2002年度  不登校問題の講演と交流の集い

学びの多様性を求めて


奥地圭子さん(東京シューレ代表)

@定時制高校との出会い

 みなさんこんにちは。横浜というところは私の青春の地でありまして、横浜国大というところにいて、私は当時子どもが好きで学校の先生になろうと思って、親戚が横浜にあるもんですからやって来たんですけども。鎌倉にもちょっと住んだことあるんですが、ここで3年くらい住んでおりまして。この開港記念館は、この横の道を当時花祭りのときに花車というのが出まして、私もたいへん愛らしい娘に花を挿したりドレスを着たりして、車に乗って横を通ったという、それがアルバイトだったんですね。そういうことを思い出しました。

 今日は、定時制の灯を守ろうということで、先生方や親のかたが一生懸命になって活動しておられるその姿に私はたいへん敬意を表しまして、来させていただきました。不登校ということとも関わって存在する定時制というところで私に話が来たのかなと思ってるんですが、確かにたくさんの不登校の子どもたちが定時制に進学して自分にとっての大切な場として活用している、あるいはそこで育って社会人・家庭人になっているということがあるんですが、私はそれだけではなくて、私自身も定時制の実践からすごく学ぶっていうことがあったんですね。それで、その仕事だったら喜んで、ということで引き受けさせていただいたんですが。

 私と定時制との出会いは、自分が高校生のときに、私のいた高校、広島県の瀬戸内海の小都市なんですけども、そこに定時制がありました。60年代の初め頃ですが、私は昼間の生徒だったんですけど、演劇部とか新聞部とか私もいろんな活動やってて遅くなったりするんですが、夕方になると校舎に灯がついてみなさんが自転車でやってきたりするんですね。その風景がとても暖かい感じで、しかもそこに通っておられる生徒さんはかなり年令の高い人も多くて、それはたぶん戦争で勉強できなかったとかいろんなことがあったと思うんですが、それから若い青年たちも働きながらやってくるというかたが多くて、その方々と話したり先生たちと話したりするのもすごく私は、好きだったんですね。

 土日ともなると、その小都市というのは三菱重工とか東洋繊維とかちょっと大手の会杜の工場が5つくらいある町だったんですけど、その勤労青年たちがいろんな文化活動をするのに図書館にやってくるんですね。レコードコンサートがあったり、市民たちで創る劇をやってみたり、人形劇プークが来るからその上演運動やろうなんてやってみたり。そこに定時制の若い青年たちがやってきて一緒にやったんですね。非常に気持のいい青年たちで、私の定時制との出会いはそういうことから始まるんです。


A不登校の子たちは何で定時制が好きか

そして私は、横浜国大のあと教師になります。しばらくは無我夢中でやってるんですけど、どうやって子どもとやっていったらいいか、非常に教材研究の時間は少なくて、思うように授業ができないわけですね。ゆきづまってしまう。一生懸命やればやるほど、校長と対立してみたり、同僚とうまくいかない面があったり、私は親のかたとはわりと仲が良かったんですけど、目の前の子どもと授業がうまくいかないから立ち往生してみたりというふうに、ゆきづまって悩んでいたときに、私は一冊の本と出会うんです。たまたま疲れちゃって熱が出て休んでたときに、前から読もうと思って置いといた「積んどく」本ですよね、そのうちの本がパッと目に入って、それがもと定時制の先生の菅さんというかた、ご記憶のかたいらっしゃいますか、『能力主義をこえて』という本がありますね、定時制の実践の本をはじめて読んだんです。

自分は疲れきって休んでいるわけなんですけど、どんどん目のうろこ取られましてね。私は何にとらわれてたんだろうと思ったわけですよ。定時制の実践、もちろん学校や先生によって違ってたと思うんですけど、その本に書かれていた先生と生徒の心の交流とか人間的な成長というのは、何かを教えて知識をどう身につけるとか学力がどれだけまだ伸びてないとか、そういうことじゃないんですね。非常に人間として魂がふれあえるというんでしょうか、もっと大事なことがあるということを気がつかされて、私はそのあと、その先生に電話をして会ったり直接話をうかがったりしているうちに、私は小学校勤めなんですけど、高校生と小学生の交流が始まって、定時制の文化祭に小学生が行ってみたり、私の小学校に定時制の生徒さんが来てみたりして。お兄ちゃんお姉ちゃん、あるいはおじさんおばさんもいましたけどね。そういう交流のなかで、だんだんに成績競争・管理競争が広がっていく時代のなかで、私はその定時制の実践としっかり交流があったということで、ひとつ大事なことを、皆が表面の枝葉末節なことではなくてやっていこうというふうにできたというのも、定時制高校と出会ったおかげかなと思っています。

ですから、私にとっても大変大切なもので、東京シューレの子どもたちとか、いろんな、地方では特に選択肢がないですからだいたい不登校の子が中学校のあと定時制とか通信制とか高校に行く割合が高いんですけど、定時制に進まれた若い不登校を経験した人たちとも出会いながら、今年も定時制に行こうと言っているシューレの子がいますけど、その中で私は、定時制がどんなふうにいいのかなーということを整理してみて、ずいぶんたくさんありますね。

子どもたちが、特に学校に行かなくなった子どもたちが、何で好きかっていうのはね、わかる気がするんですけど。まずみんなが言っているのは、定時制っていうのはすごく暖かい、非常に居やすいっていいましょうかね、「空気が居やすい」って言った若者がいるんですけど。それって、非常に大事な言葉だと思うんですけど。非常に暖かくて居場所として自分にとって大切だと。そのことは多分、先生と生徒の関係が、一般的な学校教育の中では、違う面があるんじゃないか。


Bいろいろな生徒がいることがいい作用を及ぼす

(定時制では)先生と生徒っていうのはそんなに上下関係が強くないんじゃないか、って印象を私は受けます。先生と生徒の関係が上下関係で、片一方が命令して片一方が従う、片一方に許可をとらないと片一方はできないみたいな一般の学校のような関係にならなかったのは、おそらく、もともといろんな年令が来てたんですね。今はだんだん若い人の割合がふえてますけども。いろんな年令が来てると、中年のおじさん、おばさん、時には自分のおばあちゃんに近いかなという人も来ますね。そうするとね、先生より年が上ですよね、生徒が。それで、そんなに威張っていられないでしょ、先生って。そういう生徒の年令がいろいろであるというのは、すごくいい作用を及ぼしたと思いますね。

その年令が違うというのは、生徒同士の中でも、不登校で自分はだめだ、学校3年間も行かなかったからどうせ俺はうまくやっていけないんじゃないか、みたいな気持で定時制に入ったところが、生きていくのにそんなの問題じゃないなということを示す、おしゃべりしたり仕事の話とか人生の話とか聞いていると、そういうことが一番大事なことじゃないなというのを気がつかされる関係があるわけですよね。いろんな経験をした人、最近では外国の人とか幅が広がっていると思いますが、いろいろな人がそこに存在するということが、定時制の良さを支えてきたと思うんです。

 そして、そういうことともからんで、何より、あまり大学受験のための競争という
のをしにくい場なんですよね。だから逆に、定時制なんか行ってたら大学のいいとこ入れないよと、親が言ったり先生が言ったりする場合があるんですけど、でもそれは、大学受験に勝つとかそういうことだけを考えると、そういうような印象が世の中にあります。でもそれは、逆の良さを示していると思うんですね。競争競争で大学に入るために高校が俗に言う偏差値でどれくらいとれるかみたいなことをいつもいつも考えて、そのための場だとしたら、すごく定時制の現場というのは窮屈で息苦しい場となります。それからきっと空しくなったり、もっともっと定時制に入った意味が感じられなくなったりした方、きっとたくさんいたんじゃないかと思います。幸い、あまり競争になじまない、そこが良かった。

それからですね。私は、あそこにちょっと表を書きましたが、東京シューレをはじめたのが85年なんですけど、その前、63年からずっと学校の教師してたんですね。22年間経験があります。その間、60年代はけっこうのんびりしてたんだけど、70年代から非常に管理と競争の教育が広がっていって、いじめとか校内暴力とか、子どもたちの、ノーサンキューと言うんですかね、反発したりストレスためたものをどっかへ発散しなきゃいけなくなりますから、教師からみたらすごくやりにくくなる、というか、荒れていくというみたいなことが、ずっと出てくるんです。

C定時制の良さは、管理がなくて少人数

けど、70年代後半から、登校拒否が増えてきますよね。そういう中で、管理競争がすごく進んでいくという只中を私は教師をやってて、中学校が一番大変だったですけど、小学校でもそれは及んでくるわけです。手の挙げ方、廊下の歩き方、トイレはどこを何年生が使っていいとか、トイレなんかどこを使ったっていいと思いますけどね。音楽とか図工とか専科のときには、廊下を、廊下ほど安全なところはないのにね、ちゃんと学級委員が並ばせて連れて行かなきゃいけないとか、前の時代にはなかったような管理がどんどん出てくるんです。スカート丈を計るとか、髪の毛は肩までとか、男の子だったら先生が手をこうやってここから髪の毛が出たら校則違反で、ひどい学校はバリカンで刈りましたからね。

そういうむちゃくちゃな中で、定時制高校は、あんまり管理教育が進まなかったんです。といいますのは、年齢がいろいろだと、「おばさんスカート丈何センチだよ」というわけにはいかないですよ。お兄さんみたいな人に「お前は髪の毛の長さをこうしろ」というのは全然合わないですよね。これがむしろ幸いしたと思いますね。息苦しさというものが、一般の中学や高校ですごく進んじゃったんですけど、そのへんもね、幸いにというものでしょうか、定時制は。定時制高校も近頃管理教育、管理的になったねとか、移ってきた先生が前と違うんだよとか、先生方はいろいろ言っていましたけれどね。でも、比べてみれば定時制は緩やかさがあったということがあります。

少人数であるということも、良さの一つであろうと思います。少人数であるということが、心を通わせる、あるいは、一人ひとりの話を聞く余裕がある。まあ、もちろん定時制もどんどんそういう意味では効率化されていくので、十分ではないわけですけど、それでも一人ひとりとつきあう感覚というのは定時制には残っていくというふうに思うんですね。やっぱり、定時制の先生には、さっき言った菅さんとか、佐々木健さんとか、ちょっと本とかいろんなもので知られている先生もいれば、仲間内で知りあっている先生もいましたけれど、先生もね、定時制の先生の方が余裕をもってできる、自分はすごく定時制の先生をやってよかったという先生がいまして、たまに、全日制に移ってみますともうあんなにギスギスした所にいたくないなあといっておられて、やっぱり、先生にとってもだんだん良くなくなっているんだけど、息がつけるような、お互いに「ここで知り合って良かったね」という空間ではあったかなあと思います。

それで一緒に食事をする時間があったり、私が定時制といったら大体ずっと夜のことをさすんですね。この前、今日のちらしを作るのに、伊藤さんとやり取りしていて「定時制っていいよね」という題でどうかしらと話になってきた時に、「夜間定時制と言うふうにしないと、ちょっと伝わらないかもしれない」と伊藤さんがおっしゃったんで「ああ、そうだ今、三部制できているものね」と思ったんです


D夜間であることの良さ

 確かに言葉の意味では、3部制? 朝の定時制も昼の定時制も夜の定時制もあるんですけど、多分、日本の社会の中では定時制っていうと夜という印象が強いと思うんです。東京でも3部制ができてシューレからも行ってますけど。全国的にはずっとずっと夜が圧倒的に多いと思います。

 その、夜やる良さみたいなのがもうひとつありましてね。東京シューレで、不登校すると夜昼逆転する子、多いんですよね。それは、だらしないとかそういう問題じゃないんですよ。もう心理的に、不登校になると、朝、学校へ行かねばならないとか、行くことを期待されている時間って、すごくプレッシャーありますからね。ですから寝てでもやりすごすという形になって。夜はプレッシャーが減るというか、家族さえも寝てくれる、日本中が、夜遅く学校やってないですから、深夜ですよね。そうすると、子どもとしては活動しやすい時間で、音楽聴いたりテレビ見たり本読んだり、いろんなことを夜しやすい。いきおい夜昼逆転するということが結構自然で。ある時、会を通じて調査したら、不登校の6割が夜昼逆転してた。

 最近ではおかしなことに、夜昼逆転を薬で治すとか入院で治すとか医療化してきちゃって、びっくりするんですけど。そういうことではなくって、その子がほんとうに自分がやりたいことが見つかってきたり、アルバイトやりたかったら、最初はちょっと家族が起こすの手伝ったりありますけど、自分で起きていくとか、自然に変わってくるといいましょうか。

 自分のパターンがずっとそうだから、夜昼逆転が調子がいいという子たちもいるわけですよ。ある定時制高校選んだ理由が、その子は、アルバイトをしてから、アルバイトの中で何かもっと勉強したいなと思い始めて、定時制に行こうかなって。勉強ったっていろいろあるわけです、全日制も定時制も通信制もね。その時に彼が言ったのは、ゆっくり起きて、図書館行くくらいの余裕があって、それから学校行けるくらいがいいぜって。自分のパターンにも合ってるし、朝、遅刻するーとか言ってばたばた7時半とか8時とかにやるとか、っていうのは俺には性に合わないから、とてもそれがいいなって言って選んだ子もいましたけど。

 夜から始まる学校があるというのは、非常に選択肢の幅を広げていると思うんです。そういうふうに自分の生活のパターンの中でそれが合っているっていう子もいれば、昔多かったような、仕事しながら定時制を活用するということが、全日制だと夜働きゃいいじゃないっていうのもあるかもしれませんが、アルバイトとか、あとボランティアですね、そういうことをやりながら活用する、ということにも向いているシステムという面があるんじゃないかということで、私は、定時制というのは、ひとつの選択肢として、非常に大切なものだと思っています。


E不登校の子どもたちは、なぜ定時制を求めるか

 定時制に不登校の子がかなり行く、ということがあるんで、不登校の子たちがどうしてそこを求めるのかな。世間の中には偏見があって、全日制が一番まともなしっかりした子たちが行くところで、だんだんに、それができないと定時制、それができないと通信制、それもできないと、通信制とサポート校は一緒ということもありますが、そこを活用するとか、それもできないとフリースクールとか、妙な差別観というんでしょうかね、そういう考え方もありますが、それは全く違うと思うんですね。

 何で不登校の子どもたちが定時制に多く選んで行くかというと、学校のあり方というのにつながっていると思うんです。不登校の子どもたちは何かができないから定時制に行くんじゃなくてですね。そもそも何で不登校の子たちが学校と距離をとり始めたか、というところがたいへん大切で、そういう意味ではさっきのひっくり返しといいましょうか、学校のあり方に対して距離をとるもとになったことが、人によってもちろんいろいろに違うんですけども、私が出会ってきた子たち、うちの子も含めてですけど、いわゆる学校のあり方が非常に画一的であったり、管理的であったり、競争主義であったり、能力主義であったり、そういったあり方の中で、自分らしくやっていくためには距離をとらざるをえなかった、そういう例が圧倒的多数だと思いますね。

 話を不登校とは何ぞやというところに移したいと思うんですけども。そもそも不登校の原因というか、原因は私なんかは根掘り葉掘り聞いたってしょうがない、原因を詮索するということは不登校自体を否定的に見てることだなと思うので、原因が何かということをその子個人にあげつらうというのは、責めているような感じで、それは必要ないこと、子どもたちが語りたかったら語ればいいことだと思ってるんですが。

 ただ、たくさんの子どもたちが、ここにある表のように、増えてきた。だいたい70年台半ばから増え続けるんですね。これは小中学生ですので、これ以外に高校の登校拒否や中退があるんですが、まずはっきりしているのはこれですので。この増え方というのは、途中で80年台後半から全国の子どもたちの数が減っていくわけですけど、それに関係なくどんどん増えていくわけですね。それも並みな年数じゃないと思います。もう四半世紀って言っていいわけですね。

 文部省は増え続けるということに対して、早期発見・早期対応という方針を打ち出して、91年から、年間50日じゃ遅い、年間30日以上の欠席を調べてそこで対応策をとるべきだ、というふうにやりだすんですね。50(の調査)のほうは98年で打ち切りになって、今ではマスコミもこっちの方は発表しませんね。多分、文部省は新しい対策をとっていくのでこれから減っていくと思ったんだと思いますよ。

F子どもたちは一人ひとり様々に学校との距離をとる

 文部省は(91年から)新しい対策をとっていくので、これから(不登校が)減っていくと思ったんだと思いますよ。ところがね、ちょうど10年たちました。10年たったけれども、たくさんの政策、たとえば、適応指導教室を全国に増やす、スクールカウンセラーを設置する、先生たちの不登校対策の研修会をどんどんやる、加配教員をふやす、もうあらゆる、1年間に今年分の対策費が80億円ですね、ぐらいかけてます。そうやっても増えつづけたわけですね。とうとう10年たつ。

 そこで、今日の資料に実行委員会のほうで、朝日新聞に私が投稿したのを入れてくださっていますけど、調査研究協力者会議というのを、文部省は持つことにしたんです、10年ぶりに。なぜか。不登校増加に歯止めがかからないから、設けたわけです。設けたときにですね。それはいろいろ子どものために考えてくれるのはすごくいいことなんですけど、その新聞記事に書いてあるようにですね、不登校容認の風潮が行き過ぎているので不登校がどんどん増えるのだ、親も学校へ行かなくてもいいよみたいな風潮がある、教師も学校へ来ない子を来させようとあまり努力しないで何か見守ってりゃいいみたいに思っているみたいな、子どもは子どもで学校行かなくてもいいと思っている、というような、認め過ぎるので不登校が増加していくんだ、っていうような意見の人が結構いるんですね。

 私が実際に取材--私は「不登校新聞」をやっているので、一般市民は傍聴できないんですけど、報道機関だけは入れるんですね、それで私は今まで傍聴しているんですけど、父性欠如の対応のしかた、つまりもっと強く学校に戻さないとだめなんだとか、非常に学校復帰を強化する。

 私たちは、学校に行く行かないは子どもの意思を尊重して、子どもが学校との距離を、自分で何かを感じたり考えたり、たとえば非常に強いいじめを経験されたら、なかなか、もう学校でいじめは無いよ戻っておいでと言われても、安心できるものではないし、それから、学校のやり方が、自分の個性を抑えつけないと学校の枠にはまれないっていうんだと、行きにくいと、それはもう一人ひとり様々に学校と距離をとる、何か事情か理由か経験かがあったわけです。

 学校大好きでも、学校と距離とりますからね。疲れちゃってもうちょっとタンマというんで出てこない、ということもありますしね。たまたま出会った人間関係で傷ついたということもありますし。それはいろいろなんですけど、学校のあり方とかなり関係してしまっている、ということはデータではっきり出てるわけですね。これは、不登校に関する実態調査って、去年文科省が発表した、大阪市大の森田洋司研究所に委託して、中3のあと5年たって20歳で、いろいろな元不登校の人たちに調査したものなんですけど。

G自分らしさを保つことができる定時制

 不登校のきっかけですね。それ(元不登校の人たちへの20歳時点での調査)なんかを見ると、高い率のところを見ますと、友人関係をめぐる問題、教育の環境をめぐる問題、学業の不振、クラブ活動・部活動、学校の決まり、入学・転編入学・進級などでなじめなかった、など、それはほとんど学校のあり方の問題ですよね、それがきっかけで行かなくなった。ほかには、家庭生活とか、親子関係も出てるんですけど、それのほうがずっと割合は低いわけです。こういう公的な調査を見てもそうですし、私たちが一人ひとり出会ってきた子どもたちに話を聞いてみても、あ、それだったら学校行かなくなったの当然かな、みたいな例、お子さん自身はもちろん何だかわからない、言葉にできないこともいっぱいあるわけですけど。でも、学校大好きだったり、学校がとても楽しかったり、自分が居やすかったりしたら、行ってるわけですから、学校のあり方ということと不登校というのはからんでるわけですよね。

 で、定時制高校にまた不登校の子が行くっていうのは、私は、定時制だったらやっぱり、自分というものにあまりぐんぐん上から侵入して来ない、自分らしさをある程度保ちながら非常に居やすかったり、先生とか校則とかでぎゅーっと締めつけられたりする度合いが非常に少ない、居やすい、自分のパターンで動きやすい、そういった面を感じて、そこに選ぶ率が高くなっているんじゃないかなと感じています。

 例えば、定時制に行くようになったから中学の不登校がおかげさまでやっと立ち直ったのよ、みたいな言い方をする人もいますが、それは私はちょっと違うと思うんですね。つまり、中学は不登校でした、定時制高校に行った、定時制高校は学校である、だから学校に行くようになったから立ち直ったんだ、と言うと、不登校というのはあってはならない姿、というふうになっちゃうと思うんですよね。

 逆に、定時制に受験したんだけど定時制ははなから行く気はないとか、定時制にしばらく行ってたんだけどまた行かなくなっちゃった、これはまだ不登校が克服できてないことだ、みたいなことを言う親の方や学校の先生がいるんですけど、いや、それも違うかなって。不登校っていうのは直すものとかっていう位置付けというのは、その子の学校との距離の取り方を否定していることで、私はどんな子どもも若者も、ある時、あるいろんなこれまでの経験から、あるいは自分の今のいろんなことから、学校との距離の取り方はいろいろで、学校大好き、学校が楽しい、生き生きできるという方もあれば、高校行こうと思ったんだけど、どうも行かれないとか、行く気がしないとか、あんなところは自分に合ってないとか、それはありうることで、それを、存在として、行く子はいいけど行かない子はだめ、みたいな物の見方のほうが、問題を残しているんじゃないかなと思います

H私の登校拒否体験

 私は、自分の子が1978年に登校拒否をして、始めて登校拒否というものに会うんですね。教師として会ったのは、自分の学級の生徒じゃなくて、自分の子どもなんですよ。本当に実に多くのことを学ぶことが出来ました。私はそういう意味では、当時は悩んで、3人の子どもたちがいるんですが、3人とも不登校で育ちました。

 一人目というのは、損ですよね。親が分かっていないから、一人目を非常に苦しめちゃうんですよね。うちの長男は、転校生ということでいじめにあう、それから、前の学校と比べて息苦しい、それから先生に対する不信感が芽生える、それくらい重なると、朝学校に行こうとしてもどこか気持ちが悪くなったり、熱がでてきたり、お腹が痛くなったり、学校を休みたいということがいっぱい出てくるんですよね。体の状態が悪いのなら休ませるというのはどこの家庭でもやっていることで、しょうがない、休もうかと認めるんですが、やはり、休んでいると元気になってくる。

 元気になると親は「そろそろ学校へ行けるよね」と行くことをすごく期待するものですから、子どもにすごくプレッシャーをかけるわけですよね。子どもは、元気になったのに学校を休むのはずる休みだ、良くないことだ、ダメな子になってはいけないと思っているから。思っているのは、親の私たちがそう育てているから、世間も何もみんながそう教えていると思いますよ。おばあちゃんだって、ランドセルを贈ってきて、「小学校入学おめでとう。毎日元気で学校へ行くんだよ。」とやるわけですよね。学校は絶対行かなければいけないと思っているから、「そろそろ学校に行けるよね」というと、そんないじめや先生への不信、学校の空気など何も変わっていないのに、子どもは「うん」といいますね。そして、子どもはガンバッテ無理して学校へ行きます。

 だけど、自分と学校の環境も変わっていないので、また、身体的症状が出てくるんです。その身体的症状は前より強く出てくる。ということで、行ったり、行かなかったり、行くと直ったと思ったり、行かないとガッカリしたり、私の顔が非常に険しくなったり、その私の顔の険しいのを見て子どもは行く行くとまた学校に行ったり、そういう子どもの気持ちがまったく分からない。ただ早く、みんなが行っているように、うちの子も学校へ行けるようになってほしい。その陰に、何でうちの子どもは学校へ行こうとすると具合が悪くなるんだろう、たくさん休むんだろう、それは私の出方のどこが悪かったんだろうかと、自分を責めたりしました。

 それから、私は教師だったから、教師の子どもが登校拒否をしたというので、当時は登校拒否というものを否定的に捉えていたので、恥ずかしくて、仲の良い同僚だけには、「うちの子はどうも登校拒否みたいなのよ」といううですよね。その仲の良い同僚も「奥地さんの子、神経質じゃないの」とか「ちょっと甘やかしていない?」とか言うんです


Iある精神科医と出会って


 お医者さんもね、「何かお母さんが働いてるから幼児期に長時間保育するでしょ。そうすると保育園に預けて幼児期を過してたから愛情不足でしょう。」と言われたり、何か釈然としない、そういう答えしか返っこない中で、非常に苦しむんですね。子どもは最後運動会で無理をして、運動会をやり上げるんですけど、ものすごいエネルーを出したと思うんです。その日終わっから、体調をこわすんですよね。消化すエネルギーがないというんでしょうか、食べたいのに食べたら吐くという症状がで、3カ月食べられなくてやせていくんです。

 私の場合、渡辺さんという当時、児童精神科医の方がおられて、その方との出会い、当時、行ったときには、お医者さんにして直して貰うという意識は特になかったのですが、ある雑誌に「この先生は違うなあ。子どもの立場から登校拒否を考えている先生だよ。」とその雑誌の関係者が言っていたです。一回でいいから会いたいなあと思ていました。子どもは医者拒否だから、「その先生に会ってみない」と言うと、「いやだね。何人もの医者にあったけど、いいこと何一つもないじやないか。」と言っていたけど、「この先生は変わっているから、一回会わない。」というと、「一回なら行くよ」と一緒に行ってくれたんです。その一回は非常に大きな、そういう意味では目の鱗が落ちるといいますか、子どもにとっても、転機になるんですけど、それはカウンセリング用語でいう「受容」とかそういうんじやないんですよね。

 「お母さんは、そこで聞いていればいいんです。」と言われて、私は横で聞いていたんですけど、子どもと先生で学校の話をものすごくやってましたね。 
 「学校へ行くと自分が自分でなくなる気がする。」
 「どういう時」 
 例えば、班競争でバツがある。」
 「どういうバツがあるの」
 「漢字を間違えると、その班の間違えた数を足し算して、間違えた子も間違えない子も、間違えた数だけ校庭を走るんだ。」

 やってもやっても、次の日も変わらないんですよね。でも、すごくしんどいですね。体調が悪いから。学級会でそれを変えようと提案してもそういうやり方でやってきた学校だから、「バツがないと、勉強しないと思います。」と変わらないんですね。学校だから決まりを守らなければならない。先生に言っても、「みんなで決めたことでしょ。」と言って変わらないんですよね。そういう話を沢山していて、渡辺先生という方は、登校拒否をするのは、その子がどっか弱いとか、育て方が悪いからだという偏見をその時点でもう持っておられなくてですね。「身を守る当然の行為」というところで、「危機回避行為J という位置づけをしておられました
 
        
J苦しみぬいてこそ、登校拒否を理解できる

 渡辺先生といえども、よく聞くと、後で知るのですが、最初登校拒否をする子ども たちの方が弱かったり、育て方に何らかの問題があるんじやないかと思っていたんだそうです。その後、多くの子どもたちに出会って「ううん、これは」というふうに発見されていく.私は幸いですよね。その後で出会うわけですから。渡辺先生は私に、「このことはこう考えなさい」とおっしやったわけじやないんです。ただ、子どもにとって、こうやって話をして、こんなに自分を分かってくれる人との出会いがなかったんですよね。

 終わって、「お母さん、あれはとってもいい気分だった。お腹がすいた。おにぎりを食べたい」と言ったんですね。いままで、どんなに言っても食べなかったんですから。大急ぎで帰って、電気釜でおにぎりを全部にぎったら、二皿できちやったんですよね。それをお昼ご飯で食べちやったです。その日の夕食から普通食に戻っちやたんですね。 それが私たちは目の鱗がとれちやう体験でした。

 その前に、私たちはあらゆることをやりつくすんです。どうしたら食べてくれるかと思って。でも、方法がないんです。一生懸命になったということで気づくんですが、一生懸命やってきたから、長い苦しみがあったから、目の鱗がとれた。もし、何にも親として子どもと向き合って苦しんで、考えなかったら、「ああ、登校拒否ね。 じや、あの先生のところへ行こう」とパッと行って、そういうことになっても、私は何も気がついていないと思うんですよ。

 あらゆることをやって、ダメだったわけですよ。ところが、ち、よつと話をしただけといっていいんでしょうね。子どもはすっきりして、「お母さん、僕は僕でよかったのね。あの先生に会ってそう思ったよ」。親の私たちも目の鱗がとれたんですよ。親のくせにどうして子どもの心というものを受けとめられなかったなあ。心と体は一つだなあと、私も夫もはっきりつきつけられたんです。
 
 それまで学校の中で、教師として漢字帳だ、地理の学習会だとか親の方々と読書会とか、いろいろしてたわけですよ。自分では主観的には良心的な教師のつもりでいるのに、自分の子のことは何も分かっていない。みんなができるのが当たり前と見ていたし、お父さん、お母さんも学校を通ってきたんだから、学校でいろいろいやなことや厳しいことがあったって、「それを乗り越えなくてどうするの」とか「社会はもっと厳しいのよ」みたいな、まったく常識とか建前とかで子どもを見ているんで、その子にとってどうかと見ていなかった。見ていない限り学校中心に考えて、子どもの命そのもの、子どもの個というものが、どんなに素晴しい教育であっても、その個が大事だと思うんですよ。ところが、その子の個別の問題だというふうに話が決まっていくようなところがあります。


J登校拒否は問題行動ではない

 世間は子どもにあるべき姿を求めていて、それじや子どもは心を閉ざすしかないし、心を認められない存在なら滅びてもいいわけですからね。拒食症が直らないのは、道理なんです。そのことに気がついて、私はやっと自分の価値観を拡げることができたっていいますか、それから、我が家は、登校拒否というものを、問題行動ではないと捉えるようになりました。

 学校は自分にとってプラスだったら、意味があるんだったら行けばいいけど、行きにくいとか、・自分にとってマイナスだとか、傷ついているんだったら、そういう人は行く必要はない。子どもの一人や二人は育てられるかなと私は思ったんですね。その後、子どもは中学校へ行ったり、行かなかったり、別の中学校を選んで行くんですが、まったくその子が行くか行かないか、その子の気持ちを、私どもは尊重してやってきました。

 その中学から高校へ内部進学して、生徒会長をやりだすんですよね。ところが、その高校はPTAで揺れに揺れたんですけど、そこでは、PTAと大混乱の時で、とことん管理教育が進行して、内部進学すら全部テストで落とすみたいなところがずっとあったんです。その時に生徒会長をやって、学校を変えたいなあということでやるんですけど、非常に荒れていて、現状の学校となかなか自分の求める高校とは相容れないということが分かって、彼は中退すると言い出すんですね。私たち−は彼の話を聞いて、彼の気持ちがよく分かったんで「中退すればいいんじやない」と答えました。

 高2の教官室のソファに私たちが座って、周りを数えたら、12人の先生がいましたね。12人の先生が一人ずつ「今やめるべきではない。親はやめさせるべきではない」とずっと言ったんですね。特に、「生徒会長が中退みたいな、みっともない、悪い見本を示すとは何事か」とか、「親はもっと監督すべきだ」とかいろいろ言われました。でも、子どもはこう言ったんです。「あと1年だからこそ、自分の納得いくようにしたい。このままここにいるのを望んでいない」と言ったですね。

 それで私は、子どもの人生ですから、先生方が心配してくださるのはわかりますけど、でも子どもがこういうことを選びたいと言っているですから、親の私たちは子どもを信頼してそのようにしたい」と言って中退してくるんですね。ああいう高校の先生にはなってほしくないなあと思いますね。ドアを閉めようとすると、後ろから「あんな親だから、子どもは中退するんだよ」と、ぶすぶす言っているんですよ。あ、子どもがやめたいと思うのはわかるなあと思いました。

 定時制の場合と、今の話をごっちゃにしないでくださいね。私の場合は、管理的な高校の話だったんですけど、私どもは、子どもの不登校から学んだお蔭で、子ども自身を尊重しながらやっていくことでいいんだなあと確信をもつことが出来ました。



 奥地圭子さんの『学びの多様性を求めて』の講演は、不登校の子をもつ親たちの交流や運動の大切さを強調され、終了しました。この後、講演参加者からの発言がありました。
 以下に、定時制生徒、保護者、教職員の発言を掲載します。

(Aさんの発言)
 僕の代で、このままいってしまえば、学校は無くなくなってしまいます。もう、今年もー年生は入ってこない。教室などを見ると、ものすごく淋しくなります。もし僕みたいな子がいたら、そういう子はどこへ行けばいいの、どうするんだろうと思ってしまいます。

 横浜市はすごく無責任だし、彼らは横浜総合高校と県立の定時制とか私立の高校の方でカバーできると言っていますけど、普通に考えて無理だと思います。集団の中でなじめずに私立高校に行けないので定時制に来ている部分も少なからずいるし、全日制を受験して定時制にきた子たちの受け皿になっているのが、今の定時制ですよね。

 だから、横浜市立高校定時制の存続と再開を強く願っています。


(Bさんの発言)
 戸塚高校定時制は、まだ統廃合になると決まった訳じやなくて、未定なんですね。これからつぶれないという保障はないんですよ。私が一番嫌なのは、自分の母校がなくなるということも嫌ですし、これから入ってくる子の行き場がなくなるということもあります。で、戸塚高校の近くや戸塚周辺の子も、仕事の後に行くのに遠かったりするじやないですか。そういうことを考えたりすると、定時制はあっちこっちにある方がいいなあと思うんですよ。横浜市はそういうことを考えて欲しいですよね。

 不登校の子とかいろんな環境にある人たちにとって行く場所がなくなりますよね。横浜市の方は、統廃合してしまえば「いいんじやない」という考えであるかも知れませんが、それでいいという問題じやないです。それに横浜総合高校の話を聞くと、朝、昼、夜とバラバラに登校出来るらしくて、クラスが固定しないので、友だち関係もやっぱ薄い感じになってしまうんじやないかという問題もあります。やっぱり、クラスというものがあって、その中で友だちと触れ合っているから、その中で友だち関係が出来るんじやないですか。それが会えるかわからなも、という関係になれば、友だち関係も薄くなってしまうんじやないでしょうか。

 そういうことを考えると、やっぱり今までの定時制高校をなくすというのはとってもいやですね。これから先、なくならないように活動を続けていきたいし、横浜市もそういうことに気づいて欲しいです。 

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