2023年6月21日
 

私費会計について思うところ (その1)

神奈川県立神奈川総合産業高等学校・定 教諭 福島 昇

 
 
 まいど、昔の話から始めます。高校は義務教育ではないから、授業料以外の教材費等を納めるのはあたりまえと私自身が高校生の時から感じていました。大学卒業まで私を育ててくれた亡き両親には感謝しかないです。家計的にも厳しかったのに。

 1986年度(S61)新採用の私は、分会長から「私費を徴収しない完全な公費負担実現の公教育を目指す。」と教えられ、神高教組合の取り組みに感銘を受けたことを覚えています。しかし、上記の目標は今は昔。夢物語となってしまいました。今回は最近感じる私費問題を、本紙面上と次号の2回にわたって綴っていきたいと思います。
 
 

1 私費会計基準の源

 県立高校の私費問題は、戦後教育が始まった瞬間から存在していたと推測します。WEB検索をすると、大阪教育研究所のHP内に、興味深い論文が上位に見て取れました。私が県に教職員として採用された年に、『月刊ホームルーム』11増刊号(学事出版)タイトル「高校教育における私費問題」(羽山 健一著)がそれです。(http://kohoken.chobi.net/cgi-bin/folio.cgi?index=bun&query=/lib/khk054a2.htm)

 著者はこの論文の中で私費の必要性を記述しています。一方、「一 私費の概念」の結論部分において、「個人的負担が相当とされる経費についても、公費による助成・補助が望まれるところである。」と締めくくり、十分性は否定しています。

 また、この論文中の「二 父母の負担の増大」の冒頭部分で、1981年度(S56)の公立学校の私費一人当たりの負担額は189,700円と文部省(当時)のデータの記載があります。

 しかし、この論文は私費負担部分と公費負担部分の区別を明確に示しており、さらに教職員がもっと私費に関心を持ってもらいたい旨の記述もあり、現在の私費会計基準の源になっているように感じます。


2 教職員が私費会計事務を行うようになった

 1998年度(H10)の県の年予算は約1000億円不足すると言われ、財政再建団体に転落するのではないかと。県庁内ではリストラの嵐が吹いている中で、総合学科を売りに県は声高らかでした。

 2001年(H13)4月に任命換えによる県の人事交流を終えた私は、5年ぶりに高校現場に戻ってきました。県事務職員として従事していたときには県費による予算執行や決算事務に日頃携わっていましたので、教職員として復帰できたときは、これで「公金扱う事務」から間接的に解放されると思いきや、配属された新天地の高校で、「福島先生、私費会計を担当してください。」と。「えっ? 教職員が会計事務?」 これぞ、浦島太郎の状態。

 もともと教職員に会計事務を任せると不正や事故の基になるという危惧から、私費とは言えども事務職員が会計処理を担ってくれていました。しかし、県財政が厳しくなるにつれて、学校事務員数も減じられて、各高校で2〜4人の配属となり、私費会計事務が教職員に戻されました。

 現場復帰以来、私は毎年度何らかしらの会計を担当しています。この間、私費会計基準の見直しが進みました。一方で、保護者から徴収した大切なお金ですから、金融機関で言ういわゆる「一円合うまで」という感覚と同様に、会計担当者には重責が伴います。

 福島が得意とする仕事として揶揄する同僚がいますが、私はそんなことを言われる筋合いはなく、冒頭でも書きましたがむしろ私費を無くすようにしたい気持ちは今でも変わりません。教職員の多忙化の大きな一因となっているのは確かですからここにメスを入れて改善できなければ、多忙化の解消も厳しいと思っています。

 2011年(H23)だったかと思います。前任校(全日制)に勤務していたある日、教育財務課の職員が私費会計の取り扱いについて職員研修講師として来校したことがありました。上から目線の物言いの講師に腹が立った勢もあって、研修後の質疑応答で、「いつまで、私費を徴収し続けるつもりでいるんだよ?」と、講義に対する感謝の気持ちもそっちのけで質問したら、講師の顔がみるみる赤くなっていったことを覚えています(その2に続く)。

私費会計について思うところ (その 2)
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