シネマ大全 た行・チ

 血と骨  2004年 日本

1923年。成功を夢見て祖国から大阪へ渡った少年・金俊平。
朝鮮人集落での裸一貫の船出から、持ち前の腕力と上昇志向で自分の蒲鉾工場を構えるまでにのし上がった俊平だが、並外れた凶暴さと強欲さで悪名も高く、家族までがその存在を怖れていた。
俊平の息子・正雄は、父を“頭のおかしいオッサン”と軽蔑しつつ、その巨大さに憧憬とも畏怖ともつかない感情を抱く。そんな折、俊平の息子を名乗る武という青年が現れ、金家に転がり込んで好き勝手に暮らし始める。俊平の存在にびくともしない武の姿に、正雄は羨望の眼差しを注ぐのだが…。


心の底から、後悔している。
この映画を早目に試写で観て、私のラジオ番組に崔洋一監督をゲストに迎えるべきだった。そして、根掘り葉掘り、この作品について訊きたかった。
’93年の映画「月はどっちに出ている」では、それが出来たのに…。

強烈な映画だった。
’70年代の泉谷しげるのオリジナル曲「Dのロック」の歌詞の一節に、こういうのがある。

“顔見知りの評論家とやり合う姿は、口が上手いだけに、豚肉も負ける”

アホらしい評論家たちは、2、3秒で溶けてしまうだろう、こんな映画を観た日にゃよう。
良かった、アホらしい評論家なんぞに生まれなくって…。

この映画の中に出て来る、昭和30年代の大阪に生まれた私は、あの金俊平たちが暮らした、あの路地、あの子供たちが遊んでいる空間、あの感じをリアルタイムで少しは知っている。
懐かしくも息苦しく、貧しくも楽しい時代だった。

でも、そういう、きっとこの映画の中の修羅の時代にも、微かにはあったに違いない“楽しさ”や“愛おしさ”“ヒューマニズム”を崔洋一監督は、徹底的に拒否している。それでいいのだ。
幾つかの枝葉を口の中で切り落とした後、言わせて貰うなら“人間の本質”その一端を描いた映画だ。
’90年の秋、映画「追悼のざわめき」を観た後のトークショーの本番で、監督の松井良彦さんに、こう尋ねた事がある。

“それにしても、ここに出て来る人物はどうして皆、こんなに孤独なんでしょうか?”

“「剥き出しの孤独」て言われてるんですけどね。結局、口でなんぼ綺麗な事ゆうてても、みんなホンマは、自分が一番可愛いし、自分の事しか考えてないのとちゃいますか?”
大阪弁は、ええなぁ。

思い出した、色んな事。
でも、全てを書き切れない。今更、遠いし、今更、遅い。

映画全体に緊張感がみなぎっている。誰もが、ビートたけしを怖れている。泉谷しげるは、予言者だった。
“みんなアイロンを嫌がってる。しかし、ゴルフ・マニアは気付かない。社長を飛び越えた若造は居られず、さるぐつわをされたまま、放り出される”

金俊平の末路は、観客の当初の予想より、遥かに悲惨だ。
それは監督の思惑通り、現在につながっている。
そして、映画の奥底が何処かで唸っている。
“それで、平成のあんたらは、そんなに違うか?同じメシ食うて、何処違うか?今は、そんなに幸せか!”

俳優でいうと、同じ在日コリアンを描いた映画「GO」(行定勲監督)で、私の教え子を演じた新井浩文(「天国の本屋〜恋火」ほか)の成長が嬉しい。特筆すべきは、テレビ朝日のミニ番組「あしたまにあ−な」のナレーションで御馴染みの濱田マリ。たけしの二番目の愛人を演じているが、凄い。
こういうキャスティングは、普通、出来ない。崔さん、よく人を見ているね。
本年度の邦画ベスト・ワン獲得は、絶対に間違いない。

(2004.11.12)