★ ヘラルドシネクラブニュース 1999/12 ★
岡村洋一の聴 ク、映 画


『おへそ、見つけた?』

映画を観る楽しみは3つある。観る前の期待・ドキドキ。観ている間の至福の時。そして、観終わってから の胸の奥に沈殿してゆく時間。長く記憶に残る映画には、なかなか出逢えないが、素晴らしい作品のいくつ かの名シーンは、時々夢の中に出てきたりして私の心の宝石になっている。

『ゴッドファーザー』でJ・カーンが蜂の巣にされるシーンはショックだったし、『蜘蛛巣城』で三船の首 に矢が貫通する場面では本当に息が止まった。最近では『ジャンヌ・ダルク』でM・ジョボビッチの胸に矢 が刺さり、こちらを睨んだまま落ちてゆく所。こういうのを黒沢明監督の言う「映画になっているシーン」 とうのだろう。
しかしクライマックスではなく何気ない、ストーリーとさして関係のない瞬間はたくさんある。『チャンス』 でP・セラーズが初めて世の中に出て、ショーウインドーの中のTVモニターに映る自分の姿を見るシーン。 『ブリキの太鼓』で群集の前で演説中に天気が悪くなり、「ハイル・ヒットラー!」と高く揚げた手の甲を 裏返し、「雨かいな?」と確かめるナチスの上官の間抜けぶり。『Shall We Dance?』で背中に特殊 な強制器具をつけ日が暮れてから独りダンスの練習に励む役所広司。

ちょっと可笑しくてなんだか哀しいこれらのシーンは、もしかするとその映画の「心臓」なのかもしれない。 登場人物が泣き叫び、大爆発が起こり、人類が最後の日を迎える…といった様な映画においても、その作品 の「おへそ」となるシーンは、見せ場と見せ場の間のつなぎみたいな所に隠れていて、一人でニヤリとしな がら、我々に発見されるのを楽しみにしているのだ。

発見? いけない、そんな言い方は傲慢だ。もしも映画に尻尾があるのならそれを掴んでみたいと長年思っ てきたが、もうやめよう。いつの間にか、私は自分が最も軽蔑する「観念の奴隷」になってしまっていた。 人生はただのゲームだ。楽しまなくっちゃ。
そうだ、やはり旅に出よう。インディ・ジョーンズに借りた帽子を被って、まず『もののけ姫』のタタラ場 で何ヶ月かアルバイトさせてもらう。次に『ファイトクラブ』でB・ピットを殴り飛ばして、カンボジアの 奥地へ。『地雷を踏んだらサヨウナラ』(ああ、何て切ないタイトル!)の浅野忠信の命を救った後、さら に河を遡って『地獄の黙示録』で有名なM・ブランドに演技の真髄を学び、やがて王となり優勝する。
何? 「そんなお前自身とサヨナラしたい」って?
長い間、ご愛読ありがとうございました。続きはまたいつか……。