松蔵は一旦、思いつくと矢も盾もなくなって来る。よく云えば凝り性と云う言葉も通じるのだろうが、彼のこの性質にはもっと根深いものを持っている。岡山の街は南西には旭川に沿って開けていても、北東はすぐ山地に連らなる。細い坂道を上りながら、松蔵はニタリとした生垣からヒョロ長い青桐が一本頭を出して油蝉が一匹ジイジイと夏の終わりを告げていた。盲学校へ行ってマッサ−ジを習ってみようと考えたのは夏休み中だった。新学期になってあれやこれやの雑用に追い使われ、今日まで折りがなかったが、幸い校外参観のため午後からの体操の授業が中止になったので、教頭に早退の許可を得た松蔵は、盲学校への道を急いでいた。九月の半ばとはいえ、坂道を上るとジットリと汗ばんでくる。まして今日は詰め襟のホックもはずせず、松蔵は額の汗を拭った。
突然、訪ねていったら、盲唖学校の校長はどんな顔をするだろう。師範学校教師の刺を通じる以上、まさか面会を断わることは無いと思うが。マッサ−ジを教えてくれと言い出したら、さぞかし驚ろくに違いない。彼はその様子を考えて、ひとりニタリとする。
盲唖学校の構えは松蔵の想像以上にずっと貧弱なものだった。門と言えるようなものではなかったかも知れない。古い武家屋敷をそのまま使っているらしく、門戸も外れかけて屋根は傾き草も生えていた。しかし盲教育の歴史は古い。それは主として「鍼按講習会」として出発したものだったが、昔の親方徒弟制度に代って、明治の半ばから西洋医学の普及および医療制度の近代化に対応する為、各地で催されるようになった。それ以前は、親方が数人の盲童を養い、技術を習得させて、二時間毎に流しを唱えながら宿場の中を回り歩かせた。
「あんま上下十六文」。特有な笛の音と共に哀調をそる。帰れば客の種類を吟味して稼いだ金を差出させ、更に稽古の為と称して親方の肩や脚を按ませるのは常だった。
二十世紀に入った明治三三年の小学校令改正で、普通児の修学議務を強化させながら、その一方「不具廃失の修学免除を規定したのも、教育投資の効果を焦る為政者の立場としては、致し方無いものかもしれない。しか半面、就学率を向上させるための前堤となる。こうした教育欲求に基づいて、大都市ばかりでなく、小樽、長野、徳島と並んで岡山でも地方都市としてはかなり初期に盲学校が設立されていた。しかし、その規模は現代に比べればいたって小さなもで生徒も二十人程度、教師の数も数人に満たない。
案の定、松蔵の名刺を見ると、盲唖学校の校長は飛んで出てきてくれた。明治四十年の師範学校規程で、文部省は英独の制度を採用し、師範の付属小学校にはなるべく盲唖や心身の発育不全の児童の教育の為の特別学級を設置することを各学校に対し希望したにもかかわらず、こうした特別学級は一部を除いて間も無く廃止されている。従って岡山の盲唖学校も、単なる一私立に過ぎず、財政面でも慈善事業の範囲と出ず、公教育の立場から完全にしめ出された形となっていた。
式台を上って右手の小部屋が応接室に当てられていた。長押も水平を失って傾いている。のがすぐ目につく。古畳を隠すようにして覆れた古びた敷物の上の粗末なテ−ブルと椅子だけが学校としての体面を保っているように見えた。それでも校長の葛山はさすがに精気あふれる精悍な感じの男だった。
「実はマッサ−ジを教えていただきたいのですが」 突然の松蔵の言葉に校長は唖然としたまま顔を崩さなかった。
「どういう意味でしょうか。貴方がご自分で覚えたいとおっしゃるのですか」 突っ拍子も無い松蔵のことばに校長はどう答えてよいか解からなぬ風だった。
「ええそうです。わたしが習いたいと思っています」 「師範学校の先生が按摩なんかを覚えてどうなさるんです」 「実はわけがあるんで…」
その頃按摩と言えば盲人がやるものと決められていた。昨今のように目明きが盲の域を 冒す時代ではなかった。按摩術との元祖としも言える杉山検校が将軍綱吉の病を癒した効により、綱吉から何か望むものはないかと言われて、二つの目の他は何も望むものはありませんと答えて将軍の哀れを誘い本所の二つ目に屋敷を給った話は有名である。
「とても先生みたいな方にお教えできるようなものじゃありませんよ」 こんな物好きを相手にしても始まらぬと思ったことだろう。
「私は長年体操教師をやっていますが、ただ体操を生徒に教えるだけでは飽き足らなくなってきています。本当に体操を必要とするのは体が虚弱な者ではないかと思うのです。現在の体操は体の丈夫な者しかやることができない。これはおかしいと思うんです。それで医療体操というものを研究しようと思うんですが……。さてどんなものか皆目わかりません。一応マッサ−ジにもこれに近いものがあると考え、教えていただきたいと思ったしだいです」
松蔵の話す要旨はこんな所だった。
理由を聞いてみれば校長も無下に断わるわけにもいかなくなって来た。とはいえ師範の現職の教師が盲唖学校に通ってマッサ−ジを習おうと云うのだ。さすがの松蔵も気が引けたらしい。それを察してか校長の葛山は、週に一度松蔵の家まで通ってマッサ−ジ法を教えてくれることになった。幸か不幸か、家には療養中のトクもいる。施術者には格別困らない。最初の夜、葛山を伴って自宅に帰った松蔵は、すぐにトクに床を敷くことを命じた。 日頃から肩凝りには悩んでいたトクであったが、突然見知らぬ男と連れ立って入ってきた夫に命じられるまま横になったものの訝かしくその顔をまじまじ見上げるだけだった。 「足から始めましょう」
松蔵は葛山に言われた通りにトクの足をとった。トクは急に夫とは云え、他の男の面前で裾に触れられきっとなる。 「何をなさるんですか」
「お前の体が弱いからマッサ−ジを習って、療治してやろうと思ってさ」 「私のことでしたら結構ですよ」 「肩が凝ると年中言ってるじゃないか」
トクはまた松蔵の病気が始まったと思った。突然思いつくと、突拍子もないことでも、実行してみないと気の済まない夫の性質は知りつくしている。療養中の身ゆえ、床を敷き横になれと云われても、それなりの推移は見極められた。だが教師ともあろうが按摩になろうとは。しかし、今更逆ってみても始まらないとは思う。ましてや他人の面前だった。トクは諦め顔でそっと目を閉じる他はなかった。
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