シネマ大全 あ行・オ

 男はつらいよ   1969年 日本

“桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。思い起こせば20年前、つまらねえことでおやじと大喧嘩、頭を血の出るほどぶん殴られてそのままプイっと家(うち)をおん出て、もう一生帰らねえ覚悟でおりましたものの、花の咲く頃になると決まって思い出すのは、故郷の事、ガキの時分ハナタレ仲間を相手に暴れ回った水元公園や江戸川の土手や帝釈様の境内の事でございました。
風の便りにふた親も秀才の兄貴も死んじまって、今、たった一人の妹だけが生きてることは知っておりましたが、どうしても帰る気になれず、今日の今日までこうしてこうしてごぶさたに打ち過ぎてしまいました。今、江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、何やら、この胸の奥がぽっぽと火照ってくる様な気がいたします。そうです。私の生まれ故郷と申しますのは葛飾の柴又でございます…”

これが26年間、48作も続く、ギネスブック認定の大ヒット・シリーズの始まりだった。
キチンと最初から最後までノーカットで観たのは、初めてかもしれない。
これは、文句なく傑作だ。
後に続く全ての要素がすでに入っており、映画数本分に匹敵する非常に濃い内容。
山田洋次監督の“筆さばき”の上手さ・才気が全篇に溢れている。

初代・おいちゃん(森川信)と寅(渥美清)の関係は、浅草軽演劇・コントの伝統を感じる“ベタさ”を持っている。この映画の中には何と、さくら(倍賞千恵子)を寅がひっぱたく場面がある。
その後、とらやの裏で博(前田吟)も巻き込んでの、おいちゃんとの大喧嘩になる。

“いいか、このゲンコはな、オレが殴ってんじゃねぇ。死んだお前のオヤジが殴ってんだ!”

私の見る限り、このシーンで完全に一発は本当にキマっている。
森川信が亡くなってから後の2人のおいちゃん(松村達雄、下条正己)では、成立しなかったシーンだ。この一騒動が終わってから、カメラは上に上がり、とらやの屋根瓦が見える“斜め上”から、倒れている寅の上に、心配したさくらや裏の印刷工場の工員たちの影がかぶさって来る…。

今日、初めて気付いた。
このカメラのアングルは、死んだ寅の父親の目線なのだ。
そして最近、この人物と人物の“斜め上”の位置関係を映画で見た事があるなぁ、と思った。
その映画のタイトルは、「いつか読書する日」。
あの路上で自転車に乗る田中裕子と市電に乗っている岸部一徳の関係は、日本映画ならではのデリケートなものなのだ。

真上からのアングルでない所が、非キリスト教国であり、謙虚さが美徳でシャイな国民性を表している。

ラスト近くで、恋破れ、金もなく、弟分の登(秋野太作)と縁切り(?)をした後、独り泣きながら、上野駅で中華そば(ラーメン、ではないなぁ)をすする寅の姿は、現在においても、まだまだ不安で不安で仕方がない日本人の原型の様な気がしてならなかった。

2005.9.3)