シネマ大全 あ行・ア

 アイズ・ワイド・シャット   

1999年 アメリカ

このHPの“作品集”の頁に、この映画に関する『割り箸女とスプーン・マン』という一文がある。



映画の前半、嫉妬が原因でT・クルーズが夜のN.Y.をさまようシーンがある。イギリスで撮影されたこの街角はどこか60年代っぽく、彼が出逢う人々、ふたつのパーティ、死体置き場、ラスト近くで交わされる夫婦の会話…すべてが謎に満ちている。
それもそのはず、これは妄想についての映画なのだ。
実を言うと我々は現実だけでは生きていけない。だから人は夢を見るし、劇場へ通うのだ。
クルーズの端正なマスクとニコールの魅力に救われながら、キューブリック監督の仕掛けた謎の解明は、いずれコンピューターのハル君に任せる事にして、終演後、トイレに入った。鏡の中には、映画に異常な愛情を抱いている現実の自分が居た。
はずすイヤリングはない。もちろんそばに美しい女性も居ない。まばゆい光もない。
これでめでたく、逆戻り。

今読むと、目から火が出るが、“これは妄想についての映画なのだ”というのは、当っていると思う。今夜、5年ぶりに観てみると、画面の構図がとても美しく、奥行きがあるのを感じる。
映画「ゴッドファーザー」の成功の一因は、撮影監督ゴードン・ウィリスがこだわった“画面の奥行き”だった。この作品も照明が素晴らしい。

そして、重要な要素がもう一つ。この映画が最終的に何処へ行くのか、誰にもわからないのだ。
これが遺作となったS・キューブリック監督は、最後の最後まで“1回観ただけでは理解不可能な、世界中の何処にもない映画”を作ったのだった。

今、思い出した。
主演の二人の舞台挨拶つきの完成披露試写会が終わった直後、会場の東京国際フォーラムのトイレで、手塚眞監督と偶然会い、彼は“感動で震えが止まらない”と言い、私は“今すぐ、もう一度見たい”と興奮して話したっけ。
そう、キューブリック監督は、彼の父・手塚治虫の大ファンだった。もしも、手塚治虫が長生きして、セックスを描いたらどうなっただろうか?「不思議なメルモ」が成長して、想像を絶する創造をしたに違いない。明日は、もっと汗を流して、身体を鍛えよう!

2004.4.30)