【Respect redo】吉村美代子の憂鬱 六章

 お風呂場から逃げ出したわたしは、とにかくため息の連続です。本当に妙なことになったとしか言えません。どうして周防さんからラブラブ光線を受けなければならないのかさっぱりです。さっぱり何ですが……うーん、それでも少し、去り際に見た憂い気な表情が気に掛かります。
 突然のことにわたしも気が動転していたっていうのがありますけれど、やっぱり逃げ出すような真似はせずに、しっかり話し合って、ちゃんとお断りすればよかったのかしら……? いやでも、下手に甘い顔を見せると、そのままずるずるいっちゃうこともありえるわけで……あーうー、何がなんだかさっぱりです。
 こういうときは一人で思い悩むよりも誰かに相談したい……ところではあるんですが、今ここにいるのはロクでもない人たちばっかりです。唯一まともなのは佐々木さんだけかもしれませんが、ところがどっこい佐々木さん、実はあまり頼りにならないという事実が発覚しちゃっているので、相談できそうにないのが困りものです。
「……ん?」
 部屋に戻るのも躊躇われ、あれこれ考えながら宿の中を適当にウロウロしていたわたしですが、なんだか今、妙な音が聞こえたのは気のせいでしょうか? まるで何か大きなものが戸板にぶつかったような音です。
 ……あれ? でもこの宿には、わたしたち一行と朝倉さんと喜緑さんペアしかいないはずですよね? 従業員もロクにいない、なんていうか少し豪華な山小屋ってレベルのとこですし。
 え? じゃあ今の音って何ですか? こんな山奥で泥棒はないだろうし……また何か、猛獣の類というのであれば勘弁してください。あるいは幽霊や物の怪ですか? 一番確率が高いのは、わたしの聞き間違いってことですけど……。
 がたたたんっ!
 なんて、聞き間違いとは思えないほどの大きな音が聞こえて来れば、やっぱり何かいるってことです。いることは間違いないわけで、えーっと、それじゃいったい誰? この宿の管理者は……確か、橘さんの個人的な繋がりのある……ええっと、組織の人、でしたっけ? でもそれらしい人がいないわけですから、じゃあ今この宿の責任者は橘さんということになるんでしょうか?
 うわぁ、自分の責任を果たすことを放棄しちゃいそうな、無責任な責任者だなぁ。
 仕方がありません。こうなったら現場に居合わせたわたしが確認するしかなさそうです。ええ、そんなことせずに気付かず過ぎ去ってもいいんですけど、何故でしょう、どっちにしたってロクなことにならない気がします。
「誰かいるんですかぁ〜……」
 それでもやっぱり、少し怖いですよ。びくびくしながらドアを開けると──。
「ふんむむむっ! ふんむーっ!」
「ひやあっ!」
 それはそれはおぞましい怪音を発しながら、室内から転がり飛び出してきたその物体に、条件反射でかかと落としを炸裂させそうになりました。幸いにしてわたしの足は部屋から飛び出してきた物体をかすめて、板張りの廊下を凹ませたくらいの不発に終わったんですけど。
 あとにして思えば当たらなくてよかったぁと思うんですけど、そのときはさすがに驚きが前に出ていたもので、仕方のない反応だと思ってください。
 部屋から飛び出して来たのは、ロープで円筒状に丸められた布団の塊でした。でも、それが……なんて言うんでしょう? 某球団マスコットみたいな動きをしてるんですよね。まるで巨大な芋虫みたいで、かなりその……はい、正直キモいです。
「な、何これ……?」
 この宿では、布団が勝手に飛び跳ねるんですか? わたし、今晩は寝袋で寝ちゃおうかしら……なんて思いながらも引きつった目を向けていれば、何やら人の頭らしきものがありまして、タオルを猿ぐつわ代わりに噛まされているその顔は……ええっと……。
「ああ、藤原さん?」
「んふむっ! ふむぅっ! ふぐぐぐぐっ!」
 すみません、いったい何を言いたいのかさっぱりです。そういえば、橘さんが藤原さんを「スマキにしてリネン室に放り込んでいる」とか言ってましたが、事実そんなことをされていたんですね。てっきり冗談……だと、今では思えませんが。
「あ、少し待ってくださいね」
 さすがにこの格好は人権侵害になるんじゃないかなーとか思いまして、見つけてしまった以上は救出するのが善良な市民の義務だと思うんですよ。
「大丈夫ですか?」
「っぶはっ! はぁはぁはぁ……」
 何やらとても苦しそうに見えたので、猿ぐつわをはずして上げると案の定、肩で息をするようにぜーはー言っちゃってます。大変でしたね。
「こっ、この現地民! 発見してからいつまでボーッと見ている!? とっととこれをはずさないか!」
 ……なんでしょう、この尊大な物言いは。もしやこれがあれですか、世間一般で言うところのツンデレってヤツなんでしょうか?
 すみません、わたしはその方面には疎いもので、どういう対応を取っていいのかわかりません。このまま猿ぐつわを噛ませて元通りに戻して置いた方が、デレが出やすいものなんでしょうか?
「あーっ! 待て待て待て、待ってくれ。いや、すまん。僕もこんな状況で少し気が立っていたと思えなくもないかもしれないと考えられるかもしれん。まずはロープをほどいてくれ」
「えー……でも橘さんに怒られそうな気がするんですけれど」
「いや、大丈夫だ。問題ない。そんな目先の些末なことなど気にするな。僕がそう言うのだから間違いない」
 なんと言うか、必死ですね。よっぽど酷い目にあったんでしょうか? いえ、スマキにされてリネン室に放り込まれているってのは、確かにヒドイ状況ではありますけれど……いや、少し待ってわたし。
 なんだか橘さんやら周防さんやらに囲まれて、もしかして自分の常識度がおかしくなっちゃってるような気がします。藤原さんの憤慨して救いを求めるような態度が当たり前ですよね?
 おや、もしかすると藤原さんは、数少ない常識人ということになるんでしょうか? なら、ちょっとした相談をするのに最適な人?
「ちょっと聞いてくださいよ藤原さん」
「……キサマは僕の今の状況を差し置いて話したいことでもあるのか」
「わたしのこれまでの人生で、大ピンチな出来事なんですよ〜。さっきのことなんですけど……」
「おい、現地民。あー、吉村美代子とか言ったか。どうでもいいが、この布団を縛り付けているロープを先にほどかないか?」
「なんかですねー」
「人の話を聞け」
 聞いてますよ。聞いてますけど、少しは女性を立たせる器量の良さをみせてくれたっていいじゃないですか。そんな口うるさい人はですね、男女を問わずモテないもんですよ?
「さっきのお風呂場でのことなんですけど、どうもわたし、周防さんに好意を寄せられているんですよ。どうしたらいいでしょう?」
「あいつがあんたに……好意だって? はっ」
 藤原さん、わたしの話を聞いてぽかーんとした顔を見せたかと思えば、次の瞬間には大爆笑です。頭に来るくらいの大爆笑で、これはつまり、そのままリネン室とやらに放り込んでおいてくれという合図ですね? はい、わかりました。
「うおーっ、待て待ってくれ! 別にあんたの話をバカにしているわけじゃない。そんなことはあり得ないと、そういう意味だ!」
「あり得ないって、どういう意味ですか?」
「そのまんまさ。あいつが人に興味を持つだって? それも好意だと? そんな高尚な感情などあるものか。どうせあんたの勘違いだろうさ」
 勘違い……なんですか? うーん、どうなんでしょう? わたしはまだ周防さんと知り合って日も浅いですけど、藤原さんはそうではないんですよね? その藤原さんがそう言うのなら……そうなのかしら?
 それなら、お風呂場でわたしに「話がある」って言ってた周防さんのお話って何だったんでしょう? あれれ?
「おい、そんなことよりもこれを早く、」
「おー、自力で脱出しちゃったのですか」
 一刻も早くスマキ状態から脱出したかった藤原さんの言葉を遮って飛んできた声は、誰であろう、橘さんでした。
「だっ、だから早くロープをほどけと言ったじゃないか!」
 そんなこと言われても。
「何をごちゃごちゃ言ってるんです? そんなことよりも藤原さん、あなたにとてもとても重要な役割が出来てしまったのです。そういうわけで逝きま……もとい、行きましょう。あ、吉村さんもご一緒に。さささ、行きますよ!」
「え? あ、はぁ……」
 いったい何事ですか、橘さん。泣き叫ぶ勢いの藤原さんを、スマキのままゴロゴロ頃がしてどこに持って行くつもりですか。そもそもあなた、夕飯の準備をしてませんでしたっけ? ということは食事の準備ができたのかしら?
 スマキの藤原さんは橘さんにそのまま担がれているわけですが、男の人としてその姿はまったくもって情けないの一言に尽きると思います。仮にわたしが男の人だったら、そのまま海に捨ててくれと言いたくなっちゃうような、男のプライドをズタボロにするようなお姿でした。
 そんな藤原さんを引き連れて橘さんが向かったのは、わたしたちが借りているお部屋だったわけで、がらりと開いた襖の奥には、旅館にあるような座敷用の黒長いテーブルに鍋のセッティングをしている佐々木さんの姿と、窓辺の椅子に腰掛けてボーッとしている周防さんの姿がありました。朝倉さんと喜緑さんはいないっぽいです。
「あの二人はただいま料理中なのです。先にこちらができたので、それじゃ食べてましょうとなりまして」
 大声で文句を怒鳴り散らす藤原さんを軽やかにスルーしながら、何事もなかったかのように説明してくれる橘さんはさすがだと思います。
「でも橘さん、味付けした僕が言うのも何だが……本当に食べるの、これ?」
「食べるために作ったんじゃありませんか。そういうわけで藤原さん」
 鍋の前にスマキの藤原さんをどすんと置いて、ニッコリ爽やか笑顔の橘さん。くるくる巻きのロープをほどいて、ようやく開放されたわけですが、少なくともわたしの目には開放されているように見えないんですけど。
「ご賞味あれ」
「………………」
 ありゃ、藤原さんったら固まってますよ。その気持ちはわからなくもないんですが、せめて何かおっしゃった方が後々の身の安全を確保できるのではないかと……僭越ながら心の内で思います。思うだけで口に出したりしませんが。
「先に聞いておこう。……これはいったい何の真似だ?」
「あら、いやだ。見たまま、感じたままで正解だと思うのです」
 それはつまり、何も悪いことをしてないのに罰ゲームを受けるってことなんでしょうか? いえ、それはわたしの主観での意見ですので、藤原さんもそう感じているのかどうかは解りませんけど。
「鍋があるな」
 そうやら藤原さん、現実を受け入れられないみたいです。言うまでもない事実確認なんて始めちゃいました。
「その通りですね」
「この位置だと、僕が食べることになりそうだ」
「いぐざくとりぃ」
「……で?」
「いいから喰え」
 それはそれはこの世の終わりみたいな表情になっちゃってます。同じことを言われたら、わたしだってそういう顔をしちゃうかもしれませんね。
「喰えるんだろうな、これは」
「ご安心ください、味付けは佐々木さんにお任せしております」
 それなら確かに安心です。佐々木さんなら、少なくとも本能の部分で拒否反応を示しそうな味付けにはしないはずですから。何より、漂う匂いはそんなに悪くありません。むしろ、食欲をそそるような匂いですね。
 匂いだけは、と改めて強調させてください。
「味付けと言っても、調味料が味噌くらいしかなかったからね。オーソドックスな味にしかなっていないはずさ」
「それはいいんだが」
 ぐつぐつと音を立てている鍋を前に、箸を手に取る藤原さんはついに観念したんでしょう。鍋の中に箸を入れて、キノコらしきものを持ち上げました。
「この……イタリア系の名前を持つヒゲおやじが食べると、巨大化しそうな色合いのキノコは本当に喰えるんだろうな?」
「食材の選出はすべて橘さんだよ。僕は味付けしかしてないので……さて、どうだろうね。あいにくサバイバル的な知識の引き出しが少ないもので、自生しているキノコや山菜が果たして本当に食用なのか非食用なのか、その判断は棚上げさせてもらおう。わかっているのは橘さんだけだと思うけれど、実際のところはどうなんだい?」
「ご安心ください。ばっちりです」
 あー……すみません、わたしだったら、食べることは丁重にお断りさせていただきたく思います。自身満々の橘さんほど、信用できないものはありません。
「……この肉は、何の肉だ?」
「熊肉だね」
「熊……」
 うーん、メジャーな食材ではありませんから、藤原さんの目つきがゲテモノ料理を見るようになるのも致し方ないかと。
「そうそう、僕のかじった知識で申し訳ないが、熊の筋肉の中には旋毛虫と言う、それはそれは人体に悪影響を及ぼす寄生虫がいることもあるそうだよ。生食は控えた方がいいと思うのだが、ちゃんと火は通ってるかな?」
 それを今、言いますか。何気に佐々木さんもブラック・ストマックな方なんですか?
「改めて聞かせてくれ。どうして僕が喰わなければならんのだ」
「これは勝負なのです。勝負というものは、まったく関わりのない第三者の公正な判断の下に決着が付くのですよ。どぅーゆーあんだすたん?」
「ひとつだけわかったのは……何故だろう、自分自身にロクでもない役割が降ってきたということだけなんだが」
 その判断は的確すぎて素晴らしいと思います。
「いいからとっとと喰えです」
「………………」
 据わった目つきの橘さんに背中を突かれて、ついに観念したのか藤原さんが箸でつまみ上げたのは……うーん、あまりにも生々しい原形をとどめている熊の手でした。わたしにとっては一気に食欲がなくなる見た目です。これ、ビジュアル的にかなりヤバいです。他のみなさんはよく……その、直視できますね。
「ささっ。そのままかぷっと、男らしくダイナミックに!」
 そんなことで男らしさを見せられても胸がきゅんきゅんすることは、まずあり得ないと思います。少なくともわたしはときめかないですけど。
 でもあれですね、男女関係なく、一度箸をつけたものは最後まで食べなさいと言われて育ったわたしです。藤原さんには申し訳ないんですが、全員の興味津々な周囲の目線は、逃げ出すことなどできそうにありません。
「ええい」
 あ、凄い。本当に食べちゃいました。食べたと言うか、かぷっとかぶりついた段階で固まってますけれど……えーっと、大丈夫ですか? 生きてますか?
「あの……藤原さん?」
 待つこと一分。さっぱり動かない藤原さんに、さすがの橘さんも不安になったようで声をかけた……んですが、その途端、箸を置いてがばっと立ち上がり、そのまま室内からだだだだだっと走って──。
「逃げたね」
「────逃げ────た────」
「逃げちゃいました」
 そりゃ逃げますって。
「みんな、おまたせーっ」
 藤原さん逃亡のその直後、襖から顔を出したのは、これまた鍋を手にした朝倉さんでした。鍋を持っているということは、どうやらそちらも料理が完成したみたいです。えーっと、ボタン鍋でしたっけ?
「うん、そう。けっこう美味しくできたと思うけど、どうかな?」
 さっき凄まじいものを目の当たりにしたばかりですから、なんと答えていいのか悩むところです。それで、ええっと朝倉さんの後に続いて室内に顔を見せた喜緑さんですが、その手に引っつかんでいるのはもしかして。
「はっ、離せええええっ」
「あらあら、何やら不審者がおりましたので引っ捕らえておりますけれど、そちらのお知り合いですか?」
「会ってるだろう! 喫茶店で!」
「申し訳ございません、そのときに貴方とお会いしたのは、ご自身でお人形だとおっしゃってませんでしたか?」
 喜緑さんに襟首を鷲づかみにされてバタバタ暴れる藤原さんですが、喜緑さんったらニッコリ微笑んだままで、ぴくりとも動じません。
 もしかして藤原さん、喜緑さんの気に障るようなことでもしたことがあるんでしょうか? だとしたらご愁傷様としか言えないんですが。
「されで、この方にわたし共の料理を食べさせるということでよろしいんでしょうか?」
 微笑んだままで問いかけてくる喜緑さんに、おののくような表情を見せる藤原さん。もう、不憫で不憫で仕方ありません。
「ええ、たらふく食べさせてください」
 まったく、ひどい人たちばかりです。
「この人殺しーっ!」
「何をおっしゃいますか。むしろこれは喜ぶべき状況じゃありませんか。こんな美少女たちが、あなたのために料理を作ってるんですよ? これはまた、感涙にむせぶくらいで丁度いいものです」
 はっはっは、うまいこと言いますね喜緑さん。にこやかな笑顔のまま、定位置に連れ戻した藤原さんの両肩を押さえつけて逃げられないようにしているのはさすがです。
 さて、そんな喜緑さんの魔の手から逃れられずに連れ戻された藤原さんの今の心境は、はたしてどのようなものなのか、人生経験の浅いわたしでは想像すらできません。ただ、その表情から推測するに、針のむしろで正座させられているようなものだと思われます。
 救いを求めるように、捨てられた子犬のような目をわたしや佐々木さんに向けてきますが、そそくさと視線をはずすことしか、わたしにはできません。
 ただ、佐々木さんくらいになれば、暗に「死んでくれ」と笑顔で語れるのは流石だと思います。
「調味料がロクなのなくて、鍋と言うよりは豚汁みたいになっちゃった」
 そう言いながら、おののく藤原さんの前で髪の毛が邪魔にならないようにポニテに結い上げた朝倉さんが、まるでメイドさんのような手際の良さでお椀に豚汁やらをよそって行くわけですが……ひぃ、ふぅ……何故、五人分あるんでしょう。
「え? みんな食べるんじゃないの?」
 何をそんな、意外そうな表情を浮かべているんですか。犠牲になるのはやはり殿方の役割であって、わたしたちはその姿に涙を流して「さらば、友よ」とか言いながら新たば冒険に旅立つのがセオリーじゃないですか……え? 本当にわたしたちも食べなきゃダメなんですか?
  喜緑さんがニコニコと、それはそれは楽しそうな笑みを浮かべて料理をよそって……わたしはもちろん、佐々木さんや橘さんの前にも差し出して来ているんですけど。
「美味しいですよ」
 ええ、確かに喜緑さんが自信を持って言うように、見た目は美味しそうです。豚汁とおっしゃってたからスープはさっきの熊鍋よろしく味噌ベースで、具材も……えーっと、ボタン肉? と、これは……ゴボウ、かしら? それだけのシンプルさです。
「本当に調味料も何もないんだもの。そのゴボウだって、自生しているのをたまたま見つけたから入れただけ。そうでなかったら、捌いて焼くだけになっちゃってたかも」
 別に朝倉さんの料理がどうのとか、そういうことじゃないと先に言っておきますが……それならそれで、ブタの丸焼きならぬ猪の丸焼きでもよかったんじゃないかと思います。、先ほどの熊鍋の悪夢がある以上、そう考えるのは健全ですよね?
「ささ、召し上がれ」
 召し上がれ、と言うのが朝倉さんですから……うーん、そうですね。わたしも少しは覚悟を決めて口を付けたかもしれません。でも喜緑さんじゃあ……その、なんと言いますか……はっきり申し上げますと、信用なりません。
「…………」
「…………」
「…………」
「────」
「うぅ……」
 わたし、橘さん、佐々木さん、周防さんの突き刺すような視線が藤原さんに注がれます。誰かが犠牲にならなくちゃならないのなら、それはやはり男の役目。今の世の中、なかなかないシチュエーションですよ? 男女平等が叫ばれる今、こういう状況でも男だ女だと言ってられないのかもしれませんが、我が身を犠牲に女性を守る男の人の姿は、やはりステキなものじゃありませんか。わたしが男だったら、是非とも変わってもらいたくなるような見せ場です。
 まぁ、残念ながらわたしは女ですし、男になれるものでもありませんので、守られる立場に甘んじるしかないわけで。
「ええい、くそっ!」
 自分を棄てると書いて自棄と読む、とはよく言ったもので、今の藤原さんがまさにそれでした。先ほどの悪夢が蘇ったのか、猪肉をつまみ上げた箸先がぷるぷる震えていましたが、そこはさすがに男の子。清水の舞台から飛び降りるような勢いでかぶりつき──。
「お」
 わたしの予想では、今度こそ藤原さんは卒倒するものだと思っていました。でもそうはならなくて、その表情は驚愕に包まれています。
「これは……不本意だが……なかなか美味い」
「ほほう」
 藤原さんの安否を確認した上で、佐々木さんと橘さんが続いて口を付けて……こちらもこちらで虚を突かれたような表情を見せました。
 一人だけならまだアレですが、どうやら佐々木さんも橘さんもご無事のようです。それならとわたしも口を付けてみましたが……あら、即席の調味料で作ったはずなのに、なかなか美味しいです。
「なによ、もう。そんな食べられない味付けにするわけないじゃない」
 朝倉さんは呆れ半分、憤慨半分な態度でそう言いますけど、さっきの今で疑心暗鬼と言いますか、どうしても「ヤバいものだっ!」って先入観があったんですよ。決して朝倉さんの料理の腕前を疑ってたわけじゃありませんて。
「これでも料理は毎日やってるもの。インチキなしで得意なんだから」
 料理でインチキってのがなんなのか解りませんが、どうやら朝倉さん、料理に関しては一日の長があるようです。
「ええ、そうなんですよ」
 ニッコリ笑顔の喜緑さんが、まるで我が事のように得意げです。
「朝倉さん、毎日律儀に長門さんのお食事のお世話をしていますからね。わたしも安心して見ていられるというものです」
「つまり、喜緑さんは何も手出ししてないということなんですね?」
「ええ」
 ああ……それでまともな味なんですか。納得です。
「何か?」
「いえいえいえ、なんでもないです。はい」
 その笑顔を前に、いったい何が言えるでしょう。自己防衛本能のあるまともな生物なら、何も言えやしませんよ。
「でも、寄せ集めの調味料でよくこれだけの味を出せますね。侮り難しです」
「ふふふん」
 得意満面、自信満々の朝倉さんですが、その態度もこの料理を前にすれば納得できるもの。うーん、これって料理勝負でしたっけ? 少なくとも、あの熊鍋に比べれば月とすっぽん、まさに雲泥の差ってヤツです。
 これはもう、朝倉さん勝利でいいんじゃないでしょうか。
「よかったですね、朝倉さん。お誉めの言葉を頂けて。苦労して猪を仕留めた甲斐があったというものです」
 そういえばこの猪、朝倉さんがナイフと鉈の二刀流で仕留めたんでしたっけ。
「ええ、それはそれは見事な手際で。嗚呼、今も瞳を閉じればそのときの光景が浮かんできます。うっそうと木々が茂る森の中、対峙する朝倉さんと巨大猪。突進と旋回を繰り返す猪の間合いを巧みに取り、要所、要所で的確な一撃を食らわせて弱らせて行く手法はなかなかなものでした」
「ちょっとそれ、どこか語弊がありそうな言い方ね」
「いえいえ、そんなことはございませんよ。まさに朝倉さんのスタイルに合わせたやり方と申しましょうか。本当に楽しそうで、ご自身が気付いていらっしゃったのかどうか解りませんけれど、口元が三日月になってましたよ。また妙なスイッチが入っちゃったのかしら?」
 その「やり方」という言葉に漢字を当てはめれば、もしかして「殺り方」って事なんでしょうか。
「あのね……」
「そういえば」
 何か言いたそうな朝倉さんをあっさり無視して、喜緑さんったらまだまだ何か言いたいことがあるようで。
「あの猪は子連れだったんでしょうか? 周囲にうり坊がおりましたね。ぴーぴー鳴いておりました。にもかかわらず朝倉さん、そのご立派な眉をぴくりとも動かさず、一寸の躊躇いすら見せずに仕留めましたね。あの子たちは、果たしてどうなることやら……。今、皆様が美味しく召し上がっているお肉には、そういうドラマがありまして」
 それはまた……この豚汁、美味しいことは美味しいんですが、どうにも箸が進まない鬱々とした話ですね……。
「どんなに文明が発達しても、やはり自然世界は弱肉強食ということなのでしょうか。諸行無常とはよく言ったもので……あの猪およびうり坊は滅する命であるということなのでしょう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……あら? 皆様、箸が止まっておりますよ。ささ、どうぞどうぞ」
 そんな生々しい話を言っといて、にこにこと食事が続けられるわけないじゃないですか。わたしだけじゃなく、佐々木さんも橘さんも、藤原さんだって凹んだ表情で箸を置いちゃいましたよ!
「────おかわり────」
 周防さん……あなたは色々な意味でさすがです。
「はてさて、残るは吉村さんだけですね」
 余り食べていないのに、喜緑さんの鬱々とした話を聞いて箸を置いたわたしに向かって、そんなことをおっしゃいます。
「もうこれで充分じゃないですか。明日もあるんですから、それまで取っておいた方がいいんじゃないですか?」
「いえいえ、この料理は勝負のための手段。不戦勝でも構いませんが、それはそれで不本意ではありませんか?」
 いいえ、まったく──と、言えるなら言いたいところですが、どうやら場の空気はそれを許してくれなさそうです。
「じゃあ……作ってきます。周防さん、行きま」
「────行って──らっしゃい────……」
 ……食べることでいっぱいいっぱいですか。


 食べることに夢中な周防さんを連れてくるのは無理ぽいので、仕方なく一人で台所にやってきたわたしです。
 そこで作るものと言えば、焼き魚しかないでしょう。山の中で捕って来た材料が川魚ですから、串でも刺して塩をまぶして焼くくらいしか調理方法が思い浮かばないんですけど……それでいいのかしら?
「どれどれ吉村さん、調子は如何です?」
 取れたてピチピチの生魚を前に、じゃあ頑張るかと気合いを入れたところにやってきたのは、橘さんでした。
「助っ人で参上です」
「えぇ〜……」
 助っ人って……本当に助けになるのか大いに疑問を感じちゃうわけです。あなたの場合は参上して惨状を振りまくだけじゃないですか? ホントのホントに大丈夫なんですよね?
「お任せあれってもんです。で、何を致しましょう」
「えーっと、じゃあ魚からハラワタを出してくださいな」
「えぇ〜……あたし、そういうのはちょっとニガテです」
「……じゃあ、三枚に下ろしたり、とか」
「どうすればいいんでしょう?」
「…………」
 果たして、これほどまでに助けにもならない助っ人が存在したでしょうか。
「ええっと……何ができるんですか?」
 先にこれを聞いておくべきでした。呆れつつも尋ねてみれば、橘さんはぷるん……と、言うほどでもないですが胸を張りまして──。
「味見ができます」
 なんて言い切っちゃいました。だったらさっきの熊鍋の味見はしたのかと問いたい。問い詰めたい。
「帰ってください」
「冗談じゃないですかー、遊んでくださいよー」
 んもう、こっちは料理しなくちゃならないんですから、遊んでる場合じゃないんですよ。そんなに遊びたかったら……そうですね、喜緑さんと遊んでもらえばいいじゃないですか。
「吉村さん、何をトンマなことをおっしゃってるんですか」
 トンマ……そんな言い方をする人が、実在することにちょっとビックリです。これがカルチャーショックというものなのかもしれません。もしかして橘さん、年齢詐称とかしてませんよね?
「ピチピチの高校二年生に対して何をおっしゃいますか。この卵のようなつるつるぷるんなお肌に対して謝罪と賠償を求めちゃいます。その焼き魚でよろしいので」
「で、何がトンマなんですか?」
「吉村さん、スルースキルがあっという間に高くなってつまんないです」
 それはいいですから。
「よろしいですか? 喜緑さんも朝倉さんも、何もわたしたちと仲良しというわけではないのです。前にもお話したかと思うのですが、あの二人は我らがきょこたん団の敵、その先兵なのですよ」
 ああ、そんなどーでもいーような設定がありましたね。わたしはすっかり忘れてましたし、朝倉さんや喜緑さんの態度を見ている限りではそういう風にも見えないですけど。
「ちっちっち。そうやって懐柔されてはダメなのです。笑顔で握手を交わしながら、足下では蹴り合うのがまっとうなライバルというもの」
 そんなライバルはこっちから願い下げですよ。
「現実とは得てしてそういうものですよ? まぁ、ともかく、あの二人が敵だということをお忘れなく」
「お忘れなくと言われてもですね、忘れないで何をすればいいんですか? そもそも、いったい何がどういうことで敵なんだと、橘さんは言いたいんですか?」
「あれ? 話してませんでしたっけ?」
「聞いてませんよ」
 確か聞いてない……と思うんですけど、どうだったかしら? 橘さんの話はいつも右から左だったもので、それらしいことを言ってても聞き流しているような気がします。
「仕方ないですね、ではお話しましょう」
 そんなもったい振るような態度をするなら、無理に聞かせてもらわなくても。料理の準備で忙しいんですから、わたし。
「えっと、話を聞いてください」
 そんな泣きそうな顔しなくても。
「あー、はいはい。ちゃんと聞いてますよ。ささ、どうぞどうぞ」
「今から四年前、この世界は佐々木さんが作り出したのです」
「……へぇ、そうなんですか」
「まぁ、理解が早いですね」
 や、理解も何も橘さんの話が本当のことだと端から信じてないわけでして。
「それで、ですね。あたしは佐々木さんから何かしらの力を授かったのです。まぁ、素晴らしい。その力を観測するために、宇宙からは周防さんが現れ、その力が時空間に変異を及ぼすことを知った藤原さんが未来からやってきたのです」
「じゃあ、あの二人は宇宙人と未来人ですか。すごいですねー」
 えっと、魚をさばくときって、背中から捌くのが海魚で、腹から捌くのが川魚だったかしら? 何かそういうやり方があったと思うんだけど、うーん、しっかりお母さんから教えてもらっておけばよかったなぁ。
「あの、聞いてます?」
「え? ああ、はいはい。それで橘さんは、どんな力があるんですか〜?」
「あたしには超能力があるのですよ。はい、ここ驚くところー」
「わぁ、すごいなー」
 はぁ、疲れますねこれ。
「もうすぐ料理できますから、待っててくださいねー」
「いえあの、料理の話ではなくてですね……」
 んもー。まだ引っ張りますか、あなたは。
「じゃあ、どんな超能力なんですか? はい、これでいいですか?」
「物凄い適当ですねー。んーとですね、佐々木さんが作り出す閉鎖空間と呼ばれる異空間に入ることができます」
「なんですかそれは?」
「何と聞かれましても……」
 いやいや、あなたが言ったことじゃないですか。自分の発言には責任を持ちましょうよ。
「えーっと、佐々木さんの内面世界? みたいなものですね」
「じゃあ橘さんには佐々木さんの考えが、まるっとお見通しなんですか?」
「や、そういうわけでもないんですが……」
 自分で言っておいて、こっちからのツッコミにはことごとく口籠もるとはどういう了見ですか。
「あのそれ、どう考えても超能力ではなさそうなんですが」
「あ、言っちゃった。言っちゃいましたね? あたしを全否定ですか。吉村さんのひとでなしー」
 この人は……。もしかして、料理をしているわたしの邪魔がしたいだけなんじゃないでしょうかね? 今の状況だと、朝倉さんや喜緑さんより、あなたが敵に見えて仕方ないですよ。
「超能力が使えるのなら、それらしいことをしてみてください。はい、どうぞ」
 仕方ないので、宿の備品のスプーンを橘さんに渡しておきました。これで少しは静かにしていてくれると大助かりです。
「なんか吉村さん、お母さんが小さい子供をあしらうような真似してますね」
「わたしより年上の子供なんていりません。それを曲げることができたら話を聞いてあげますから、大人しく良い子で待っててくださいね」
「むぅ」
 はぁ、やれやれ。橘さんの戯れ言に付き合ってたせいで、調理時間が余計に掛かっています。まぁ、あとは塩をまぶして火に掛けるだけですけど。
「あのですね、吉村さん」
「あ、そろそろですから、もう皆さんのところに戻っててください。すぐ行きますから」
「いや、ですから」
「はいはい、あとでちゃんと遊んであげますからね」
「んん……っ! もうっ! あとで泣いたって知りませんからねっ!」
 スプーンをぽいっと流し台の中に投げ捨てて、橘さんったらぷりぷり怒って行っちゃいました。手伝いに来たんじゃなかったんですか?
 あらかじめ言っておきますが、スプーンが曲がっているようなことはありませんでした。やっぱり超能力なんて使えないじゃないですか。ねぇ?
「……あれ?」
 橘さんが増やした洗い物を片付けているときに気付いたんですが……このぐんにゃり曲がってるフライ返しは何なんでしょう?


 釣った……というか、周防さんが強引な手段で捕まえた魚のはらわたを取って、串に刺して塩を振って火にかけて……という感じの、何て言うんでしょう? アユの塩焼きっぽい感じに魚を調理してみました。
 もっとも、この魚がアユかどうかは解りませんし、串刺した塩焼きの作り方も知らないわたしです。食べて食中毒になったところで責任は持てませんし、早い話が生きるも死ぬもあなた次第、という投げっぱなしなのは言うまでもありません。
「……普通だな、見た目は」
 我らが毒味役、藤原さんの第一声がそれでした。
 それはもう、普通ですよ。普通に決まってるじゃないですか。それとも何ですか? 青とか緑とか、どうやって作り出したのかもわからないような怪しげな調味料が絵の具のようにてんこ盛りの魚料理がよかったとでも言っちゃいますか。
 そういうのがいい、とおっしゃるのであれば予め言っていただかないと。もっとも、それは藤原さん専用にしてわたしは一口も食べないように隔離しますけど。
「何を言う。この僕が褒めてやってるんだ。今までが今までだったから、安心しての言葉だぞ。感激したまえ」
「はぁ、そうなんですか」
 それは暗に、今までの料理は「喰えたもんじゃねぇぞこらぁ」と言ってるんじゃないでしょうか? わたしでもそう思うわけですから、他の皆さん(除く周防さん)も気付いてるようで、うーん、張りつめた笑顔? みたいなものを一様に浮かべてますね。くわばらくわばら。
「では藤原さん、食べてみちゃってください」
 爽やかな笑顔とは裏腹に、素晴らしい殺気を充満させている橘さんが促します。それに気付かない藤原さんは、きっと早死にするタイプでしょう。
 これまでの戦々恐々とした態度とは違い──それでも警戒しているようではありますが──串焼きの魚を手にパクッと食べてくれたんですが。
「……うーん」
 何ですか、その態度は。言いたいことがあるなら言えばいいじゃないですか。
「いや、不味くはない。どちらかと言えば美味いと評していいだろう。だが、何というか……普通、としか言えないな」
「では、あたしたちも試食タイムということで」
 そんな藤原さんの横から、橘さんを初め、他の人たちも手を伸ばして一口。
「ああ……うーん、確かに普通ですね」
「新鮮な魚に塩をまぶして焼いただけだし、素材の味は出ているね」
「だから美味しいことは美味しいんだけど」
 あのぅ〜……その、何て言いますか……確かに作った手前、美味しいと言ってもらえるのは嬉しいですし感激です。逆に不味いという意見が皆無なのは、わたしとしても喜ぶべきところだと思います。
 でもそのぅ……手放しで感激しろとは言いませんが、もっとこう、ストレートな意見をいただけると有り難いんですが。
「ああ、なるほど。わたし、解りました」
 最後に焼き魚に口をつけた喜緑さんが、どうやら他の人の煮え切らない態度の理由に思い至ったようです。それは是非、わたしも聞いておきたいところです。
「吉村さんの料理は、これ一品で完結していないんです。例えるなら、主役をより格好良く見せるための斬られ役、絵画を華やかにする額、そういう料理なんですよ」
「えぇ〜……」
 それはそれで、何か寂しさを覚えてしまうんですが……。
「いえいえ、卓越した脇固めができていてこそ、メインが映えるというものです。それをこれから証明してさしあげましょう。少々、お待ち下さいな」
 そう言った喜緑さんは、そそくさと部屋から出て行きました。わたしが作った料理を持っていなかったところを見ると、料理そのものに手を加えるわけじゃなさそうですし、かといって台所で別の料理を作りに行ったようでもありません。
「お待たせいたしました」
 はやっ! もう戻ってきちゃいました。その手には……うーん、水ですか? 透明な液体をコップにたぷたぷと注いで、人数分持ってきてるんですけど。
「さささ、これを飲みながら食べると、吉村さんの料理の真の味が解ると思いますよ」
 その前に、その液体の正体を白状してください。
 まぁ、メインで食べるのは藤原さんの役割ですから、先に藤原さんが飲むというのであれば深く突っ込んだりしませんけど。
「……ああ、なるほど。確かにこれだ」
「でしょう?」
 あれ? どういうわけか藤原さん、ご無事ですよ? それどころか、喜緑さんが持ってきた……えっと、お水……なのかしら? それを飲んでいるせいなのか、わたしの焼き魚もパクパク食べてます。
「何なんです? それ」
 わたしが抱く疑問は、当然橘さんや佐々木さんも思ったんでしょう。喜緑さんに尋ねています。
「では皆様も」
 差し出されるがままにコップを受け取り……あれ? ちょっと待ってください。この真水と似てはいるものの微妙に違う色合いに、鼻孔をくすぐる香りは……ええっと。
「ちょっと喜緑さん、それってもしかして」
 おそらく誰もが気付いているでしょう。その中でも、代表して朝倉さんが喜緑さんに尋ねてくれました。
「ご安心ください。日本の名水百選にも選ばれている水と、発酵させた米をブレンドさせた健全かつ健康的な飲料水です」
 世間ではそれを日本酒と言うのではないでしょうか。
「あらあら、でもこれは」
 ……その一升瓶、いったいどこから持って来たんですか。
「わたしが所属している北高の生徒会会長が、ご自身の机に大切に保管されていたものを拝借してきただけですよ? まさか高校の生徒会会長が法に触れるようなものを、校内に持ち込んでいるわけがございません」
 いえそのぅ……ラベルに、ですね? こう、アルコール度数15%って書いてあるように見えるのは、わたしの錯覚ですか?
「中身がそうであるとは限らないじゃないですか」
「そうじゃなくても、疑わしい中身は高校生は口にしちゃダメでしょ。吉村さんなんて小学生なんだから、ダメったらダメよ」
 まるで優等生っぽいことを口にする朝倉さんですが、その意見に異を唱える口なんて、わたしにはありません。朝倉さんの言うとおりです……って、あの。
「……うふ」
 何やらカラのコップが三つくらい転がってるんですけど……充血させた上で眠そうな目つきをしている橘さん、中身を知りませんか?
「吉村さん。いやー、吉村さん。いいですか、あまりですね、そんなこと、ええと、ですから気にしちゃーダメなのでぇす」
 うわっ、酒くさーいっ! 人の肩に手を回して、顔を近付けないでください。
「そんなね、あなた小学生じゃないれすかぁ。ちょっとわぁ、ぼーけんしましょーよ〜ぅぃっ」
 よ〜ぅぃっ、って何ですか? どこの国の言葉ですか。そもそも橘さんだって、まだ高校生なんです。ぴちぴちですよ。ぴちぴちの未成年です。お酒なんて飲んじゃダメじゃないですか。お願いですから人に絡まないでください。
「うぅ〜……」
 今度は何ですか……って佐々木さん、もしかしてあなたもですか。何であなたは泣いてるんですか。
「それがさぁ、聞いてよ吉村さん。キョンのヤツ、中学を卒業したら途端に連絡も寄越さなくなって……ひどいのよ〜っ。うわーん」
 うわーんて、泣きたいのはこっちですよ。何を普通の女の子みたいな態度になっちゃってるんですか。
 なんて言うか、いろいろ気になるところはありますが、それよりも何よりも、せめてあなただけが最後の砦だと思っていたのに。
 これで何ですか、周防さんは……って、寝てるし。横になって自分の髪の毛でくるまって寝てるし。その長い髪は上掛けか何かだったんですか。
 藤原さん? ええ、あの人はずっと黙って飲んでますよ。飲むと静かになる人みたいですが、黙々と飲み続けて何が楽しいんですか。
「きっ、喜緑さん! 何でお酒なんて持ち込んだんですかーっ!」
「ですから、吉村さんの料理はそういうものだと」
「え?」
「つまり」
 はぁ〜っ、とため息を吐いた朝倉さんは、喜緑さんが言いたいことがわかっているようです。
「吉村さんの料理は、酒の肴にぴったりってことね」
 そ、それはまた……小学生や高校生ではピンと来ない味ってことですか?
「それにしても皆さん、お水を飲んだだけで随分と陽気になられるんですね」
「あ〜ぁ……わたし、知らないわよ」
 唯一シラフでいる喜緑さんと朝倉さんですが、どうやら橘さんと佐々木さんに絡まれているわたしを助けてくれる気はないようです。
 橘さんの言うように、やはりこの二人、いろいろな意味で敵なのかもしれません。