シネマ大全 た行・タ

 ダ・ヴィンチ・コード  2006年 アメリカ

講演会のためパリを訪れていたハーヴァード大学教授のラングドン。
突然、深夜にフランス司法警察のファーシュ警部に呼ばれ、ルーブル美術館に連れ出される。美術館長のソニエールが殺され、彼に捜査に協力して欲しいとの要請を受けるが、実は、ラングドンも容疑者にされていたのだった。そこへ、ソニエールの孫娘で、暗号解読者のソフィーが現れる。ソフィーは、現場の写真を見て、祖父が自分だけに分かる暗号を残したことに気付く…。


この謎解きの展開&タッチは、アメリカのテレビ・ドラマ「エイリアス」にそっくり。
本来は、テレビ・シリーズにして、原作のディテイルをじっくり描いた方が良かったかもしれない。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、キリスト教史、美術史などのヨーロッパ文化に関する知識がなくても、明解=ロン・ハワード監督の力量でグイグイ引き込まれる。

“イエス・キリストの存在を冒涜している”と、幾つかの宗教団体が、この映画を観ないように、との声明を出したが、世界各国のニュース番組で取り上げられ、格好の宣伝材料となってしまった。
映画会社の思うツボですがな。
キリストという人は、確かに存在しただろうし、きっと、ある種の超能力者だったと思うが、人間である以上、妻や子供がいても不思議はない。

それよりも、世界が複雑になり過ぎて、人間は相も変わらずアホな殺し合いばかりしているので、キリストさんに限らず八百万の神々も、もうウンザリしているのではないか。

本来は、“神”VS“個人”の一対一の対峙であるべきはずの宗教が、神ならぬ身の人間によって組織化され、利権が絡み、自己正当化と殺し合いが始まる…。
よーく考えよう、人は絶対に神ではないよ。
そんな事をふと、考えさせられてしまった。

主演のトム・ハンクスは、なかなかハーヴァード大学教授に見えず、ミス・キャスト。
ジャン・レノは、奮闘したが、彼の魅力を見せるシーンがなく残念。
オドレイ・トトゥは、「アメリ」の可愛らしさから成長、映画全体を引っ張って大健闘し、作品に深みを与えた。2時間半、ヨーロッパの知的迷宮への旅を堪能出来る佳作だ。

(2006.6.7)