【Respect redo】吉村美代子の憂鬱 三章 |
どうもこの順番は、テンションの高低差を表しているように思えます。
先陣を切って歩く橘さんは愛と勇気だけが友だちとばかりに大手を振って元気一般ですが、続く周防さんは自動追尾ではあるものの背筋に定規でも入れているかのようにピシッとしてます。そして最後尾を歩くわたしは、子泣き爺でも背負っているかのように猫背になっているのは言うまでもありません。
「さぁ、行きますよ!」
思うんですけど、こういう鼓舞のような掛け声に「ちょっと待って」と言えば待ってくれるんでしょうか? 試してみたいと思う気持ちはありますが、実践してもスルーされるのがオチのような気がします。どうやったらこの人に、こっちの言うことを聞かせることができるようになるんでしょうか。
「来ましたね」
妙にだだっ広い旅館の遊戯室で待ちかまえていたのは、言うまでもなく朝倉さんと喜緑さんでした。特に朝倉さんは、周防さん強襲のショックから立ち直ってるみたいで一安心……なんですが、妙に睨んでます。あ〜……あれって怒ってますよねぇ。
「よくぞ逃げずに来たものです。そのことに関しては褒めてさしあげましょう」
卓球のラケット片手に、ニッコリ微笑む喜緑さんはどこか挑発的でもあります。対する我らが橘さんは──。
「あたりまえなのです。あたしたちは逃げも隠れもいたしません」
と、凛々しい事を言いつつ、わたしの背後にそそそっと隠れるのはやめませんか?
「あなたたちのような先兵に、団長たるあたしが直接話すことなどありません。あとはこの、吉村さんを通していただきましょう」
「……え?」
ちょっ、ちょっと待ってください。何これ? もしかして、新人OLさんにはよくあると噂される、お局様のイジメか何かですか?
「わかりました」
いや待って。ホント少しでいいから考えて答えましょうよ、喜緑さん。あなたが挑戦状を叩きつけたのは橘さんであって、わたしじゃないですよね? 何かおかしいなぁ〜って思いませんか? 思いませんか、そうですか。
「えっと、それで何をして遊ぶんでしょうか……?」
「遊びではありません」
いや……そのぅ、ビシッとラケットを突き刺してきてもですね、わたしが言うべきことは「ごめんなさい」くらいしかないわけでして……。
「この戦いは! 愛と、勇気と、三日間の食事準備を賭けた真剣勝負なのです!」
……食事準備……?
「ほら、この宿は基本自給自足じゃないですか」
わたしの背後に隠れている橘さんが、補足説明とばかりにこそこそっと耳打ちして来ました……けど、だったらあなたが相手をしてあげればいいじゃないですか。
「面倒だから、負けた方が準備しようと決めまして」
……なんでしょう、一気に次元の低い話になったような気が……。
「そういうわけで」
ごめんなさい、言われる前に言っておきます。どんなわけですか?
「負けた方がこの三日間の奴隷となるのです。下僕です。人権侵害と言われようが、ここは治外法権発動区域です。勝てば満貫全席、負ければバナナ。生死を賭けたデスマッチですよ」
バナナて。何故バナナ? なんですか、ここはどこですか。ホンジュラスですか。
「勝負は卓球一本勝負。シングルでの一騎打ちで、サーブ権は五点ごとに交代制といたします。先に二〇点先取した方の勝ち。ただし、デュースありとします。また、途中のメンバーチェンジは自由にできるとしましょう。いかがですか?」
「ええっと……」
いまだかつて、わたしの拒否権が正しくは発動されたことはなかったように思います。そもそも勝負と言って、そちらから卓球を選択してきたってことはですよ? もしや自信があるんではないでしょうか。
橘さんや周防さんの腕前がどれほどのものか解りませんが、わたしはサッパリなんですけど……。
「解りました、お受けいたしましょう!」
わっ、ビックリした。人の背後でこそこそしてた橘さんが、急に自信満々ですよ。
「ふっふっふ、こう見えてもあたしは、かつて卓球少女きょこたんと言わていたのです。町内会のちびっ子大会で優勝した腕前なのでご安心ください」
なんて地域密着の秘密情報。それがどこまで自慢できる話なのかは別として、聞いたところで感嘆の声を上げる気になりませんし、いったい何をどう安心すべきなのか教えてください。
「あたしがまず行きましょう。リーダーとしての実力をまぁ、見ていてください」
おーっ、なるほど! それは確かに安心です。橘さんがこの遊戯室ではじめて、自ら率先して前に立ってくれています。
この時はじめて橘さんが輝いて見えました。よっぽど自信があるんですねぇ。じゃあ、わたしと周防さんはプリクラでも撮って……ああ、きょこたんプリクラしかフレームなしなんですか? じゃあ……いらないです。
「では、こちらはわたしから」
どうやら相手は喜緑さんが先に立つようです。それにしても……さっきから朝倉さんがわたしを見ている……といいますか、睨んでる? ように思えるのは気のせいですか?
ともかく。
サーブ権はコイントスで決定。裏を選んだ喜緑さんチームに渡りました。
「あたし一人で充分なのです。かかってらっしゃい!」
「あらあら、自信満々ですのね。それでは、わたしは一球で勝負を決めてみせましょう」
……一球? 勝敗は二〇点先取じゃなかったですっけ?
そんな疑問をわたしが口にする前に、試合開始です。浴衣の袖をたくし上げ、妙に堂に入った構えからピンポン球を高くトスした喜緑さんは──。
ばしゅん!
「ふぎゃっ!」
どっしーん! ころころころ……。
ええっと……これはまた、なんと言えばいいのか……。
わたしが目で追えて把握できていることは、喜緑さんが撃ち込んだ……もとい、打ち込んだピンポン球が、物凄い勢いで橘さんの額を直撃。食らった橘さんは倒れて悶絶……ってとこでしょうか。
「あらあら、手元が狂ってしまいました。何分、卓球をするのは初めてなもので」
うそうそうそ。それ絶対うそ! 今のは間違いなく狙って額に打ち込みましたよ!
「それにしても、昔の人はよく言ったものですね。卓球は格闘技だと……あら? それはテニスだったかしら? 何分、古いコミックからの情報ですのでご勘弁くださいませ」
いやいやいや、スポーツですから卓球は。
「ともかく……これで一人脱落ですか? あらあら、選手の交代は自由に行ってかまいませんよ。交代なさるのでしたらどうぞ」
こ、交代って……わたしじゃとても。ここはやはり周防さんが……って、インベーダーゲームやってる場合じゃないですよ! 名古屋打ちはナゴヤって形にインベーダーを倒すことじゃありませんから!
「うぅ……よ、吉村さん……あとは……た、頼む……がく」
こ……この人、ホントにいろいろそのぅ……ダメです。
「あら、そちらは吉村さんが出るんですか? それなら朝倉さん、交代します?」
「ええ」
あ、向こうは喜緑さんから朝倉さんに交代ですか。あの殺人サーブじゃないだけ安心……なんですけど、えっとそのぅ、なんですか朝倉さん。その剣呑な目つきは。さっきのことで怒ってらっしゃるなら、睨むべき相手は周防さんだと思うんですけど……。
「あ、あの……朝倉さん?」
「残念よ、吉村さん。ええ、本当に残念。あなたとは……そう、友だちになれるかもしれないって思ってた。でも、すべては遅すぎたのね……」
何ですか、その自己陶酔に入っちゃってるようなモノローグは……。
「いやあの、初めに言っておきますけれど、わたしは何も橘さんたちの仲間とかそういうことではなく……」
「そんなことはどうでもいいの」
そう言って朝倉さんが卓球台の上にぽんっと投げ置いたのは……ええと、手作りっぽい同人誌……かしら? 何かよくわかりませんけれど、とりあえず読めってことなんでしょうか? なんだか内容が多岐にわたっている本ですね。
「その中に、彼の名前があるでしょう?」
「え?」
誰のことだろうと思って目次を見たら、ああ、お兄さんのことですか。へぇ、これお兄さんが高校で作った文芸誌なんですね。
「って、何これぇっ!?」
お、お兄さん……これあの、なんでよりにもよって……一昨年の映画を見に行った時のこと書いてるんですか。しかも何ですか、この書き方は。いえ、自慢っぽく書いてくださるのは……ええっと、正直嬉しいような、恥ずかしいような……いえいえ、それはともかく、人様に晒すような真似はしなくたっていいじゃないですかーっ!
「さっき、喜緑さんに教えてもらったわ。ホント、そんなことも知らなくて、わたしったらすっかりピエロね……」
いやその、ちょっと待ってください? このときは本当にただ、わたしがご無理を言って映画に連れて行っていただいただけで、それ以上は何もなく、それ以降もこれといって何も起こらずですね……。
「吉村さん、あなたを今ここで倒し、彼はわたしがいただくわっ!」
うわーっ、この人も他人の話に耳を貸さない人なんだー。
「さぁ、覚悟してちょうだい!」
なんだかアブない人みたいな目の輝きで、朝倉さんがやる気満々でラケットを構えちゃいました。
うぅ〜……これはどうすることがベストかしら?
やる気満々の朝倉さんを前に、こういう状況ならば受けて立つのが健全なのかもしれませんが、世の中が予定調和のお約束事ばかりで回ってるわけじゃない、ってことを齢十二歳で理解しているわたしです。やる気に水を差すようで申し訳ないのですが、この卓球勝負の勝敗で何故にお兄さんを賭けて戦わなければならないんでしょう?
そもそも、肝心なお兄さんの許可は取ってるんですか?
「あら、吉村さん。そうやっていろいろ言い訳をして逃げるつもり? わたしにとってもそうだけど、あなたにとっても敵は目の前にいる相手だけじゃないのよ。彼の周りには、つねに数多の敵が存在するわ。その一人一人を完膚無きまでに叩き潰し、その心臓に愛しのナイフを突き立てられるのは、ただ一人! その第一戦目が今のこの戦いよ!」
いやあの、心臓にナイフじゃ即死させちゃいます。せめて彼のハートにキューピッドの矢を、とでもしときましょうよ。……それでもかなり恥ずかしい言い回しですけど。
「そんなのよくないわよ! 感触が楽しめないじゃない!」
感触って何の感触ですか。
「ともかく、行くわよ!」
えええ、早速試合開始なんですか? わたし、本当に卓球なんてほとんどやったことがなくて……ええとその、せめて練習を……。
「問答無用! 受けてみなさい、某野球マンガをヒントに編み出した魔球! 中国超級リーグボール一号!」
えええっ? なんで中国? そりゃ確かに卓球の世界大会にそういうリーグ戦があるみたいですけど、他にもヨーロッパチャンピオンズリーグとかスーパーリーグとかあるじゃないですか。
「ていっ!」
「ひゃああ」
カコン(朝倉、バックサーブ)。
パコン(ミヨキチ、カット)。
こーん、こんこんこん……(朝倉側コートの角に弾かれ、ボールが地面に落下)。
「……あれ?」
なんかあっさり返せちゃったんですけど……どこが魔球?
「朝倉さん」
観戦していた喜緑さんから、冷ややかな声。
「一号って、必ず当たる魔球じゃありませんでしたか?」
「……あーっ」
あーっ、ってあなた……だから適当に振っても打ち返せたんですか。卓球じゃ、そのぅ……意味なくないですか?
「やるわね、吉村さん」
や、わたし何もしてないですし……。
「けど、油断するのは早計だわ。魔球は三号まであるのよ!」
「へ、へぇー……凄いですね……」
「んもう! 今度はもっと凄いの! 消えるんだからね!」
そ、そうなんですか。そんな勝ち気な子が口喧嘩で言い負かされてるわけじゃないんですから、涙目にならなくていいですよ。
それよりも、打つ前に種明かししちゃったことを嘆くべきじゃないですかね? どうでもいいですか、そういうことは。
「気を取り直していくわよ! 中国超級リーグボール二号!」
だからどうして中国……えっと、いいです、はい。もういいです……。
ギュッとピンポン球を強く握り、今度は何やら真面目な朝倉さんは、高くトスするや否や、渾身の力を込めて振り抜き──。
ッバアアァァァァン!
……へ?
な、なんかそのぅ……何ですか今の破裂音は? 台の上に粉みじんになって散らばっているセルロイドの欠片は!?
「ふっ……」
なんでこんな非常識なことしておいて鼻で笑えるんですか、あなたは。
「どう吉村さん? 球が消える以上、打ち返せないでしょう!」
いやあのちょっと待って。消えるって言うよりも、今のは……ええっと、台の上にボールを叩きつけて炸裂させてませんか? 違いますか? それを『消える』と言い張るんですかあなたは。というか、そんな真似ができるなんて何者ですか?
「初めからこっちの魔球を使っておくべきだったわ。さぁ、喜緑さん。新しいボールをちょうだい!」
「渡すのは構いませんが」
先ほどよりもさらに冷ややかな声音の喜緑さんは、ピンポン球を指で弾きながら陰鬱な笑みを浮かべてまして……。
「このボールが最後の一個なので、破裂させたら試合の続行ができなくなるんですけれど」
「……えぇっ! ちょっ、ちょっと〜っ、なんでもっと用意してないのよ」
「知りませんよ、そんなこと。そもそも、あっという間に無くなるような消耗品じゃないんですから、こんなしなびた宿に何百個もボールがあるわけないじゃないですか」
「まったく使えない宿ね!」
あのー……朝倉さん? 怒る方向性が間違ってませんか? そこで怒るよりも、この勝負の根本にある炊事係という役割を、ですね? 客にやらせるなっていうところで怒りましょうよ……。
「こうなったら最終手段よ。最後の魔球はわたしの体にかかる負担も大きいため、できることなら使いたくなかった……」
じゃあ使わないでください。
「でも! ここまで来たら後に引けないのよ!」
自分で自分を追いつめてませんか?
「いくわよっ! 中国超級リーグボール三号!」
もうね、なんと言いますかね、オチは読めているんですが、やっぱり最後まで付き合うべきなんでしょうか?
普通にボールをトスして、フォアサービス。打ち出された球は、超スローボールで台の上を滑るように転がり……ええっと、どこをどう突っ込めばいいですかね? 魔球二号のときに言っておくべきだったのかなぁ……って思いますけど、そんな暇がなかったわけで。
「さぁっ! 最後の魔球は絶対に打てないボールよ! あまりの遅さにラケットの風圧でボールが押されて当たらないんだから!」
「あのぉ……その前にですね」
自信満々な朝倉さんにこんなことを言うのは、とても心苦しいんですけど……あくまで卓球での勝負を挑んできたのはそちらであって、その申し出を受けた以上はあくまで卓球で遊びたいと思うのは……健全ですよね? だから言っちゃいますけど……。
「ボールを……ですね。その、何と言いますか……まず自分のコートでバウンドさせてませんよね?」
魔球二号も、いきなりこっちのコートに打ち込んでましたし。
「それって、どう考えてもファールだと思うんですけど……」
「……えっ?」
あのぉ……もしかして朝倉さん、卓球のルール知らないんですか? 喜緑さんみたいに、いきなり相手にボールを直撃させて撃沈させる遊びじゃないんですよ?
「えっと……そうなの? 喜緑さん」
キョトンとして喜緑さんに確認を取る朝倉さんは、どうやら本当に卓球のルールを知らないみたいです。
「……ふっ」
聞かれた喜緑さんは、何故か鼻先で笑っちゃってます。
「バレてしまえば仕方ありません。さすが吉村さん、こちらの弱点を見抜くとはさすがとしか言えません」
まったく褒められた気がしないんですが……。
「朝倉さん、弱点を見抜かれた以上、あなたはひとまず引きましょう。これをしっかり熟読しておいてください。その間は、わたしが何とかいたします」
何やら小学生低学年向けの『よい子の楽しい卓球〜入門編〜』なる総ルビっぽい本を朝倉さんに投げ渡し、相手は選手交代です。
なんと言いますか、「これで負けたわけじゃないんだからね〜っ!」と叫ぶ朝倉さんが、とても可愛らしく見えます。
「さて、吉村さん。わたしは朝倉さんとは違いますよ」
ええ、ラケット片手ににやりとほくそ笑む喜緑さんに比べたら、まだまだカワイイものですよ。あの目はヤッチマエって目です。狩人が牝鹿にライフル銃を構えているときの目とそっくりです。そんな目を見たことありませんが、たぶんそうです。
「ご安心ください、一撃で沈めて差し上げますから」
いやいやいや、だからですね、そろそろちゃんと卓球やりましょうよ。そもそもあなたも卓球のルールがわかってるんですか?
「大丈夫、動けない選手はその時点で棄権扱いですから」
殺る気……もとい、やる気マックスな喜緑さんを前に、そろそろ逃げ出してもいいんじゃないかと思えてきたわたしです。いまだに橘さんはノビてますが、これはもう、ほっといて問題なしだと思います。いくらなんでも、卓球で昇天するのは……なんと言いますか、あまりにも情けない最後だと思うんですよね。ああはなりたくないです。
「では、参り……ん?」
「うん?」
今まさに殺人サーブを打ち込もうとしていた喜緑さんですが、わたしの背後に視線を注いで動きを止めました。
ふっふーん、そんなフェイクで欺されるわたしじゃありませんよ。気を逸らした隙に打ち込んで来るに違いありませ……あれ?
「──────」
袖が引っ張られる感覚を覚えて振り向けば、わたしの真後ろ、それこそ吐息が掛かってきそうな位置に周防さんがヌボーッと立っていました。近いですって。
「な、何ですか?」
ごめんなさい、わたしはいたってノーマル趣味なので、気配を消して背後に立たないでください。おまけに浴衣を着ていると、まるで髪が伸びる呪いの人形みたいですよ? 夜中だったら間違いなく悲鳴を上げてますって。
「何かご用ですか? 今、大事な勝負の真っ最中なのですけれど」
せっかくのやる気を削がれてご不満なんでしょう、喜緑さんが注意っぽいことを口にするんですけれど、それをちらりと横目で一瞥するだけで周防さんはガン無視しちゃってます。そして何より、わたしに差し伸べているその手は何を意味してるんでしょう?
「────百円────」
「はい?」
「────ちょうだい────」
……もしかして、今の今までずっとゲームやってたんですか? それに何ですか、百円て。しかも頂戴って。今さらインベーダーゲームに百円って高すぎとか思いませんか?
「────違う────」
「何がですか?」
「────ギャラガ────」
似たようなものじゃないですか。
「ええっと、今、わたし財布持ってなくて……あ、確か部屋に橘さんのお財布がありましたよ。その中から適当に持って来ちゃったらどうですか?」
「────そう──……」
答えた周防さんは、まるで夢遊病患者のような足取りでふらふら〜っと遊戯室から出て──。
「お待ちなさい」
行こうとしたところ、喜緑さんが呼び止めました。
「大事な勝負の最中に水を差して、そのままで済むとはお考えではありませんよね?」
「──────」
「いつぞやの喫茶店での一幕もございましょう。今ここで、白黒はっきりつけませんか?」
どうやらこの二人には、何かしらの因縁があるようです。もっとも、それを気にしているのは喜緑さんの方……かしら? 言い出したからというのもありますけど、表情を見る限りでは、今までとそうは変わりません。そして何より、周防さんなんて何事においても興味なしですからね。聞いているのかいないのか、って感じです。
ただ、足を止めているってことは聞いていると思うんですけど……?
「ちょっと喜緑さん、やめときなさいよ」
よい子の楽しい卓球〜入門編〜を体育座りで読んでいた朝倉さんが、顔を上げて口を挟んできました。何をやめておけと言いたいのかわかりませんが、わたしとしては今のこの状況を交代してくれるせっかくのチャンスなんです。やめろだなんてとんでもない。
「何をおっしゃいますか、朝倉さん。この方、喫茶店でわたしの腕を鷲づかみにしたんですよ? それもかなりの力で。アザになってしまって、三日は消えなかったんですから」
「それは聞いてるけど、不用意に接触を試みた喜緑さんの不注意じゃない」
「痛かったんですよ」
「いや、でもね」
「痛かったんです」
「……そんな涙目にならなくたって……」
喫茶店で腕を鷲づかみって何ですか。何かの修羅場だったんですか? あなたを殺してわたしも云々ってヤツですか? 皆さん、大人ですね。間に挟まれた方は、さぞかし大変だったことかと。心中お察しいたします。
「いずれ付けねばならない決着ならば、今こそここで付けましょう。それとも、卓球のルールはご存じありませんか? まぁ……ずいぶんとおっとりしてますものね、わたしにはできますけれど、あなたには無理かしら」
周防さんの態度をおっとりの一言で片付けますか、喜緑さん。それよりも何よりも、卓球のルール云々に関してはあなたも人のことは言えない気がするんですけど。
「──────」
そんな喜緑さんの一言で、何をどう感じたのかわかりませんが、遊戯室から出て行こうとしていた周防さんはそのまま戻ってきて、再びわたしに手を差し出しました。
「えっと……やります?」
頷いちゃいましたよ、この人。しかもなんですか、髪までまとめだしちゃって、いつになく本気です。見た目はぜんっぜん変わってませんけど、もしかして喜緑さんの言葉を挑発と受け取ったんでしょうか?
どちらにしろ、わたしにしては願ったり叶ったりです。喜緑さんの殺人サーブなんて食らいたくないですもの。
「じゃあ……ええっと、怪我しないように、気をつけてくださいね」
卓球で怪我するなって言い方もどうかと思いますが、周防さんは素直に頷き、卓球台を間に喜緑さんと対峙します。その姿はなんと言いますか……やる気があるのかないのか、さっぱりわかりません。
「覚悟なさいませ。おでこに一週間は消えないアザを作って差し上げます」
や、それって卓球での対戦相手に言うべき台詞じゃないですよね? そもそもピンポン球でアザを作るって。どんだけの力で打ち込むつもりですか。
「では、参ります」
まるで賭場の姐さんみたいな台詞です。自分の目線くらいまでピンポン球をトスして──ぶぉん、っと風圧を感じるほどの勢いで打ち込みました。もう容赦なしです。でたらめです、この人。
「ひえぇっ!?」
ばちん、とか、ばしゅっ、とか、そんな音が聞こえたときには、喜緑さんが打ち込んだはずのピンポン球が、その喜緑さんの真後ろで体育座りで本を読んでいた朝倉さんの足下で煙を上げながらしゅーしゅー音を立ててました。
「──────ふ────」
笑った! 今、周防さんったら鼻で笑った! うわー、初めて見た。いえ、見たというよりも聞いたって感じでしょうか。まとめていた髪もぴょこぴょこ揺れて、得意げに見えます。
でも周防さん。笑うんでしたら、表情にも気をつけましょうね? ふっつーに口で「ふ」とか言っちゃってても、表情がまったく変わらないんですもの。
ところで、いったいいつの間に打ち返したんですか?
「まさか……卓球もマスターしていたなんて……」
あっれ〜? 驚くところはそこなんですか? もうちょっと別なところで驚きませんか?
「うちの朝倉さんよりは上等みたいですね」
何故だろう、朝倉さんに対しても周防さんに対しても、ものすごーく失礼なことを言ってるように思えるんですけど。
「ですが、安心するのはまだ早いですよ。何しろわたしの殺人サーブは、」
「あ、すいません。サーブ権、こっちなんですけど」
わっ、睨まれちゃいました……。だ、だってこういうことは、しっかり言っておかないとダメだと思うんですよね。
「あの、最初に橘さんを沈めたときと、朝倉さんの魔球三球分、それに今ので……その、こっちチームが五点目ですよね? サーブ権が移動すると思うんですけど……」
「いいじゃないですかー、ちょっとくらい〜」
そんなピヨピヨ口でダダこねたってダメです。最初にそういうルールだと提示したのはそっちじゃないですか。
「ま、このくらいのハンデがなければ楽しくありませんね。では、どこからでもかかってらっしゃい」
あくまでも自信満々ですね、喜緑さん。でも、どことなく橘さんに近いものを感じるのは何故でしょう?
「──────」
腰をわずかに落とし、左手でピンポン球を構える周防さん。ちゃんとルールとか知ってたんですね、この人。実は無口なだけで博識なのかも……って、いやいや、卓球のルールくらいは高校生にもなって知らない方がおかしいですよね。他が……えっと、なんて言うのか、ちょっと頼りないから勘違いしそうになりました。
相対する喜緑さんも、どうやら本気っぽいです。ちゃんと様になってますし、顔つきも今までになく真剣です。真面目にできるなら、最初からそうしてください。
なんだか不穏な空気が漂う卓球勝負が始まりそうです。
「──────っ!」
「はっ!」
「────っ!」
「ほっ!」
「──っ!」
「ていっ!」
周防さんと喜緑さんの卓球勝負が始まったのはいいんですが、それはなんと言いますか……うん、人外の対決ですね。
まるでレーザーのように飛び交うピンポン球は、互いが互いにおでこを狙ってるものですから、変なドライブを掛けているのか、妙な角度から急降下したり急上昇しているみたいです。
みたい、っていうのは、そのぅ……目で追えるスピードじゃないって言うか……もしかするとこれは、世界レベルの卓球選手がガチンコ勝負してるんじゃないかって思える打ち合いになってるんです。素人のわたしにはついていけない世界なんですよ。
そもそもですね、どうしてピンポン球を打ち合ってるのに、響く音が『ばきゃっ』とか『ごぎゅっ』とか『べしょっ』ってあり得ない音ばかりなんですか?
「あーもーつまんなーい」
一向に終わりが見えない卓球勝負……と言うよりも、ピンポン球の打ち合いに痺れを切らせたのは、朝倉さんでした。わたしなんて、ただ呆然というか唖然というか、見守るだけで精一杯。口出しなんてできません。
もっとも、朝倉さんも二人の対決に口や手を出すつもりはないようで、そうなると相手をしなければならないのはわたしになってしまうわけでして。
「ねぇ、吉村さん。せっかくの温泉なんだから、ちょっと行ってみない?」
「それには異論ありませんけど……卓球のお勉強はもういいんですか?」
「よくわかんないから」
よく解らないって……あの、小学生低学年向けの本ですよ……?
「それにほら、あの二人が夢中みたいだし。あと三〇分もすればボールが耐えきれなくて破裂するか、どっちかが飽きると思うけど、それまで待ってられないじゃない?」
「まぁ……そうですね」
朝倉さんがおっしゃることももっともです。旅館には付きものと言っても、延々卓球ばかりはしてられません。
「じゃあ……行きましょうか」
「行こ行こ〜」
背中を押され、べきょ、とか、ぼがっ、とか聞こえる遊戯室を後にして……何かひとつ、忘れているような気がするんですけど、結局思い出せないままで温泉へと向かうことになったわけです。
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