ら整形外科的治療を施そうと思っております。
単に同一境遇にある彼等を一堂に集めるだけでも、彼等に取っては、常人の想像の出来ない程、慰安となり、娯楽となるのであります。私の此の計画大成の曉には、彼等は得たる知識を以て新聞雑誌をも友とすることが出来ましょう。また授かった技能によって職業を始めることも出來ましょう。そして彼等も社會の一員として文明の恩恵を蒙ることが出来るわけであります。かかることは、國家経済の上から見ても、国民の個人的能率の上から見るも、または娯楽の平等的分配から見るも、決して等閑に附することは出來ない問題なのであります。また、これを人類互助の精神から見ても、その必要なることは今更申す迄もありません。
以上は私がこの学園を開くに至った旨意の大略であります。幸にして、わが学園は熟練な学科教師とマッサ−ジ師及び医療体操教師と、加うるに医師の三者を備へています。この三者合一の献身的努力によって、あはれな不具者の為にとこしへに盡してやりたいと思って居ます。
不治の病として悩んでいる子達の父よ、母よ、幸いにその子の長き将来のために私の趣意に賛成してください。そして奮ってこの学園に入園せしめられ、愛と科学との恩典に、いとし子の運命の開拓をお任せ下さい。
以上が趣意書である。相当な長文で五百枚程印刷した。決して名文とは云えないが、古くさい文体の中にも、人を打つものを持っている。特に最初の部分は彼自身この新しい事業に対して、單なる同情や憐愍だけでなく、現代の福祉の精神にも通じるものを持っている。下書を終って松蔵はまずトクに読ました。
トクは一通り流し読みをしてから 「少し、くど過ぎる所があるのじゃないのかしら」
さすがにトクは教師らしく、子供の作文を見るような調子で云った。 「馬鹿、誰が批評しろと云った。讀めばいいのだ讀めば…。
松蔵は気嫌が悪かった。
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