シネマ大全 あ行・オ

 男はつらいよ・寅次郎恋歌   1971年 日本

博の父「ぽつん、と、一軒家の農家が建っているんだ。りんどうの花が庭いっぱいに咲いていてね、開けっ放した縁側から灯りのついた茶の間で、家族が食事をしているのが見える。
まだ食事に来ない子供がいるんだろう、母親が大きな声でその子供の名前を呼ぶのが聞こえる。わたしゃね、今でもその情景をありありと思い出す事が出来る。庭一面に咲いたりんどうの花。明々と灯りのついた茶の間。賑やかに食事をする家族達。私はその時、それが、それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、ふとそう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。人間は、絶対に一人じゃ生きて行けない。逆らっちゃいかん。人間は、人間の運命に逆らっちゃいかん。そこに早く気が付かないと、不幸な一生を送る事になる。分かるね、寅次郎君…分かるね…」

「へい、分かります。ようく、分かります」

シリーズ8作目。
インドの古代哲学を研究しているという博(前田吟)の父(志村喬)と寅(渥美清)との会話。
私は、何故か、このシーンをずっと覚えていた。
こういう“説教臭さ”が大キライだという人の気持ちも解るが、そういう人は、もう少し歳をとってみると良い。
出自の違いか、資質の違いか、この2人の名優の演技は、その方法論を語るとしたら全く噛み合わないものに違いない。
でもこれは、このクールな感じのする哲人が寅の事をそんなに嫌いではない感じが、淡々と伝わって来る、実に良いシーンなのだ。
この“淡々とした感じ”が、例えば松村達雄などにも共通する志村喬の味なのだと思う。
こういう俳優を今、探しても、なかなか思い浮かばない。

この映画は1972年の正月作品として封切られ、148万人を動員する大ヒットとなる。
寅さんシリーズは、名実共に松竹の大看板となった。

そして、2005年…。 何が本当の幸せなのか、私はまだ分からない。
でも、これが遺作となった初代おいちゃん=森川信を含め、今は亡き名優たちが、少なくともこの映画の出演俳優としては幸せだった、という事は出来ると思う。

2005.10.2)