朝倉涼子の面影〜恋文〜 前章

 土曜日の昼下がり、親子でも兄弟でもない若い男女が二人きりで行動を共にすることは、世間一般の認識では「デート」という代物に該当する……なんてことが脳裏を一瞬かすめたが、深く考えないようにして、俺と吉村美代子──ミヨキチは電車に揺られ、駅前の公園から移動していた。この子とどこかに行くなら映画館だな、との判断での移動だ。そもそも地元で二人一緒に並んで歩くのはリスクが高すぎる。いろんな意味で。そんなリスク回避として映画という選択はなかなかナイスな判断だ、と自画自賛しておこう。
 電車の中では、あまり言葉を交わさなかった。前にミヨキチが見たがっていた映画に行ったときと勝手が違うから、それは仕方がない。幾分緊張している彼女は流れる外の風景に目を向けており、俺はその横顔を漫然と眺めていた。
 あまり凝視するのは失礼な気もするが、それでもつい、目が向いてしまう。確かにこの一年で、ミヨキチは小学生とは思えないほど綺麗になった。少女と女性の境目に立っている可愛らしさ……とでも言えばいいのか。俺じゃなくたって、まぁ見とれるヤツは少なからずいるんじゃないか?
 けれど、俺が見とれる理由はそれだけじゃなかった。
 ──似ているな……
 と、思う。誰にと問われれば……答えたくないね。答えたくはないが、腰まで伸びた髪や女の子らしい仕草が、ふとアイツの姿と重なる。
「あの……わたしの顔、何かついてますか?」
「え? ああ、いや……なんでもない」
 ほんのり頬を朱に染めるミヨキチに、俺は曖昧な返事でごまかした。くだらないことを思い返したって仕方がないし、よくよく見れば似てない……かな。
 ただ……そうだな、ミヨキチの香りがたまたまアイツと同じだから、そんな妙なことを思い出してしまったにすぎない。
 目的の駅で降りて、俺たちは市内でもメジャーな劇場へと向かった。一緒に並んで……ではなく、恥ずかしいのか何なのか知らないが、ミヨキチは俺の後ろを着いてくる。
 さすがに土曜日ともなると、人が多い。そんな中、後ろで歩いていられるとはぐれるんじゃないかと思ってしまい、ついつい振り返る。
 そんな俺の態度に気づいたのか、ミヨキチは「ちゃんとついて行きますから、大丈夫ですよ」と言った。そりゃうちの妹と同い年とはいえ、デキが違う。迷子になるとは思っちゃいないが、落ち着かないのは確かだ。
「そんな後ろじゃなくて、横を歩けば?」
 と言ってからつい、いつもハルヒにしているようにその手首を握ると、掴んだその場所から俺にも伝達するくらい、ミヨキチの体がビクッと震えた。
「あ、スマン。つい」
「い、いえ、わたしもちょっと驚いただけで……」
真っ赤になって、俺が掴んだ手首を愛おしそうに撫でながるミヨキチの姿は、そりゃヤバかった。包み隠さず本心を告白すれば、グッと来るくらい愛くるしいものだった。
 いかんいかん、何を考えてるんだ俺。相手は妹と同い年のミヨキチじゃないか。ここで俺が動揺してどうする。下手な期待を持たせるわけにはいかないだろ。
 そんなこんなで劇場に着いた。前回みたいな単館ではなく、シネコンでどの映画を見るのもご自由に、ってな感じだ。
 だが、最近流行りの映画についての情報は、あいにく仕入れていない。ここは映画フリークのミヨキチに選んでもらうとしよう。
「えと、それなら……」
 ミヨキチが選んだのは、ホラーだった。ここでもホラーだ。なんでホラー?
 前回はまぁ、好きな俳優が出演していてそれが目当てだったらしいから、よしとしよう。でもここで、またさらにホラーを選ぶとはなかなかシュールだ。年相応にアニメ作品を選ばなかっただけマシかもしれないが。
 しかもそのホラーは、暗闇からどーんっと来るような、いわゆるびっくり箱系のホラーではなく、じわじわと夜中に背後が気になる系のホラーだった。苦手なんだよな、そういうの……。
 それでも彼女に選ばせたのは俺だ。四の五の言うつもりはなく、チケットを二枚購入した。
「あ、お金はわたしが」
「いいよ、このくらい」
「でも、今日はわたしが無理を言ってしまったんですし」
「いいからいいから」
 それでもミヨキチは食い下がってくる。普段は「俺が金を払って当然」と言わんばかりの態度を取る連中と一緒にいるから、ある意味新鮮な反応だ。
 そんな感動に浸っていても埒が明かないので、映画を見ながら飲むジュースの代金を出してもらうことにした。そのくらいの出資バランスで丁度良いのさ。
 映画が始まると、ミヨキチは食い入るようにスクリーンに見入っていた。時折小さな悲鳴と、俺の腕を掴んできては「ごめんなさい」と言いつつ離すのが、なかなか愛らしい。
 そんな映画の内容は……まったく覚えていない。それなりに客足は伸びていたから、そこそこ人気がある作品なんだろう。けれど、少なくとも俺には隣で小さな悲鳴を上げているミヨキチを見ているほうが楽しかった。
 そもそも、数ある映画の中から何故ホラー映画なんて選択したんだろう? その理由を聞いてみると、ミヨキチは両手の指を絡めてはにかみながら「ナイショです」と言った。
 何が内緒なのかわからないが、深く考えるのは藪をつついて蛇が出てきそうなので止めておこう。確証はないが、それとなく理由もわかったことだしな。
 そんな映画鑑賞が終わり、これからどうしようということになった。このまま帰る……ってのはなさそうだ。また前のときのように喫茶店に行くか、それとも──。
「あの、お兄さん。少し買い物をしたいんですが、いいですか?」
 控えめな声音でミヨキチはそう言った。断る理由なんて微塵もありゃしないので、続けてショッピングに向かうことに。何を買うのかと思えば、服だった。
「お気に入りの洋服も小さくなって……お母さんからも、今日出かけるならついでに買ってきなさいって」
 胸元を押さえようとしたミヨキチは、俺の視線に気づいて真っ赤になりながら手を下ろし、俺は慌てて視線を逸らした。
 そうだよな、成長期だから日に日に少女から女性の体型に成長するのは世の理ってもんだ。体を覆う布地が足りなくなるのも仕方がないさ。
 どこで服を買うのかと思えば、ミヨキチはそれとなく目星を付けていたらしい。彼女の案内で連れて行かれたところは、女性物の衣類を専門で取り扱うブティックだった。以前ミヨキチと一緒に行った喫茶店と同じくらい、いやそれ以上に男一人で足を踏み入れるにはかなりの勇気を必要とする場所だ。いやもう、このブティックに関して言えば、男子禁制の聖域と言っても過言ではない。むしろ野郎が一人で店の中にいたら……個人の趣味に文句を言うつもりはないが……お近づきにはならないようにしたいね。
 店の中にいる男は、幸いなことに俺一人ではなかった。が、店内の男は全員、彼女に引きつられてやってきたのだろう。傍目に見れば、俺も『彼女の買い物に付き合う彼氏』という役どころなわけだ。
 なんとなく、本当にこれでいいのかと思い始めた。心なしか、ミヨキチの『彼氏』という立場になることを、流れに任せて確立しつつあるんじゃないかと思えてきた。
 そんな俺の葛藤に気づかずに、ミヨキチはあれこれと服を選び始めている。「どんなのがいいですか?」なんて聞かれても、女性のファッションなんぞわかるわけもない。かといって適当に返事をするのも失礼だと思って、個人的な感想でミヨキチに似合いそうな服をイメージしてみた。
 やっぱり派手で露出の多いのは違うな。どちらかと清楚でおとなしめのが似合いそうだ。いまだ小学生とはいえ、大人びた印象もあるから、子供っぽすぎるのも違うだろう。
 そんな考えで、ミヨキチが選んだ服の感想をあれこれ言ってみると、最終候補まで選んだ服を持って更衣室に入っていった。
「どう……ですか?」
 アドバイスになってるかわからない俺の助言でミヨキチが選んだのは、フロントリボンが特徴的な膝丈のワンピース。足が出て恥ずかしそうだが、すらりとした体型にピッタリだと個人的には思う。今日、身につけている大きな帽子にも似合ってるじゃないか。
「似合ってますか、これ?」
「ああ、似合ってるよ」
 それはお世辞でも何でもない。今のミヨキチなら、朝比奈さんと張り合えるキュートさだと思うね。
 俺のその一言で、ミヨキチはそれを買うことに決めたようだ。なんだか俺が決めたみたいで恥ずかしくもあり申し訳ない気もするが、本人もご満悦のようなので文句は言うまい。
 着替えて会計に向かうミヨキチ。さすがの俺でも、服を買ってやれるほど財布の中身にゆとりはない。本当なら買ってやるべきなんだろうが、丁重にお断りされるに決まっている。
 だから、代わりに買ったのは髪留めだった。ゴムのやつじゃなくてバレッタのしっかりしたやつだ。試着で着替えている間に、すでに購入済みである。前は三つ編みおさげで、今日は結わかずストレートの髪を見て、こういう小物は実用的でいいんじゃないかと思った次第だ。
 別に他意はない。あ、いや、ひとつだけあるが、それはただ単にミヨキチのポニーテール姿が見たいなと思った俺の趣味だ。気にしちゃいけない。
「お待たせしました」
「ほら、これ」
 と、会計を済ませて戻ってきたミヨキチに、俺は購入済みの髪留めを袋のまま手に握らせた。
「あの、これ……」
「ああ、買ったはいいが、使い道がないことに気づいたんだ。うちの妹もそんな髪が長い訳じゃないしな」
 むちゃくちゃな言い訳とは思うが、そのくらいの強引さでなけりゃ受け取ってもらえなさそうだったことでの苦肉の策だ。俺も女性にプレゼントを贈った事なんて一度もないから(徴集されることは多々あるが)、どうやって渡せばいいのかわからないってのもある。
「あ、ありがとうございます。あの、これ……ずっと、大切にしますね」
 千円もしない代物でえらく感激されると、贈ったこっちとしても申し訳なく感じるが、ミヨキチは袋から髪飾りを取り出すと、「わぁ」と素直な反応を見せてくれた。
「使ってみて、いいですか?」
「どうぞどうぞ」
 元から使ってもらうつもりでプレゼントしたんだ。
 ミヨキチはかぶっていた帽子を取って、長く伸びた髪をまとめて髪留めでまとめる。俺はその仕草を凝然と眺めていた。その視線には、多少なりとも驚きが混じっていたかもしれない。
 今日のミヨキチは、会ってからずっと帽子をかぶっていた。だから、初めてまともに顔を見たことになる。よく考えれば、俺が中学卒業のとき以来だから、実に一年……いや、二年ぶりになるのか。
 目眩がした。口の中がカラカラに乾く。頭の中で、さまざまなことがフラッシュバックする。倒れ込まなかっただけ、自分の精神力が強靱だったことに大絶賛の拍手を送りたいくらいだ。
「あの……顔色、真っ青ですよ。大丈夫ですか?」
 ポニーテールにしたミヨキチが、俺の変化に気づいたのか不安げな表情を見せた。
 そうだ、彼女はミヨキチ──吉村美代子であって、他の誰でもない。他の誰かに見えるなんて、俺の方がどうかしている。
「いや、大丈夫。ただ……そう、ちょっと朝から何も食べてなくてね。いろいろ忙しかったもんだから」
「わたし、全然気づかなくて……ごめんなさい。今日はわたしが勝手に呼び出して連れ回したりして。あの、今日は帰られた方が……」
「いや……うん、大丈夫だ」
「ダメですよ。顔、真っ青じゃないですか。わたし、送りますから」
 大丈夫だと言っても、この調子では聞き入れてもらえそうにない。一気に体調が悪くなったのも事実だし、こっちが意固地になって『帰らない』と言うのも変な話だ。
 結局、俺はミヨキチに付き添われて帰宅することにした。
 家には妹がいたが、ミヨキチは妹と遊ぶようなことなくそのまま帰ってしまった。こんな中途半端に終わって残念に思っているのは、俺よりも彼女の方だろう。
 あれこれ騒ぐ妹を受け流し、自室に戻った俺はベッドの上に倒れ込んだ。
 まったく、自分自身が情けない。
 どうして今になって、しかもミヨキチを見てアイツのことを思い出さなければならないんだ。
 似ている、と言っても生き写しというわけではない。ただ、その仕草やときどき見せる表情に面影があるというだけだ。それでも……そうだな、あと五年、いや三年もすればそっくりになるかもしれない。だからこそ、今の姿だけでも、忘れかけていた俺の記憶を呼び起こすには十分だ。
「……長門に相談するか」
 我知らず、言葉が漏れる。そして、あまりにも馬鹿らしくて自嘲する。
 何を相談するって言うんだ。単なる俺の勘違い……いや、俺の精神的な弱さが問題なんだ。何も確証がない今、長門に話したところで解決方法があるわけでもない。もし仮にヤバイことになるのなら、長門の方から忠告があるはずだ。
 それがない、ということは、危険なことも注意すべきことも存在しない、ってことになる。
 だから、これは俺自身の問題であり、俺が乗り越えなければならない話なんだろう。
「ん」
 無意識に弄んでいた携帯がプルプル震えた。画面を見ればメールの着信が一件。ミヨキチからだった。

『体調の方は大丈夫ですか? わたしが無理をさせてしまったせいで、本当に申し訳なく思っています。
 でも……今日は来ていただいたことに、とても感謝しております。わたしの願いを叶えてくださって、本当に、本当にありがとうございました。
 けれど、わたしへの返事や気持ちのことは忘れていただきたく思います。
 今日この一日、貴方と二人で歩けたことだけで、わたしは満足です。それどころか素敵な髪飾りまで戴いて、有り体の感謝の言葉しか思い浮かばない自分が恥ずかしく思うほどです。
 これからもお会いすることはあるでしょうが、そのときはいつもと変わらず接していただければと思います。
 今日はありがとうございました。重ねて、お礼申し上げます。

吉村美代子』

 直接会って話をしていれば年相応なんだが……ラブレターの内容といい、このメールの文面といい、しっかりした娘だな。俺より年上なんじゃないかと思える。うちの妹じゃ絶対書けないぞ、こんなこと。十二歳とは言え、立派なレディというわけだ。女は怖いね。
 俺は文面から相手の心理を読み取るのは現国の試験だけで十分だと考えている。本を読むときだって『おもしろい』か『つまらない』の感想くらいしか持たないタイプだ。
 けれどこのメールは……うーん、まいったな。こんな文面を突きつけられて、そっすか、って放り出せるほど腐っちゃいない。
 それに、ひとつだけ確かめたいこともある。何の関係もないのであれば、それでいい。でも万が一ということがある。今まで散々『ありえない』と思っていたことが現実に起こっているんだ。憂いはいまのうちに払っておいた方がいいような気がする。
 ミヨキチは妹の親友でもあるんだ。たとえ俺の気のせいとか勘違いであったとしても、SOS団絡みの厄介事の可能性があるのなら、それに妹を巻き込みたくない。
 俺は、明日にでも二人で会えないかという旨の内容で返信した。ミヨキチのメールに比べれば、たった一言の愛想もへったくれもない内容だ。
 すぐに返信の返信が携帯に届く。俺の体調を気遣いつつも、是非とも会いたい、といった内容だった。その後は時間と場所の指定をして、約束を取り付けた。
 時計を見る。まだ、夕飯時のそんな時間だ。
 けれど今の俺は、まともに食事を摂るのも億劫なほど、気が滅入っていた。明日のことを考えると、どうしてもそうなる。
 ミヨキチの告白に対する返事はしよう。それはしなければならない。
 けれど、その前に確かめたいこともある。
 俺は布団の中に潜り込み、眠たくもないが目を閉じた。頭の中には、たったひとつの疑問がぐるぐると回っている。
 ──ミヨキチ……どうしてそんなに、朝倉涼子に似てるんだ?