シネマ大全 か行・キ

 嫌われ松子の一生 2006年 日本

昭和22年。福岡県で一人の女の子が誕生した。お姫様の様な人生を夢見る彼女の名は川尻松子。愛を求める松子の前にはさまざまな男が現れるが、彼女の選択は、ことごとく不幸へと繋がってしまうのだった。夢を抱いて就いた教師の職をクビになり、どうみてもダメダメな文学青年にお金を貢ぐ日々。やがて、ソープ嬢となり、挙げ句の果てにヒモを殺害し、刑務所に入る羽目に。男たちに利用され、搾取され、捨てられる松子。でも、彼女は誰を責める訳でもない。53歳。 河川敷で死体となって発見された彼女の生涯を探る甥が見たものは…。

快作「下妻物語」の中島哲也監督作品。若い“下妻ファン”で満員の客席の後方で、私は少し浮いていたかもしれない。でも、観客として、なかなか幸せな時間を過ごせた。

“どうして、そこまで不器用なの?”と叫びたくなる様な松子を演じるのは、中谷美紀。自ら、“松子を演じるために女優を続けて来たのかもしれない”と言う程の熱演だ。これまでにない表情も多く見せるが、撮影中は監督とかなりの確執があったらしい。当たり前だろう。物を作るというのは、そういう事なのだ。

「下妻物語」の後半の様な惜しい中だるみがなくなり、中島演出は進化し増殖を続ける。遊び心溢れる映像の花火の連射は、キッチュでデコラティブで、果てしなく楽しい。デコラティブであるとう事は、エネルギーがあるという事だ。不幸も、また楽し。この世の出来事は何もかもが茶番で、やはり悲劇も全て喜劇だったのか。53歳になって、堕落し太ってしまってからの松子。あの派手なデザインのネルのシャツと複雑な模様の紫のカーディガンの“着たきり”衣装が、彼女の絶望の深さを具現化していて秀逸だ。終盤近くになってからは、中谷美紀の顔を写さない方が観客の想像力をかきたてて良かったと思う。

私は、この目線の高度が気になった。それは、高くも低くもない、中途半端な位置にある目だ。あたかも2時間、松子をじっと見ていた我ら観客を試すが如き視線。監督が、“死んだばかりの今の松子は、神でも人でもありません”と言っている様でもあり、ジョン・レノンの「イマジン」じゃあないが、“松子が生きたこの世というのは、天国でも地獄でもありませんでした”と囁いている様でもあった。

松子の一生は幸せでなかったかもしれないが、彼女は映画の作り手も出演者も、そして、我々観客をも幸せにしてくれた。

だから、一度でも他人の傷口に塩をすり込んだ事のある、そこのあんた。もう、松子の事を嘲笑うのは、やめてもらいたい。不器用や不運の連続は、それほど悪い事か?上から、偉そうな視線で人を見下すのはやめて欲しい。誰だって、バカで不器用じゃないか。我らは皆、“嫌われ松子”じゃないか。

(2006.7.8)