岡村通信 No.12 「失投」

2001年10月4日

朝夕、ひんやりの神無月、いかがお過ごしですか?
この頃思った事を書いてみました。

【 1987年9月のある日の午後 晴れ 】    街角の公衆電話

予約係 「ミスター・岡村、あなたは大変ラッキーです。 午後7時からの窓際の理想的なお席に、たった今、キャンセルが出たようです」

「あ、そうですか。 あ、ありがとうございます!」
予約係 「どういたしまして。ところで、ミスター岡村必ずタイとジャケット着用でご来店頂けますか?」
「えっ!…それが、そのー、Tシャツとジーンズではダメでしょうか? 今からじゃ、ホテルに戻る時間もないし…」
予約係 「大変残念です、ミスター岡村。では、是非また次の機会を…」
「あのー、明日、日本へ帰るんです。何とかなりませんか?」
予約係 「申し訳ありません。しかし、ニューヨークと当店 Window on the World は、いつでも あなたをお待ちしております、ミスター岡村。それでは…」

世界貿易センタービルの最上階にあるレストランにかけた電話。彼の声は、映画『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーそっくりだった。食事はできなかったが、この数時間後に110階の展望室から、はるか雲の下の自由の女神を見た。 初めて訪れたニューヨークは背筋がピンと伸びた大柄な女みたいだった。

 「お前達は楽園へ行くのだ」とテロリストのリーダーは出発前実行犯に念を押したそうだ。  今、自分が生きている現実世界こそを楽園にしようとしないで、何処に楽園があるんだ?  他者と、他者の持つ価値観を全く認めようとせず、自意識が異常に肥大しているだけじゃないか。
ああ、もう何千年もずっと戦争ばかりしてきて、冷戦もやっと終わったのに、人類はまだ何も学んでいない。

 
【 2001年 4月 8日 日曜日 夜 晴れ 】    白金台・八芳園

 私  「お久しぶりです! お元気でしたか? 『風花』、拝見しましたョ。」

監督  「ああ、どうも。」

 私  「何だか元気がありませんね?」

監督  「有馬記念、負けちゃって…」

 私  「ハハハ。」

監督  「笑い事じゃないよ。 競馬で稼がないといけないから…」

 私  「何言ってんですか、巨匠が! あっちの方に榎戸(耕史)さんが居ましたよ。」

監督  「ああ、そう。」

 私  「呼んで来ましょうか?」

監督  「いや、いいよ。 自分で行くから。… じゃあ、また後で。」

共通の知人の結婚披露パーティーでの事。これが9月9日、肝臓ガンのため53歳で急逝された相米慎二監督(映画『セーラー服と機関銃』ほか)と交わした最後の会話となった。 
名古屋で一緒にトークショーをやって飲みに行ったり、不思議に何度か接点があった。  
すごーく、シャイな人だった。
  
【 2001年 9月28日 金曜日 夜 曇り 】    川崎市 自宅

テレビ神奈川で、相米慎二監督追悼企画 映画『台風クラブ』を観る。
中学教師の三浦友和が、畳の部屋で寝転んでいて、食事を準備中の恋人の小林かおりを足で払って倒 し、その後しばらく、寝転んだまま互いの両足でじゃれあいながら会話するシーンがある。この男と女の、 ある種どうしようもない関係が見事に表現されている。こういう事ができる監督はちょっといないんじゃないだろうか。
作られてから16年もたっているのに、フレッシュで捉えどころがなくて、ドキドキする。 

  “若い死だった。 神様のやり方がわからない。”
これはダイアナ元妃が事故死した時のマザー・テレサのコメント。

神様へ…、失礼ながらこの所、少しコントロールが悪すぎやしませんか?
あるいは他の何かのせいなんでしょうか。 それとも・・・

映画が終わってしまい、どうしようもない気持ちになり、仕方がないので、生レモンハイを飲みながら、ボブ・ディランの『欲望』というアルバムを聴く。    
『Oh,Sister』
   
お姉ちゃん 俺のお姉ちゃん 
俺が話しかけた時 顔をそむけなさんな 
悲しいから

時は海だが 岸までだ
会えぬかもしれぬ 明日は
 ああ、ディランはいつも正しい。

また今回も長くなってしまって御免なさい。

私事ながら、映画『レディ・プラスチック』 http://www.hammers.co.jp/ladyplastic/
(高橋玄監督 出演:小嶺麗奈 西岡徳馬 ほか)は、新宿武蔵野館(03-3354-5670)で上映中です。
私はこの作品で、’70年代に活躍した舞台俳優・岡本安保を演じています。

お時間がありましたらあなたの近況など、是非お聞かせ下さい。
時節柄、どうかお身体を大切に…

ではまた!