森園生の変心 四章

 何の予定も入っていない土日の行動として、昼頃までベッドの中でぐだぐだと惰眠を貪ることは言うまでもないことだ。もし休日に市内不思議探索が予定されていれば、学校に行く時間に起きることを強要される。けれど今日は、それよりも若干早い時間に目を覚まさなければならなかった。
 今日は、鶴屋さんの結納が執り行われる日だ。そこに、俺も同伴することになっている。どうにも成り行きでそういうことになってしまった気もするが、もしかすると誰かの意図があってこういうことになったのかもしれない。
 そりゃあだってそうだろう。俺が鶴屋さんの専属執事などというバイトをすることになったのは、今週初めに決まったことだ。けれど鶴屋さんの結納ってのは、それよりももっと前から決まっていたことに違いない。
 そんな時期に人手が欲しいって理由はわからなくもないが、俺よりももっと動ける人間はいるだろう。森さんが直々に関わっているのだから、もう一人が新川さんでもよかったわけだしな。
 なのに俺がいる。なんで俺なんだ? 誰でもよかったところに、たまたま俺が関わってきただけなのか? つまり偶然?
 それはないだろう。100%ない、とは言い切れないが、考えが及ばないことすべてを偶然の一言で片付けちゃいけないってことを、俺は高校生になってから今に至る学園生活で学習したね。
 偶然を必然に変えるようなヤツは涼宮ハルヒ一人で事足りている。佐々木もそれに類するらしいが、幸いにして今のところはあいつにそれらしい前兆はない。見たくもないので、このまま小康状態のままで終わって欲しい。
 ……話がズレたが、ともかく俺が鶴屋さんの結納に関わることになったのは偶然ではなく、そこに誰かしらの意図が介在しているんじゃないか? と思うわけだ。
 それは誰だ?
 最有力候補は鶴屋さん自身か。俺の雇い主であり、事の当事者でもある。口ではなんだかんだ言ってもやはり不安に思うところがあり、そこで俺に白羽の矢を立てたってことかもしれない。
 が……そう結論づけるのは早計だろう。
 そもそも鶴屋さんはハルヒが巻き起こしている楽しそうなこと(とは本人談だが)を見ているのが楽しいと言っている。一歩引いた立ち位置が気に入っており、そこに自分から踏み込もうとは思わない……らしい。
 逆を言えば、俺たちを自分のエリアに引き込もうとも思っていないはずだ。この人はそういう人である。
 だから、自分の身に起きたことにハルヒやSOS団の連中、俺を巻き込むとは思えない。
 では、他に誰の意図が働いて俺はこんなところにいるんだ? やはり、これはすべて偶然の成り行きで起きていることなんだろうか?
 なんてことを、一庶民である俺にはどうにも落ち着かないような高級自動車の後部座席に鶴屋さんと並んで座りながら考えていた。
 今日の鶴屋さんの出で立ちは、時代を感じさせないシックなドレス姿だ。見立ては、何故か俺がやらされた。俺のセンスは他人を着飾らせるときの指針になるほズバ抜けたものではないのだが、鶴屋さん自身が俺に選べと言ったのだから仕方がない。
 制服姿以外では和装っぽいイメージがある鶴屋さんに何故にドレスを着せたのかと言えば、結局のところ、和服のチョイスができなかったからってのがある。
 とは言え、さすがに着ている人がいいんだろう、もしかして俺ってセンスがあるんじゃないか? と勘違いしそうなほど、普段目にする鶴屋さんとはまた違った魅力がそこにある。
 もっとも、その魅力も今は少し減少しているようだ。
 やはり状況が状況だからなのか、天真爛漫を地で行く鶴屋さんの表情は、俺がこの人と出会ってからの表情を脳内で再生して照らし合わせて見ても、やはりどこか強張っている。
「少し緊張気味ですね」
「へっ? あっははは! そんなこと〜……そう、見えちゃうっかな?」
 いつもの調子を装い、笑ってごまかそうとしたみたいだが、さすがにそれは無理と鶴屋さん自身も思ったようだ。浮かべた笑顔を引っ込めて、そんなことを聞いてくる。
「大丈夫ですよ、そんな心配することなんてありませんて。先方には先に森さんも向かってますし、そんな時間の掛かる話でもないでしょう」
 こういうとき、俺が一緒にいるから大丈夫ですよ、なんて台詞を一度でいいから口にしてみたいもんだが、俺がそんなことを言ってもギャグにしかならず、そもそも客観的に状況を見ても、俺が居たところで役に立たないのは事実だ。
 頼りになる森さんはすでに会場入りしており、車内は微妙な空気に包まれていた。
 今回の結納は、どうも料亭で行われるようだ。どうせだったら俺が先に会場入りして、森さんこそが鶴屋さんの側に居たほうがよかったんじゃないかと思うわけだが、会場には古泉を初めとする『機関』関係者もそれなりにいるらしいから仕方がない。
 昨日の古泉の話を鵜呑みにすれば、今回の結納はそういうもんらしい。俺自身も少なからず感じていることだが、橘たち『機関』の敵対勢力とやらが鶴屋さんの結納に目を付けているっぽいから、その辺りの警備の打ち合わせも兼ねて、森さんは先に行ったんだと思われる。
 実際はどうなんだろうね。朝比奈さんを未遂とは言え誘拐という強硬手段にも出たような連中だ、もし何かしらの介入を試みているのだとしたら、それはとても穏便な手段とは思えない。
 そんなことになれば、俺は出来る事なんて何もない。何の変哲もない一般高校生が、作り話に出てくるような秘密結社を地で行くような連中と渡り合えるとは思わないでいただきたい。
 ……万が一のことを考えていたら、俺も不安になってきた……。
「なんだかキョンくんの方こそ緊張してんじゃないっ?」
 もしものときの荒事を想像して胃が痛くなってきた俺の表情を見て、鶴屋さんはそう思ったらしい。それならそれで、余計なことを口走らずに済みそうだ。
「鶴屋さんの相手がどんなヤツなのか、少し考えてたんですよ」
「んん〜っ? それでどーしてキョンくんが不安になってんのさっ」
「そりゃだって、鶴屋さんの主人になるヤツは、つまり鶴屋さんに仕えている俺のご主人にもなるってことでしょう?」
「うへっ、上手いこと言うねっ!」
 別に上手いことを言ったつもりはないのだが、鶴屋さんにいつもの『らしさ』が戻ったようで何よりだ。
 やはり鶴屋さんの魅力とは裏表のない屈託さだと思う。それを出さずに結婚相手といざご対面ではマイナス要素にしかならない。
 正直に言えば今の段階でも諸手を挙げて鶴屋さんの結婚という話に賛成しているわけではないのだが、立場的には上手く行くようにしなけりゃならないわけだ。そういう意味では、俺は自分ができることを果たしたんじゃないかと思う。
 満足していいのかわからんが、それに近い気持ちを味わっていると、元から静かな車は止まったことに気付かない滑らかなブレーキングで停車した。
「お待ちしておりました」
 こんなことでもなけりゃ俺には一生縁がなさそうな料亭の前で、出迎えてくれたのは森さん……だけではなかった。
「あっれ? ええっと、確か古泉くんが前に……」
 鶴屋さんもSOS団冬合宿で一度会っている。咄嗟に名前は出てこなかったようだが、顔は覚えていたらしい。
「新川です。ご無沙汰しております」
 森さんの隣に立つ新川さんは、鶴屋さんに恭しく頭を垂れて名乗った。この人が一緒にいるということは、もしかしてこの料亭にいる人間は、すべて『機関』の関係者かもしれない。橘一派が絡んでくることを前提に『機関』が動いているのなら、そういうことも充分にありえそうだ。
「そうそうっ、新川さん! んでも、何で新川さんがいんの?」
 が、それはそういう理由を知っている俺だからこそ考えに至れる話であり、そういう裏事情を知らないであろう鶴屋さんは、ここで新川さんが登場することに疑問を抱いて当然だ。
 ここで姿を見せるのはまずいんじゃないか? と、俺はそう思うのだが、新川さんの口から出てきた言葉は、予想の斜め上を行くものだった。
「本日のわたくしめは、鶴屋さまと結納される方に従事しております故、この場に同伴させていただいております」
「えっ?」
 驚いたのは鶴屋さんだけじゃない。俺も驚いた。ただ、その驚きは別物だろう。
 鶴屋さんは単に「そういう偶然もあるんだね」程度の驚きだと思われるが、俺はそんな偶然なんてないことを知っている。そもそも新川さんは本業が執事なわけじゃない。『機関』の一員だ。
 そんな人が従事している人物が鶴屋さんの結納相手? てことは、もしかしてその結納相手って言うのは、『機関』の一員なんじゃないのか?
「ここで鶴屋さまを立たせておいででは、主人に叱られてしまいます。まだ到着しておりませんが、先に別室の方で休まれてください。ご案内いたします」
「わたしがお出迎えいたしますので、お嬢様はどうぞお先に」
「そいじゃっ、キョンくんも出迎えてあげてよっ。気になるんしょっ?」
 否応もない。鶴屋さんが何も言わなければここにいるつもりだ。さらに森さんまで残るというのであれば、ますます都合がいい。
 鶴屋さんのことは新川さんに任せ、二人の姿が料亭の中に消えてすぐに、俺は森さんに声をかけた。
「鶴屋さんの結納相手は『機関』の関係者なんですか?」
「はい」
 聞けば森さんは素直に肯定した。ごまかされるかとも思ったが、事ここに至れば、ごまかしても仕方がないと思ったのかもしれない。
 だからといって、それで俺が納得して終わりにすると思わないでいただきたい。
「鶴屋さんの相手が『機関』の人間ってどういうことですか。まさか鶴屋さんの結納話は、すべて『機関』の筋書き通りってわけじゃないんでしょうね?」
「先方がお見えになられたようです」
 矢継ぎ早な俺の質問には答えず、森さんが指さすその方向から一台の車が走り寄ってくるのが見える。
 さすがに相手が見えてきたのに、森さんを問い詰め続けているわけにはいかない。相手が『機関』関係者だといっても、鶴屋さんの結婚相手であることに違いはない。出迎えの俺たちが喋っていては、鶴屋さんにいらぬ恥をかかせることにもなる。
 仕方なく口を閉ざし、目の前に黒塗りリムジンが静かに停車して降りてきた相手を見て、俺は閉ざした口が勝手に開く思いを味わった。
「お出迎え、ご苦労様です」
 俺の驚愕面を前にしてもなお、いつも見せている小憎たらしいほどの爽やかさで笑顔を浮かべ、古泉は呑気なことこの上ない台詞を口にしやがった。
 そうだ、古泉だ。古泉一樹で間違いない。いつも部室で俺とボードゲームに明け暮れて、順調に黒星を増やし続けている古泉が、スーツを妙にこなれた着こなしで身にまとい、俺の前に現れた。
「おまえが……鶴屋さんの相手!?」
「おまえなどと、失礼ではありませんか。お嬢様の婚約者なのですよ」
 いつもの調子で俺が古泉を指してそう言えば、森さんから叱責が飛んできた。そりゃ確かにその通りなのかもしれないが、だからどうしてこいつがそうなっちまってるんだ?
「森さん、今はまだ構いません。それに、彼には何も説明してないのでしょう? これ以上、混乱が酷くならに今のうちに、しっかりとね」
 ああ、そうだ。ちゃんと説明しくれ。俺が納得できる形でな。
「それほど複雑な話ではありませんよ。今回の話は鶴屋家から相談を受けた話でもあるのです」
「相談? 鶴屋家が『機関』にか?」
「うちだけではないと思いますが。以前に話したこともあるでしょう? 鶴屋家は『機関』のスポンサー筋のひとつだと。その流れで『機関』にも話が巡ってきたというわけですよ。跡継ぎであるご令嬢に相応しい相手はいないか、とね」
「それで、おまえ?」
「ええ。僕も自分が鶴屋さんの相手に相応しいとは思いませんが、年齢も近く、ある程度の事情に精通している人物は僕しかいなかった。だから選ばれたわけです」
 そうか、そういう繋がりか。何の因果で古泉と鶴屋さんが結婚しなけりゃならんのか、その理由は理解した。が、だからと言って納得したわけじゃない。
「ちょっと待て。おまえはそれでいいのか? そういう理由で鶴屋さんと結婚することになって構わないのか?」
「それが僕の役目ならば、致し方ありません」
「役目とか、そういう話を聞いてるんじゃない。おまえはそれで納得してるのか? 相手が鶴屋さんで、本当にいいのか?」
 しつこいくらいに言葉を重ねて問いかければ、古泉は所在なげに自分の前髪を指でつまみながら、「鶴屋さんが生涯の伴侶となるのなら、否応もありませんね」などとほざきやがった。
「俺が聞いてるのはそういうことじゃない。おまえがそれでいいのかどうかってことだ」
「おや、今の言葉で答えになっていませんか? ……申し訳ありません、これ以上、鶴屋さんを待たせるわけにはいきませんので」
 スッと俺の横を通り抜けて、古泉は料亭の中に入っていこうとする。まさかそれで話を終わらせるつもりじゃないだろうな?
「おい、待てよ古泉!」
 引き留めようと延ばす俺の手は、けれど古泉を掴むことなく止められる。傍らの森さんが、延ばした俺の手首を痛いほど強く握りしめていた。
「おやめください」
「森さん……っ」
 いつもと変わらず静かな物腰と態度で、けれど俺の手を掴む手は力強い。料亭内に入っていく古泉を追いかけることなど、まるでできなかった。
 ええい、くそ。あの野郎、俺が何を言いたいのかわかってるくせにごまかしやがったな。
「どうして鶴屋さんの相手が古泉だと教えてくれなかったんですか」
 古泉に逃げられた俺の矛先は、当然のことながら森さんに向けられた。鶴屋さんの結納だなんだって話を先にしておいて、その相手を言わなかったのは意図的としか思えない。
「あなたが、そのような態度を見せるとわかっていたからです」
「そりゃそうですよ。古泉と鶴屋さんが結婚? 冗談でも笑えない話じゃないですか」
「けれど、二人とも承知のことです」
「鶴屋さんは相手が古泉だと知らないはずだ。本人がそう言っていた」
「だとしても、少なくとも古泉自身はすべて承知してのことなのですよ」
 承知してる? 古泉が? 俺の目には、あいつが自分から諸手を挙げて喜んでいるようには見えなかったんだけどな。
「それはあなたご自身の思い込みではありませんか?」
 確かに古泉自身が何をどう思っているのか、その本音の部分を知ることなんて俺にはできない。毎日顔をつきあわせていると言っても、あいつと俺は同じ人間じゃない。心の中まで理解するのは無理だろう。
 それでも、わかることはあるじゃないか。
「あいつの態度を見たでしょう? あれが納得して喜んでいる態度ですか」
「仮にあなたの言うように、古泉も納得はしていないのかもしれません」
「だったら、」
「ですがその本心を知る術も、わたしどもにはないのです。ならばあの子が口にした言葉を受け入れるしかありません」
 それはそうだが……。
「事は既にここまで進んでいるのです。もし古泉の本心が別にあったとしても、その前に拒否することはできました。なのにしなかったのであれば、古泉はこうなることを望んだと、わたしは理解いたします」
「俺は理解を示すことも、納得することもできない」
「してください。今回のことは、他の方々……特に涼宮さんには秘匿しなければならないことです。いずれは明るみになることでしょうが、祝いの席で親しい知人に祝福されないのは、古泉にとっても、お嬢様にとっても辛いことでしょう。あなたが二人にとっての友人であるのなら、せめてあなただけでも祝福していただきたいと思います」
 そう言われては、俺も出てくる言葉を飲み込むしかない。
 森さんが言うように、決めたのは古泉自身なのか。だとすれば、俺が理解や納得をしなくても、当人が「それでいい」と考えたのなら、口を挟むのは余計なお世話ってヤツか。
 納得するしかないのか、俺は。
「すっかり懐柔されちゃってますねぇ」
 俺が妥協の境地に達しようかとしていたそのときに、背後から響いた声。振り向くよりも先に、森さんが俺の視線を遮るように声の主との間に割って入った。
「橘!?」
 森さんの肩越しに見えたその姿は、『機関』と敵対関係にある組織の一員、橘京子で間違いない。俺たちと充分な距離を取っているが、届く声はしっかり聞こえる場所で、妙に楽しそうな笑顔を浮かべて突っ立っている。
「どのようなご用件でしょうか。本日、この料亭は貸し切りとなっておりますが」
 口にする言葉はあくまで丁寧に、けれど響く声音は張りつめた氷が割れるように冷たく平坦に森さんが問いかけると、橘は両手を挙げてさらに距離を取るように後ろへ下がった。
「待って待って、待ってください。あたしは別に、何かをしに来たわけではないのです。ここは天下の往来ですよ? 普通にお散歩コースじゃありませんか」
「その言葉を信じるには、いささか無理がございますね」
「あら、やっぱりですか?」
 凄惨さを増す森さんを前に、よくもまぁそうもお気楽に笑っていられるものだと、思わず感心しちまうような態度を見せる橘は、それでも挙げた手を下ろそうとはしない。
 どうやらその態度で「何もしない」と言った言葉を証明しようとしているようだが、胡散臭いのは言うまでもない。
「お散歩というのは冗談ですが、何もしませんというのは本当なのです。わたしはただ、釈明をしに来ただけなのですよ」
「釈明?」
 と、俺。何もしない、と言っておきながら、釈明とは意味がわからん。
「でもその前に、ひとつだけお話しておきたいことがあるんですが、いいかしら?」
「聞く耳はない、と言えば?」
「あら、どうして? ただのお話じゃないですか。あたしは別に噺家でもありませんので、喋ってるだけでお金をもらおうなんて思ってません。どうでもいいとおっしゃるのなら、聞き流せばいいんじゃないかしら? それとも……聞きたくない話でもあります?」
 橘は、やけに挑戦的だ。森さんを前にして、余裕さえ感じられる態度を見せている。
 いったい何を知っている? その自信の根拠はいったいなんだ? 佐々木が憶測混じりで言っていたが、九曜と手を組んだことがその態度の表れなのか?
「九曜さん、ですか? ああ、あのことかしら。でも、それは別の話。まったく関係ないとは言わないけれど、今はちょっと関係ないのです」
「じゃあ何なんだ? おまえ、何を知っている」
「今回の、このおめでたい席での裏事情……ってとこでしょうか」
「裏事情?」
 やっぱりか。やっぱりあるのか、この鶴屋さんと古泉の結納話には、ただおめでたい話ってだけではない、裏の理由が。
「鶴屋家のご令嬢が近々結婚するかも、という話はワリと有名な話だったんですよ、この界隈だと。ただその相手が古泉さんでしょう? 古泉さんは『機関』の一員。鶴屋家は『機関』のスポンサー筋のひとつですよね? そういう立場を持つ二人が結婚するなんて、ちょっと不自然かなって思いまして。だってほら、これは当人たちが自分の意思で選んだ相手との結婚とはワケが違うじゃないですか。最終的な意思決定は当人たちにあったのかもしれませんが、その前段階は周りが用意してるわけです。古泉さん自身のことをアレコレ言うつもりはありませんけど、身分という点で言えば鶴屋家のご令嬢の相手として不足しています。なのに古泉さんが選ばれた。さて、どうしてなんでしょう?」
 問いかける橘の言葉に、森さんはその真意を探るように目を細めるだけで、言葉では答えない。
 俺も、橘が何を言わんとしているのか、今はまだわからない。
「では、言い方を変えましょうか? 森さん、単刀直入に聞きますけど、最近の『機関』の懐事情はどうですか?」
 ……懐事情?
「涼宮さんのフォロー体勢を維持し続けるのは大変ですものね。昼夜を問わず、何時に何が起こるかわからない。そのすべてに対応しなければならないのであれば、そこには少なからず金銭問題も絡んでくる。その資金を鶴屋家は提供している。スポンサーという立場ですからね。でも、スポンサーなんですよねぇ。涼宮さんを神として崇めることに異論はない立場であれば、金銭的援助をする際には信者としての布施とするのがわかりやすいと思いません? ある種、涼宮さんや佐々木さんの存在には、宗教的な要素が当てはまるじゃないですか」
 橘は、答えのわかっている問題の解答を教えるのに、わざと勿体ぶるような間を空けた。
「何が言いたい」
「一般的な物の考え方をしてください。例えばテレビ番組とかのスポンサーって、お金を出す代わりに番組の合間にコマーシャルを流して宣伝するじゃないですか。つまり、お金を出す代わりに自社のアピールをする、ってことで、そこには利害関係の一致があるわけです。では、鶴屋家などのスポンサー筋は、『機関』とどのような利害関係があるのかしら? 『機関』に金銭的な援助をする代わりに得るものとはなに? 真っ先に思い浮かぶのは涼宮さんの能力に関することでしょうけれど、『機関』にとって涼宮さんは神に等しき存在。そんな存在を、資金確保の材料に使うはずがありません。だって、あたしたちもそんな真似は出来ませんもの。立っている位置は違えども、同じ境遇のあたしたちならわかります。では他に、『機関』が持つ、他にはないものとは?」
『機関』にあって一般的にはないもの? それは……ええと、一高校の生徒会長を決める選挙で解散総選挙にかかる対策費用を投入できるような潤沢な資金か? それとも、シリコンバレーからインゴットを取り寄せて水素燃料ロケットの手配までできるような幅広いコネクションか? いや、結局のところ、それも『機関』に協力するスポンサーあってのことだろう。
 そういうことではなく、予め『機関』が有しているひとつの価値。それは──。
「超能……力、者?」
「ですね」
 俺が呟いた一言に、橘は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「全世界に十人程度しかいない、涼宮さんの閉鎖空間へ自由に出入りができて《神人》を倒す能力を持つ人。その稀有な能力を持つ人材を確保しておけば、『機関』を介さずとも閉鎖空間や《神人》の調査を行えます」
 何故なら、古泉のような能力者だけが自由に自分の意思で他人を閉鎖空間に招き入れることができるから。
「世界を作り替える閉鎖空間は、言い換えればあらゆる可能性を内包した世界。今後、仮にその世界の原理をこの世界にひとつの技術として実現できれば、得られる利益は図り知れません。そうでなくても資源の少ないこの国ですからね、人的資源はそれだけで貴重です。そして『機関』は、その希少性の高い存在を元にスポンサーとのパイプをより太くしておく。理にかなった話ですねぇ」
 つまり……橘の言い分だと、古泉は『機関』の資金確保のために身売りされた、ってことになるんじゃないのか?
「すべて憶測です」
 森さんは、その一言で橘の話を断ち切った。
「ええ、憶測です」
 橘は、森さんの言葉を認めながらも、それでも平然としていた。
「ただ、ここ最近の『機関』周辺で動いているお金のことをですね、ちょこっと調べてみたわけなのですよ。蛇の道は蛇と申しますか、そういうことを調べるのはウチでもできますので。多額の金銭が動くとなれば、どうしても痕跡が残りますから、ワリと簡単に辿ることが出来ました。その結果、『機関』の懐事情があまり芳しくないと見ましたが、さて、どうなんですか?」
「だからと言って、我々はそのような手段を用いてまで、資金調達を行おうとはいたしません」
「ええ、森さん自身はそのようにお考えなのかもしれませんね。でも他の人たちは? 『機関』上層部の他の人たち全員が、そのようにお考えなのかしら?」
「どうなんですか、森さん」
 橘は、自分の話を憶測だと言っている。そもそも、こいつが言うことを鵜呑みになんてできるわけがない。ただ、理にかなった話でもある。端から嘘だとかデタラメだとか一蹴できる話でもない。
 もし、こいつの言うことが本当だとすれば、冗談じゃない。鶴屋さんも古泉も、周りの都合でいいように利用されているだけじゃないか。
「そのようなことはない……と、わたしは信じて、」
「信じる信じないの話じゃないだろっ!」
 申し訳ないが、森さんの考え方が論点になってるわけじゃない。鶴屋さんと古泉の結納に、そんなくだらない周りの思惑が付きまとっているのかいないのか、その事実関係をハッキリしてくれと俺は言ってるんだ。
 もしここに、橘が言うような理由が絡んでいるのなら、俺は認められない。納得も理解もできない。
「森さん、前にも、さっきも言いましたよね? 俺に二人を祝福してくれと。でも、裏でそんなふざけた思惑があるのなら、たとえ二人が納得ずくの結婚であっても、俺には祝福することなんてできない。できやしない。だから、どうなんですか? こいつが言ってたことが本当なのか嘘なのか、はっきりさせてください」
「それは……わたしにも、わかりません」
 わからない? 森さんでも把握してない話なのか? それとも今になってなお、惚けているだけなのか?
 何なんだ、いったい。これは何だってんだ? 森さんも把握してない状況の中、二人を結婚させようってことなのか? ふざけるのも大概にしてくれ。
「俺は、鶴屋さんを連れて帰ります。あの人を、こんな茶番に巻き込むわけにはいかない」
「お待ちください」
「今になってもまだ、二人を結婚させようってんですか」
「そうです」
「何故? こんな茶番に、二人を巻き込んで、それでもいいと森さんは言うつもりですか」
「わたしは『機関』の一員です。もしこの結納にわたしがあずかり知らぬ思惑があろうとも、なかろうとも、今のわたしの役目は今日という日を無事に終わらせることです。その邪魔をするというのであれば、あなたであっても見逃すことはできません」
 そう言って、森さんは冷ややかな眼差しを俺に向けてくる。
 つまり……わかりやすい言い方をすれば、「鶴屋さんを連れ出すなら自分を倒してから行け」とでも言うつもりか? そんなマンガ的展開にしちまうつもりか?
 勘弁してくれ。そんなこと、俺にできるわけがない。力づくでかなうかなわない以前の問題として、森さんと敵対することなんてできるわけないだろ。
「えー……あたしの話がまだ終わってないんですけど、お二人とも、ちょっといいでしょうか?」
 と、呑気なことこの上ない発言をしたのは橘だった。おまえ、まだいたのか。
「失礼ですね。まだいますよ。そもそも、あたしの本題は今の話じゃありませんから」
「じゃあ何だってんだ」
「最初に言ったじゃないですか。あたしは釈明しに来たんですよ」
 ああ、そういえばそんなことを言ってたが……。
「あなたが鶴屋家のご令嬢と古泉さんの結婚が認められないように、あたしたちの組織も今回のことは見過ごせないわけですよ。だってほら、ウチの敵対勢力がスポンサー筋と強固なパイプを確保してしまうわけじゃないですか。そうなると、資金面での格差が開いてしまいますものね。だから当然、邪魔しようと思っていました」
 こいつ……涼しい顔してそんなことを考えていたのか……って、いました? 過去形の話なのか?
「ええ。実はそのぅ、それよりももっと厄介なことが起きてしまいまして。何故、彼女が……と、あたしも疑問に思うところなのです。ただ、どうにも面倒事になってしまう気がしましたので、そうなる前に片を付けたかったんですけど……残念ながら失敗してしまいまして。もしかすると、この場に現れるんじゃないかと思っているわけなんですよ」
「……何の話だ?」
「九曜さんの話です。数日前、あたしがあなたの前に現れたことで、あなたが佐々木さんと連絡を取ることは予想してました。実際は逆だったのかしら? なんであれ、佐々木さんはあたしが九曜さんと協力して何かしてると思っていたのかもしれませんが、そうじゃありません」
「だから、何の話なんだ?」
「これからのことは、あたしはもちろん、あたしが属している組織も関わりないことです。そのことを『機関』の皆様にご理解いただきたいと思いまして、こうやって訪ねてきたのですよ」
 橘が言わんとしていることがまるで理解できずにいる俺だが、そうしていられたのは俺の耳に爆音らしき音が聞こえて来るまでだった。
「なんだ!?」
「ああ……やっぱり」
 頭を抱えそうな嘆息混じりの声で、橘が呟く。今の爆音の原因を知っているのか、こいつは。
「ごめんなさいです。本当にあたしは、あなたに面倒をかけるつもりも巻き込むつもりも、毛頭なかったんですよ」
 そんなことはどうでもいい。今の音はなんだ? 何をした!?
「ですからあたしも、あたしの組織も何もしてません。だいたい、あたしを問い詰めるより、実際に見た方が理解もしやすいと思いません?」
「くそっ」
 悪態一つ、俺が動き出したときには、森さんはすでに料亭内に駆けだしていた。俺は橘をこのまま見逃していいのか迷ったが、森さんが先に向かったせいか、理由もなく遅れちゃならないと思ったんだろう。
 いったいどこで何が起きているのかわからない。ただ、音が聞こえたであろう方向に向かって駆け込めば、そこは料亭の中庭に通じる廊下だった。
 先に中に駆け込んでいた森さんが、そこに立ち止まっている。顔は、中庭に向けられていた。
「いったい何が、」
 と、続く言葉が出てこない。
 そこで俺は、森さんも見ているであろうその姿を目の当たりにする。
 中庭に佇む人影。それが、先ほど響いた爆音を巻き起こした張本人なのかわからない。
 ただ、そこにそいつがいることが、まるで信じられなかった。今こうして目の当たりにしてなお、自分の目が信じられない。
 そこにいたのは周防九曜? いいや、違う。九曜じゃない。あの姿は九曜と似ても似つかない。
「お……まえ……」
 朝倉涼子が、そこにいた。