キナバル山 登山旅行(1997.8.4−10)/マレーシア/サバ州
友人夫妻3組6人で4000m登山に挑戦しました。これは、その時の日記と、写真です。

3日目

8月6日(水)
朝食はトースト(ジャムとバター付き)に目玉焼きとソーセージ,コーヒーと普通だった。午前8時過ぎ,山岳ガイドがホステルに到着した。名前はアンソニー。まず,PHQに行って余分な荷物を預ける。そして車で登山口へ。途中で,バード・ウォッチングをしていたデビッドを追い抜いた。登山ゲートを出たのが午前8時30分。アンソニーは「Slowly,slowly」と言って歩き始めた。「ビスターリ,ビスターリ」とも。まさに,その通りの登山になった。我々の歩みは遅々として進まなかったのだ。
1830メートルにある登山ゲートから,今日は3352メートル地点のグンティン・ラガダン小屋まで,約1500メートルを上がる。水平距離では約6キロメートルある。登山ゲートから,少し下った後,急な登りの連続となった。階段になっている部分が多いのだが,この手の階段は,歩幅が合わないことが多い上に,階段の高さが足の長さに適合していない人(要するに足の短い人)には大変歩きにくい。コースには東屋(四阿)風の休憩所が設けられており,水場とトイレもある。前もってガイドブックなどで読んで知ってはいたものの,実際に歩いてみると,日本の山よりもよほど整備されていると感じる。
約30分で,最初の休憩所に着いた。ただ,その次の休憩所には15分くらいしかかからなかったので,そこでは休憩しなかった。日本で歩いているときと同じく,30分ごとに休憩するというペースを守っていくつもりだった。途中でアンソニーが脇道へ連れていってくれた。大きなウツボカズラがあった。キナバルは多様なウツボカズラの存在でも知られている。写真を撮る。登山者のおきまりのコースになっているのだろう。道すがらアンソニーが植物の名前を教えてくれるのだが,こちらは登るのが精いっぱいでそれどころではない。覚えているのは,大変な数のランがあることと,大きなウツボカズラ,あとはサヤッサヤッという低木くらいだ。あ,それからシャクナゲ(日本の品種とは違うが)もあった。ある休憩所で日本人団体が下山してくるのとすれ違った。おじさん,おばさんばかりの大パーティ。松阪から来たと言っていた。

登山道近くのウツボカズラ

休憩所

ゲートから4キロメートル歩いた休憩所で昼食となる(予定通り)。朝食時に受け取ってきたサンドイッチ(ツナとチーズ)のお弁当を食べる。オレンジとスポーツ飲料もついていた。アンソニーがゴミはここに入れるようにと,黒いビニール袋を示した。なんという「大名登山」だろうか。にもかかわらず,このていたらく。体力が落ちたものだ。しかし,疲れていても歩き続ければ,やがて目的地には着く。もうこれ以上は,という頃合に山小屋(ラバン・ラタ小屋)が見えた。午後2時30分になっていた。今日の宿,グンティン・ラガダン小屋はさらに10分ほど上にある。最後のがんばりで小屋に到着。

グンティン・ラガダン小屋より頂上方面

グンティン・ラガダン小屋

シャワーとトイレの状況は昨日のホステルと同じ。ただし,ここは湯が出ない。アンソニーに聞いてプロパンガスとコンロがあることを知り,それで湯を沸かしてシャワー室に持ち込む。気温はどんどん下がっていく。湯をかぶっても,すぐに身体が冷えてしまう。部屋にはもちろん,暖房はない。途中ですれ違った日本人パーティが「ヒーターがある」と言っていたのは,10分ほど下のラバン・ラタ小屋のことだろう。グンティン・ラガダン小屋に着いてすぐ,ヨーロッパ系の若い女性に「ティーバッグでも持ってないか。寒くて」と聞かれたが,持ち合わせはない。皆,寒がっている。二つの4人部屋に,4人と2人に分かれた。我々が入った部屋には,若い(と見えた)英国人が後で入ってきた。彼は非常に軽装だったが,あれではかなり寒いのではないだろうか。バルコニーに出ていた彼に「寒くないか」と聞いたところ,やはり「寒い」という答えが返ってきた。それでも彼は,かなりの時間そこにいた。

グンティン・ラガダン小屋より頂上方面

夕食は10分ほど下のラバン・ラタ小屋でとる。またもやマレーシア風のセットメニューだったが,空腹だったのできれいに片付けた。明日は山頂で日の出を見るため,午前2時30分に小屋を出る。早々に眠ることにした。7時30分頃だった。しかし,隣が小屋のスタッフの部屋で,音楽を流している。どうやらラジオらしいが,気になって眠れない。そろそろ消してくれるように言おうかと思い始めた頃,雨が降りだした。かなり激しい雨で,その音で歌がかき消され,気にならなくなった。しかし,こんなに雨が降って,明日は大丈夫だろうか。

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