2023年2月24日

  ある元組合幹部の生き方から考える ― 労組とは

労働組合の「誤作動」は、社会を「失速」させている

元民間労働組合役員 沢崎 三郎

 

 いま、テレビを見ても新聞を読んでも目を覆うような情報が多い。就職二、三年で退職する、上司のパワハラで自殺する、年収二、三百万の非正規雇用者が年度雇用契約でおびえている……。
 
 

「一人勝ち」は「栄転」か

 定年退職した身でこんな世相に取り囲まれていると、かつての上司をつい思い出す。

 上司のT氏は「連合」傘下の2000人余りを率いる支部委員長だったが、会社の経営方針にも多く協調する人物であった。その功績を認められたものか彼は課長となり、そうした彼とはよく口論となったものである。

 ところが2年後にリーマンショック。会社は体制刷新して、T氏はあっけなく用済みとなり、「解雇」。会社が用意した再就職先は、「言い値」で呑まされた年収50%ダウン、自宅から500kmも離れた富山県で単身赴任という条件。

 しかもその会社は労組もないワンマン社長経営で、会議ではパワハラ平気という社風。T氏はストレスもあっただろう、持病が高じてリタイアせざるをえなくなる……。

 わが国の労組組合運動の闘いは、現憲法と関連法にその反映と、これからの指針として明記されている。それを具体的に効力あるものとして現実化するのが労組活動の柱であったはずだが、この30年余りの流れは、T氏の話しと昨今の世相とを重ねると、正直なところ暗澹(あんたん)とした思いもする。

闘わない労組って何?

 リーマンショックから8年経った2016年、役員だった私の組合(22単組・4万5千人)は最大の中央組織「連合」から脱退した。理由は明快である。「闘わない組織にいてもメリットがなく、加盟費が損なだけだ!」と激しい非難が上がったからである。

 このころ、少し老け込んだT氏は会食しながら、「やはり労働者は生活者として、しっかりした組合と労働協約のもとで働くことが大切だ」と、ぽつりと漏らしたことだった。

新自由主義は、働く者を分断・競争に駆り立てている

 特に80年代ごろから資本主義活動の「暴走」を規制していた諸ルールを外した新自由主義が経済活動の「哲学」となり、民間、公務員の労働者を問わず人事評価制度が導入され、労働者を分断支配する成果主義が臆面もなく闊歩して、過密労働を招来し、健康を損ね,精神疾患から自殺に追い込まれる労働者が後を絶たなくなっている。

 賃金所得者で年収200万円の人が1200万人というデータが16年間続き、その一方で、企業の内部留保が704兆円に積みあがっているこの国。

 「小さな政府」のせいか、教員不足で担任が欠員のまま新学期を迎え、なんとなく現場の過重労働で「解決させる」教育行政。そんな下で勉強する児童・生徒たちを取りまく「息苦しさ」と、そこから発生している忌まわしい事態。

 この拙文を読んでくださる先生方、職員のみなさんもどうお思いですか。民間、公務員の違いはあれ、そこに働く労働者の生活の息遣いに違いはない。その息遣いを感じながら子どもたちは親元と学校で生きようとしていることを一時も忘れないでほしい。

 親や先生方の「足場」の揺れに、子供たちの「足場」の揺れは時には共振しているのではなかろうか。学校も頑張ってほしい、教育は生きる人間の「格」を培うものだから。

「誤作動」を正すには

 愚痴をこぼしても飲み屋でクダを巻いても、ツイッターでケチなうっ憤晴らしをしても、そこからは何も生まれては来ない、それらは、労務管理の結果 ― 「成果」による「生きかた」なんだから。

 一人一人が仕事を通じ人格をかけて学び、「要求」をつかむことからしか、「誤作動」を正すことはできない。
・超勤問題は個人まかせにせず、闘争救援資金は退職時に返金すべき
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