結婚へ(2)


 

女子師範では、相変わらず松蔵は変わり者で通っている。別に誰もが松蔵を世間に珍奇な性格と見ている訳ではないが、口数も少なく近寄り難い。融通の利かぬ男なのである。それでいて、ごくまれには職員会議など、突然、末席から立ち上がり校長、教頭そして満座を驚かすことがあった。
 世の中は世界大戦、昨年八月、これも世間のしがらみから、ドイツに戦宣布告はしたものの、十月青島を包囲したのみで、それも一週間余りで終わる。それ以後は世界の富を一手に掻き集めんと、正に今や高度成長時代の幕明けだった。
 国語教師の八代と数学の田辺は株の話に余念がない。一番地味なはずの教師でさえこんな風だった。昔から岡山にはこうした風潮が強い。株屋の小僧が足袋に金の鞐をしていたと騒がれた時代である。松蔵にとっては苦々しく思割れることが多かった。
 三年前に日本の大きな時代が完全にピリオドを打たれている。明治の終焉はそこに生きた人々に取って、たとえ身は次の世代大将に永らえたとしても、一つの過去の形骸を見る思いだった。それは乃木大将夫妻の殉死と云う事件に集約されていたのかも知れない。松蔵自身もこのニュ−スには強いショックを受けた。そして、それは五十余年経て昭和の元禄とまで云われたある一日、三島由起夫の自刃が戦前教育の一端を受け、そのまま戦后を生きた世代の一部に与えた衝撃と通じるものがあった。漱石もその小説「心」の主人公をして、
「明治の精神は天皇に始って天皇に終った…中略…もし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積りだ」
と言わしめている。だが大将から、或いは母校、学習院で直接、薫陶を受けたことがあるかも知れぬ白樺派の連中の批判は厳しい。志賀直哉は日記に
「乃木さんが自殺したというのを…馬鹿な奴だという気が…」
と書いているし、武者小路実篤は
「何故主義のために殉する人のように自己に権威を感ずることなしに殉死されたかがわかるだろう。かくて自分は乃木大将の死を憐んだのである」とも書いている。
 その朝、新聞でそのニュ−スを知った松蔵は、一日何か興奮していた。もちろん、彼にして見ても今時、殉死でもあるまいと云う気持ちは充分ある。しかし、それが乃木さんになればこそと、思はずにはいられない。
 学校へ出た松蔵は主任に命ぜられて、県の学務課まで新学期の指導計画書を提出に行く。丁度、課員が三人ほど乃木殉死の話題に花を咲かしていた。その中の一人は松蔵のかねてから顔見知りで、合理的な考え方をする男である。松蔵はいつの間にか、その男と殉死論で渡り合っていた。不断に似合わぬ能弁な松蔵に相手もたじたじの体だった。何故これほどまで能弁になって興奮したのか自分でも可笑しく思った。師範への戻り教員室の机の上でカバンを明けてみる。指導計画書はそのまま茶封筒の中にあった。
 松蔵は「君、君タラズトモ臣、臣タルベシ」と云う言葉が好きである。現代の若者にこんな言葉を理解せよと云う方が無理であろう。しかし中年以上の男性一部には、この言葉から生じる共感を自己の中に見出だし得るに違いない。             

 トクの健康状態が秀れなくなって来たのも、この大正と云う歯車が廻りはじめて、しばらく経っての頃だった。
「柏倉先生、奥さんいかがです」 
「相変わらずですよ」
 松蔵は無愛想に答える。
「今日も、これから病院ですか」
「ええ、行かないわけにいかないでしょう」
「なかなか愛妻家で、結構ですね」
 八代は無駄とは知りながら松蔵をさそった。
「ところで、たまには先生、気晴しにどうです。奥さん孝行も良いけれど命の洗濯も必要ですよ」
 松蔵は取り合わなかった。
「今日は妻が待っているものですから」
 と答えてみたものの、自分ながら、ばつの悪さを感じた。
「おもしろい所にお連れしますよ。かに女郎と言ってね…」
「女郎買いですか。」
 開き直る松蔵に八代はドギマギしながらも、そこは老練らしく軽く受け流した。
「師範の教師が女郎買いにいっちゃ悪いという規則も有りますまい。先生はこの頃おひとりでお淋しいと思ってお誘いしたんです」
「いや私は結構です」
 きっぱりと松蔵は断ってはみたが、『かに女郎』の言葉になにか気になるものがあった。トクが肋膜で入院して以来、半年になる。あの蒲柳の体で家事と勤めの両方は無理だったのかもしれない。二人の間に子供の出来なかったのを、これ幸にして働かせたのが今になって悔いる気持ちが強かった。さすがに自分でも妻の看病にはほとほと疲れきっていた。男一人洗濯もしなければならないし、いくらほってあるとは言えたまには廊下の拭き掃除もしなければならない。さすがの松蔵も心の中では息抜きしたい気持ちで一杯だった。
 それから半月後、転任教師の歓送迎会が開かれた  町の料亭の席で久し振りに松蔵は酔を過ごした。トクの発病以来初めての酒量だった。今さら帰ってみたところで誰も待つ人のない松蔵を、八代と田辺はその両腕を抱えていた。
「今夜は先生をいい所へ送り込んであげる」
 呂律の廻らぬ二人だったが、松蔵の両腕をかかえて離そうはしなかった。
「先生もびっくりしますよ」
 二人は何か意味有りげに顔を見合わせながら笑った。完全に酔いの廻った松蔵も無理には抵抗しなかった。千鳥足の三人はそのまま京橋をこえて越えて中島町の方へと蛮声を張り上げながら向って行った。その頃の中島町と言えば岡山の遊郭があった町だ。しかし三人の師範教師が遊郭の真中に堂々と乗り込んで行くのは、さすがに躊躇したのである。二人は周辺のとある一軒の煙草屋に松蔵を連れ込んだ。表向きは半間ほどの小さな店で煙草を商っているものの、横の玄関の造りには、その店に似つかわしくない粋さがあった。
 奥から
「まァ先生方おめづらしい」
 なじみらしくしたり顔で出てくる老婆に、八代はそっと耳打ちしてから、  に酔い倒れている松蔵を二人は突き放すようにして出ていった。
「おい、ちょっと待ってくれよ」
 びっくりして後を追いすがる松蔵にピシャリと玄関の戸が閉められた。
「おい、何をするんだ、おれひとり置いてどうするんだよ」
「まあまあ先生、ちょっとお待ちなさいよ。せっかくここへ来てくだすったんじゃありませんか。そう野暮なこと言わずに、ちょっとでいいから上がっていって下さいよ」
 そこは商売柄、遣り手姿は巧みだった。するりと松蔵の体を二階へ押し上げた。
「ええ、こちらさんは敵娼がお決まりだものねぇ」
 階段の下の小部屋には、古雑誌が数冊、それに煙草盆と娼婦の品定めの写真が張られた額が置かれていた。『ええ、儘よ』。こんな気持で松蔵は手摺にすがりながら上って行った。
 松蔵とても鬼でも蛇でもない以上、男として何度かこうした遊びの経験はある。もちろん彼の性格から云っても、自ら飛び込んで行ったり、それに溺れ切るということは、まずあり得なかった。特に体操学校在学中は、その学校の位置、及びそこに媚集した学生たちの様子から見ても推測できる。どちらかと云えば、老檜な下士官出身の学生たちに、送り込まれたと云うよりも、利用されたと云う場合も多かろう。
 しかし、岡山へ移ってからの松蔵は全く異っていた。結婚したからと云うような明白な理由はあったにしろ、自分は師範の教師であるとの誇りは持ち得たし、トクが療養生活を続けていたとは云え、悪所に足を踏み入れる松蔵ではなかった。


 

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